映画「パーソナルソング」

 今日は「立春」です。太陰太陽歴の24節気は季節の変わり目という宇宙のリズムを知る暦。同時に、人間の体内にも宇宙と同じリズムが刻まれ「内なる音楽」が流れていることに気づくきっかけも与えてくれます。

 そこで『パーソナル・ソング』という興味深いタイトルの映画のご紹介です。初めにお断りとして、チラシのキャッチコピー「音楽がアルツハイマー病を劇的に改善させた!」は、この映画の’本質’を伝えていないと感じました。なぜなら、おそらくこの映画に興味を持った多くの人が期待するような「音楽で認知症が治った!」的な’健康映画’ではないからです。むしろ原題にある「ALIVE INSIDE」の通り、「人と音楽」のつながりから「生きる」を見つめ、高齢者福祉や医療制度など生命に関わるさまざまな問題を提起した社会派ドキュメンタリーだと思いました。それでもやはり音楽が脳に与える影響は興味が尽きません。20世紀半ばに青春を過ごしたアメリカの人たちには自分だけの「エバーグリーン(不朽の名曲)」が数多く存在する。「パーソナルソング王国」だったこともわかります。同時に、思い出の「歌」やそれに付随する幸福な記憶、人との関係性の有無、つまりはどのように音楽と関わり「生きて」きたのか、ということが何よりこの’療法’の効果を左右する条件だと思いました。
 この映画の中では、ヘッドフォンによって個々の好みの音楽を聴かせることを「音楽療法」と呼んでいます。脳にダイレクトに刺激を与え効果を得ようとするのは西洋医学らしい発想ですが、しかし音楽には「心」が複雑に絡んでいるのではないでしょうか。患者たちが見せる感動的な瞬間は、自分にヘッドフォン(音楽)を手渡してくれた人(外 OUTSIDE)の存在に気づき、孤独で苛まれていた心(INSIDE)が、音楽で想起された思い出によって救われた瞬間なのかもしれないと感じました。それほど「老い」を嫌うアメリカの高齢者施設には孤独の空気が漂っている。もし仮に音楽が認知症患者(の脳)に「効く」と医療で認定され、全国の高齢者施設にヘッドフォンが特効薬のように配布されても、孤独が癒がされない限り映画のような感動的な「効果」は得られないかもしれません。作品の最後に涙を流して「Thank you」とつぶやいた男性の感謝の気持ちは、「音楽の力」そのものよりも、筆者には自分にヘッドフォン(思い出の歌を聴く機会)を与えてくれた「人」に対しての感謝だと受けとめられました。音楽は自分の内の世界(INSIDE)と外の世界(OUTSIDE)をつなぐ媒体だと筆者は思っています。もちろん音楽がただ「鳴り響く空気」として存在しても、もしかしたら脳が刺激され同じような結果が生まれるのかもしれません。むしろ音楽以前の「オト」であっても何らかの’効果’はあるのでしょう。ただ「音楽は認知症に効く」と断定することは、「音楽とは何か」という根源的な問いを置き去りにすることになり兼ねません。
 このコネクト通信でも高齢者施設の音楽療法ボランティア「歌う♪寄り添い隊」の活動をご紹介しましたが、あの活動の現場でも映画と同じような光景は見られました。それと同時に「音楽を奏でる人、歌う人、寄り添う人」という和やかで幸福な場の雰囲気や関係性も見過ごすことは出来ませんでした。また、筆者がここ数年コンサートをさせて頂いてるホスピス病院でも、無表情だった認知症の方が思い出の曲に出会うと同様の反応を見せることがあります。もしかしたら生演奏ではなくCDでも同じ反応は生まれるのかもしれません。しかしそこで無視できないのは、やはりCDデッキのボタンを「押す人」と患者との関係性、その患者さんと音楽との関係性だと思います。薬の臨床実験のように「音楽」のみを科学的に検証していくことは、芸術を「道具」に貶め、音楽の最も大切な部分を切り落としてしまう危険性も孕んでいると感じます。

 世界はあと数十年もすれば多くの先進国が高齢化に突入します。まったく戦争なんてしている場合ではないのです。その中で、日本は今や「高齢化の先進国」なのですから、人類の’幸福な’未来のために出来ることは山ほどあるはず。今回のようなヘッドフォン療法だけでなく、生演奏やスピーカーからの鳴り響く空気を全身で受けとめる音楽、他者と音楽を共有し共感する場や時間の質や意義、オンガク以前のオト(自然音や環境音)そのものの力など、「音楽とは何か」という哲学的な問いも含めて、人間の内側(生命)と音楽の関係性には不思議さと未知の部分が沢山残されています。芸術と科学はもっと歩み寄る必要があると思います。
 この映画を観ている時に、宮澤賢治が『セロ弾きのゴーシュ』で描いた「野ねずみのこども」の病気を治すシーンを思い出しました。はたして、セロを弾いたのがゴーシュでなくても、野ねずみの子どもの病気は治っただろうか?音楽を奏でる、またはそこに付随する「人間」そのものを見つめることを決して忘れてはいけないと思うのでした。
(2015.2.3ササマユウコ記)

 

2017.6.9追記

先日、10年目となるホスピスコンサートで、はじめて音楽療法士さんのご協力を得て、患者の皆さんが「夏の音風景」をつくって頂く中でのピアノ演奏を試みました。音楽を一方的に「与えられる」存在から一歩踏み出し、自発的に音に関わることから見えてくるリレーショナル・ミュージックの可能性も感じました。