「小さな音楽」の可能性~舞台音楽家・棚川寛子と特別支援学級生徒16名の『時を感じて・パフォーマンス』より@多摩市立青陵中学校(主催:アーツカウンシル東京、NPO法人芸術家と子どもたち)


生憎の雨でしたが、街はハロウィンの準備で華やか。
生憎の雨でしたが、街はハロウィンの準備で華やか。

 夏にご紹介したSUNDRUMにつづき、本日は多摩市立青陵中学校・合唱コンクール内プログラムで上演された舞台音楽家・棚川寛子さんと特別支援学級の生徒16名によるPKT(パフォーマンスキッズ・トーキョー)オリジナル作品『時を感じて・パフォーマンス』を鑑賞させて頂きました。(主催:アーツカウンシル東京、特定NPO法人芸術家と子どもたち 会場:パルテノン多摩・大ホール)。

 

 3学年の合唱が終わると、ステージの奥には大きなステンレス・ボウルが3つ、手前には大太鼓、鉄・木琴、ウィンドチャイム、ピアノ等の楽器が、最前には長机が3台一列に並べられました。特別支援のプログラムは昨年まで「筝」の演奏だったそうですから、このセットから何が始まるのか誰にも予想できなかったと思います(筆者もです)。代表生徒による挨拶が終わると、3人の男子生徒たちが上手から登場し、ユーモラスな「無言劇」が始まりました。その非言語のやりとりが実に自然体で面白かった。やがて彼らが色とりどりのプラコップを取り出すと、机上で「一捻り」あるリズムを刻み始めます。すると、その音に合わせて残りの生徒が登場し、全員が机とコップと身体でリズムを刻みながら『上を向いて歩こう』を歌うのです。その後、各自セットされた楽器に移り、まずボウルが叩かれると一気に「ガムラン」の音世界が広がり、場の空気が一変しました。台所用品と吹奏楽部の楽器を使っているはずなのに、どこか不思議でアジア的な音の風景が生まれる。ドラの代わりに叩かれる大太鼓がアクセントとなって、大きな会場が心地良い音に包まれていくのを感じました。決して威圧的でも、一方的でもない。その悠然たる「オンガク」は客席に驚きと感動を持って受け入れられていることは、会場の空気や後方の保護者の語る感想からも明らかでした。そして最後には「合唱コン」らしく、絵本から詩を紡いだという子どもたちのオリジナル曲がピアノ伴奏とともに歌われ、会場は大きな拍手に包まれていました。

 子どもたちが主役になった時間、それは棚川寛子さんの「アート(技術)」との幸福な出会いだったと思います。棚川さんによれば準備期間に実施した11回のワークショップのうち7回くらいまでは、子どもたちになかなか心をひらいてもらえず苦労したそうですが、回を積み重ねていくうちに徐々にリズムが揃い、音楽が立ち現れるその喜びを子どもたち自身が掴み取っていく手ごたえは感じていたそうです。しかしそこに「決定的なきっかけ」があった訳ではない。時間の積み重ねの中で、ゆっくりと子どもたちの内側にある芸術が開花することを信じて待つしかない、その信頼関係があったからこそ、今回の「音の力」が生まれたのだと思います。単に「上手く」演奏できている、音が揃っている、作品の質が高いという次元の話しではない。まさにそれが芸術の世界です。

 もちろんそこには棚川さんのプロの「仕事」、彼女の優れた耳とセンスによる音の取捨選択(デザイン)があった。特に彼女の音楽性の根幹とも言える、楽譜を使わずに稽古場で即興的に演者の身体から音楽を生み出す手法、高い評価を受けているク・ナウカの舞台音楽を始め、その経験値の高さが子どもたちの即興性や音楽をうまく引き出せたのだと思いました。何より彼女によって選び取られた音そのものの力が、子どもたちの耳と心を自然にひらいていった。芸術家の想いを託され「やらされている」のではない、子どもたちは自らの意志で’パフォーマー’として存在していると感じました。それが会場にいた他の子どもたち、大人たちにも、「芸術」とは何かを考えるきっかけになっていたとしたら、これほど素敵なことはありません。

 本来「芸術」の前では誰もが平等です。そこには様々な尺度があり、視点を変えると優劣の反転が起きる。合唱コンで整然と歌い競うことと、特別支援級の彼らが演奏し歌うことの何が同じで、何が違うのか。心に響く音楽とは何か。プロの仕事とは何か。さまざまな気づきを与えてくれる時間だったと思います。

 

 昨今は特に「大きな芸術」が注目され、「アートを使う」「アートを役立てる」と、芸術家が不在のまま「職能」としてのアートが議論されています。その一方で、今回の主催であり、中間支援の先駆け的存在でもあるNPO法人芸術家と子どもたちのように、プロの芸術家と真摯に対峙し丁寧な場づくりを続ける団体も存在します。芸術家からも、この団体と仕事がしたいと声が上がる理由のひとつはそこにあると思います。

 今回のPKTは東京アーツカウンシルとの共同事業のため、残念ながら都内の学校に限定されますが、昨今は各自治体が主催する芸術家のワークショップも増えました。そこに参加する子どもたちが主役であることは大大前提ですが、芸術家を始め、関わる人たちすべてが「芸術の力」を噛みしめるような、幸福な場づくりが望まれます。経済システムが軋み始めている「大きすぎる芸術」とは違う、丁寧で「小さな芸術」にこそ神は宿る。その奇跡の積み重ねが、何かを少しづつ変えていくのだと信じたい。なぜなら、そこに関わるすべての子どもたちが「未来」だからです。(ササマユウコ 記)