【代表から】コロナの時代〜新年度のご挨拶

【新年度の代表ご挨拶】
 誰もいない川べりを散歩していると、世界の騒ぎとは正反対に日を追うごとに水が綺麗になっていくのがわかります。小鳥たちも心なしかのびやかに歌っている。桜は冷たい雪や雨に散ることもなく満開を迎えました。深呼吸をして周囲を見渡せば、自然はいつもと変わらない。むしろとても春らしい春が訪れています。しかし人間だけが春の訪れに気づく余裕もないどころか、自然の営みから外れてしまった。人間とは何だろう。今思わずにはいられません。
 ちいさな音楽家だった私がサウンドスケープという「世界の考え方」を研究し始めたのは2011年の東日本大震災・原発事故がきっかけでした。放射能が降りそそぐ世の中で「音楽とは何か」が突きつけられ、その答えが見つけ出せなくなったことが最大の理由でした。「考える」こと、そして懐疑的だった「言葉」に寄り添うこと。音楽がすべてだと思っていた自身にとってそれは修行のような日々でしたし、こうして文章を書いている今も心持ちはほとんど変わっていません。本当に言いたいことを追いかけるように言葉を紡いでいる。10年近く経ってもやはり「音」を越えることが出来ないのです。その発見が「音楽とは何か」の答えなのかもしれません。
 思考実験の拠点として2014年に芸術教育デザイン室CONNECT/コネクトを設立しました。オフィス入居先の相模原市立市民・大学交流センターは現在3月頭からロックアウト、残念ながら感染者の続く市内は、公共施設の再開目途が立っていません。5月はちょうどオフィスの更新時期ですから、今後の活動の「かたち」についていよいよ考えなければならない時期にきました。まさに6年目の総仕上げともいえる壮大な思考実験です。この6年、大学や先駆者たちを訪ねる活動から始まり、芸術家と研究者が「フラットにつながること」を前提に様々な実験をおこなってきました。言葉に残していきたいことも沢山あります。
 しかし現在、日本の大学はリモート環境の整備を含め「大変革」を余儀なくされ、芸術家の経済基盤は自粛の嵐で大変厳しい状況となっています。この先、両者間の「フラットな活動の場」は容易には成立しないでしょう。しかしそれはあくまでも「システム」の話しで、「表現の自由」や「考えること」が規制されるわけではない。むしろ自粛しすぎた先に自由を見失った世界は、たとえウィルスに勝っても(勝つ、という発想自体に疑問を感じていますが)、さらなる危機的状況が続くだけです。なぜなら人間には「身体」だけでなく「心」があるからです。

 この30年近く、音楽活動とは別の経済活動として民間の文化事業、公共の教育事業等にも関わってきました。今当たり前にあるこの国の文化芸術施設のほとんどが(一部の公共施設を除いて)存在しなかった。あの頃の時代の記憶に想いを馳せます。パイオニアだった先駆者たちの多くは「戦争」の経験者たちでした。市民の暮らしにとって文化芸術や表現の自由が必要不可欠であることを身を持って知る世代が、平和や自由の尊さを噛みしめながら取り組んでいました。

 ウィルスが、ある意味で戦争以上に厄介なのは「目に見えない」ということです。芸術の得意分野である「想像力」を正しく使わなければならない。怖れすぎても、楽観すぎても駄目なのです。時には「運命」と感謝したり諦めることが必要になるかもしれない。それはすでに「祈り」です。疫病から沢山の芸術文化や宗教や学問が生まれたことは人類の歴史が教えてくれます。ニュートンはペストの疎開中に万有引力を発見しました。クリムト、シーレ、アポリネールはスペイン風邪で命を落としています。疫病の先はルネサンスか世界大戦か。疫病から何を学ぶのかは私たちの想像力と創造性にかかっていると思います。
 この瞬間にも「コネクト(つながる)」のかたちが根本から問われている。それを全世界が同時に体験していることは考えれば不思議です。おそらく次世代の文化芸術はまったく違うかたちをしているか、原点回帰しているかでしょう。もしくは「芸術」という概念そのものが変容していることも考えられます。

 人間とは何か。絶対に変らない「真理」、そして二度と戻らない「変化」。思考のウチとソト、ミクロとマクロのコスモスを柔らかにつなぐ方法はまだ見つからない状況です。
 「信頼すること」と「社会的距離を置くこと」も同時に求められるでしょう。心理的距離と物理的距離の基準が変わります。距離を保つことが信頼や思いやりに変わるのです。コロナ以前に築かれた関係性は、つながる「かたち」が変っても対応できるでしょう。しかしまだ何も始まっていない、ゼロからのコミュニティはどうすればいいか。コミュニケーション方法そのものが変ってしまったら、「身体」と「心」の関係性も大きく変わるかもしれません。

 少し想像してみてください。他者と切り離された子どもたちは、いったいどうやって「ともだち」を作るのでしょうか。「ともだち」の定義そのものも変るのでしょうか。
 大人たちはどうでしょう。経済活動や社会的任務を別として、感染リスクを冒してでも「つながりたい」と思う動機はありますか?そこで問われるものは何でしょう。「愛」の有無でしょうか。「愛」があればリスクは怖くないですか?では、愛する人を感染させてしまった自分を愛せるでしょうか。自分を愛せない人生を送れるでしょうか。そもそも「愛」とは何でしょう。
 頭だけでは到底処理できない、もはや全身で考えても追いつかない思考実験です。そしてこの実験は間もなく実践へと変わります。身体を隔離すれば多くの「リスク」は解決します。しかしそこで「失われる」ものの価値も知っておかないとなりません。かたちだけ整えることは「思考停止」を生みかねない。これは大変な難題だと思います。急場のシステムに取りこぼされたものたちを丁寧に掬い取ること。そんな小さな活動にコネクトの使命を感じ始めています。

 この6年間の活動は下記サイトからご覧頂けます(いつの間にか2000近い「いいね!」を頂きました。ありがとうございます)。何か少しでもヒントになりそうなこと、思考の種を今後も綴っていきます。ご質問等がありましたらいつでも下記までご相談、ご連絡ください。2019年の活動報告はもう少し落ち着いたら更新いたします。5月以降の活動につきましても今しばらくお待ちください。どうぞよろしくお願いいたします。

皆さま、時節柄くれぐれもご自愛ください。全身で考えましょう。

(代表:ササマユウコ)


ササマユウコ(音楽家・空耳図書館ディレクター)

2000年代にCD6作品を発表。2011年東日本大震災を機にサウンドスケープを「耳の哲学」に社会のウチとソトを思考実験中。上智大学文学部教育学科卒(教育哲学、視聴覚教育)、弘前大学大学院今田匡彦研究室(サウンドスケープ哲学 2011~2013)。町田市教育委員会生涯学習部市民大学担当(2011~2014)。芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表(2014〜)。