【夏至2022】空耳図書館のおんがくしつ「私たちは同じ空をきているか、生きているか?」Director’s Note

身体のリズムが変ると街のサウンドスケープも変わる「2022夏至のオンガク 私たちは同じ空をきいているか、生きているか?」より(撮影:新井英夫本人)
身体のリズムが変ると街のサウンドスケープも変わる「2022夏至のオンガク 私たちは同じ空をきいているか、生きているか?」より(撮影:新井英夫本人)

 『夏至のオンガクをきく』ということ(空耳図書館 Director's Note:ササマユウコ)

  夏至の前後は日中とても眠くなってしまいます。周囲では体調を崩す人もいます。春から夏への季節の変わり目ということもありますが、冬至の日の出から2時間早く、日没からは2時間半も遅く、つまりは1日で4時間半も昼が長くなるのですから、体内時計がそれに合わせて変化するのは不思議ではありません。この時期は庭の草木も一夜にして驚くほど伸び、明らかに大地の生命力が活気づくのを感じます。夜と昼、すなはち陰と陽のエネルギーが偏る季節には、古来から世界各地で「祭り」がひらかれてきました。これは内外の偏ったエネルギーのバランスを整えようとする人間の本能、生きる知恵なのかもしれません。芸術や宗教の原始に思いを馳せるとき、「祭り」と「宇宙の音楽」は欠かせない視点だと考えています。

 2020年の東京アートにエールを!「空耳散歩」、2021年春と修羅 序~わたくしといふ現象は」(「コロナ時代の新しいオンガクのかたちを思考実験する②空耳図書館のはるやすみ 助成:令和2年度文化庁文化芸術活動の継続支援事業:ササマユウコの音楽活動)に続き、空耳図書館コレクティブでは昨年から夏至冬至のオンガクを記録しています。
 今年の夏至は日の出時刻を除いて、厚い雨雲に覆われた1日となりました。都心部と郊外も時間帯で天候が違う変化に富んだ空模様でしたが、その空をひとつにつないでいたのが雨の存在でもありました。メンバーの誰かが「雨が降ってきた」と伝えると、時間差で自分の空からも雨が降り始める。雨はその場にとどまるのではなく、この空を動いているという実感。当たり前のことですが、そこに「オンガクの時間」を発見するようなひと時でもありました。

 ちなみに昨年の夏至では、身体の鼓動や呼吸と直結した「1分間=60秒」に注目し、ミクロコスモスとマクロコスモスを行き来するダイナミズムに思いを馳せました。同じ60秒であっても、多忙な日々を送るメンバー個人の身体や知覚が捉える世界、その1分間の在り方は大きく違います。やはりその人「らしさ」が出る。
 コロナ禍で個々の身体(空間)が分断された状態で可視化されるようになり、もしかしたらオンガクは、ここからルネッサンス人が独り望遠鏡で星空をのぞいたような「宇宙の音楽」に近づくのかもしれないと思うことがあります。それはとても孤独で、壮大なオンガクの時間です。

四つ足の生きもののように悠然と歩く。
四つ足の生きもののように悠然と歩く。

 今回はコレクティブ・メンバーの新井英夫(体奏家)が自身で撮影した「歩く」行為にも注目してみました。彼は最近、日常生活の中で杖を使うことがあります。二本の杖で腕を延長し、街中の横断歩道をゆったりと渡る姿は、まるで四つ足の生きもののように悠然とした雰囲気です。そこには彼の身体の時間が流れている。ちなみに昨年の夏至の彼は、とても忙しそうに歩いていました。

 一方で映像全体は、昨年の約半分の3分程に収まっています。これはディレクションを担当した自身の時間感覚が忙しなくなっているということでしょうか。Stay Homeの頃はじっくりときけた1分間が、最近は「長い」と感じてしまうことがあります。心の余裕を取り戻さなければなりません。

 歩くリズムやテンポは、身体の使い方だけでなく自身の内側に流れるオンガク、生き方にも影響を与えます。自らの心臓や呼吸や筋肉の変化と文字通り「息を合わせる」ような歩き方は、自分の時間を取り戻すことなのです。実際に杖を使ったり、杖を使う人をサポートする経験は、街中には思いがけず杖で歩く人が沢山いることに気づかせてくれます。これは白杖や車椅子、ベビーカーでも同じです。視点が変わると、街の風景やきこえてくるサウンドスケープも変ります。基調音からはみだしたリズムやテンポこそ、街に彩を与えていると気づくのです。

 例えばイタリア語の「アンダンテ(歩くくらいの速さで)」は音楽用語として知られていますが、この「歩く」は誰の身体、いつの時代の基準かということに思いを巡らせてみます。♩=63~76は1分間の心拍数とほぼリンクしますが、都会の駅や街を歩く現代人の歩くスピードはアンダンテの倍速程度に感じます。そもそも高齢者や身体に障害のある人、小さな子ども等の「歩く」はここに含まれるでしょうか。西洋音楽で作曲家が提示している「アンダンテ」は健康な(白人男性の)身体をモジュールにしたテンポです。
 コロナ禍で国際的なピアノコンクール等を気軽に視聴できる時代になりましたが、若い男性コンテスタントの演奏が驚くほど速く正確になっていると感じます。ピアノの鍵盤が改良されたこともありますが、まるで「速さ」を競うスポーツ大会のようです。「アンダンテ=歩く速度」の基準そのものが早くなり、技術力の正確さと反比例するように、癖の強い個性的な演奏が少なくなっていると感じています。これはどちらが良い悪いという話ではなく、時代によって求められるテンポやリズム、身体のオンガクが変るというお話です。

 音楽や体育、特に学校教育ではみんなが同じテンポで演奏し、歩くことが当たり前に求められます。しかし私たちは本来、誰もが違う身体の時間を生きている。このことをうっかり忘れて「同調の美」を追求するあまり、特に指導や管理する側の人間には「個性」を疎んだり排除しようとする心理がはたらきがちです。宮沢賢治は代表作『セロ弾きのゴーシュ』の中で、技術の先にある心に響くオンガクとは何かを問いかけます。楽器を演奏するだけでなく、体を奏でるように「歩く」ことからも考えることが出来るのです。

 韓国の古い民族舞踊には障害者の歩き方を模したユニークな踊りがあるといいます。決して差別的な発想ではなく、個々の身体が持つリズムやテンポを、魅力的なオンガクとして捉え直すような感性を忘れずにいたいと思います。時には歩くリズムやテンポを変えて悠然と歩いてみましょう。みえてくる、きこえてくるサウンドスケープが違ってくるはずです。
 

 そして身体は離れていても、メンバーと同じ時間(夏至点)に同じ空を見上げる瞬間、いつも孤独な身体から解放され癒されるような気持が沸き上がります。星空の宇宙にオンガク(ムジカ・ムンダーナ)をきいた古の人たちも、もしかしたらこの気持ちを求めていたのかもしれないと思うのでした。

 私たちは同じ空をきいているか、生きているか?オンガクとは何でしょう?


夏至2022 空耳図書館のおんがくしつ
「私たちは同じ空をきいているか、生きているか?」

参加メンバー:新井英夫、板坂記代子、石橋鼓太郎、小日山拓也、ササマユウコ、三宅博子

キーワード:サウンドスケープ、サウンド・エデュケーション、野口体操、体奏、音楽人類学、美術
撮影日:2022年6月21日(火)日の出(4時27分)から日没(19時01分)まで
    夏至点 18時13分

撮影場所:東京都心、東京郊外各所
サムネイル美術:小日山拓也

空耳図書館ディレクター:ササマユウコ

 

(C)2022 空耳図書館コレクティブ

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