あらためて『聾CODA聴 対話の時間(境界ワークショップ研究会)』をふりかえる

撮影:牧原依里
撮影:牧原依里

 突然はじまったコロナ時代。日々の課題に向かっている間に早くも3年近くの年月が経ってしまいました。この間に「手話」や「聾者」に対する世界の受け止め方は(よい意味で)大きく変わり始めていると感じます。SNS等で聾者の「声」が文字や動画で届きやすくなったこともあります。頻繁に開かれる記者会見で手話通訳者の存在から「手話が言語である」ことにマジョリティ(聴者)が気づき始めたこともあります。しかしそれは「気づいた」ことに他ならず、聾の世界を理解したことと同義ではありません。今後、社会にはさまざまな聾CODA聴の『境界』が生まれていくはずですが、そこにはマジョリティの意識の変化、異文化理解の姿勢が自身の経験を振り返っても必要不可欠だと感じます。その意識の変化のプロセスは(聾文化への知識を持たなかったマジョリティ)当事者として、今後サウンドスケープの世界観を通してまとめていきたいと思いますので、今しばらくお待ちください。
 残念ながら第二期「聾CODA聴 対話の時間」の活動は、2020年3月に予定していたワークショップが中止になった状態でストップしています。聴者である私が声をあげて再開するべきかも悩んでいます。その中で、聾の世界では当事者たちによる聾者のための芸術ワークショップが積極的に展開され始めています。ここで提案していたのはその次の段階にあるはずの「境界」でした。それはあくまでもマジョリティ(聴者)が考える世界の在り方であって、聾者と聴者が対等に響き合うためには、まだまだマジョリティが大きく変わらなければいけないということに気づきます。聾者と聴者をつなぐ当たり前の存在として受け止めていたCODAの内面にも、米内山さんのお話や映画『CODA あいのうた』を通じて深く考えさせられました。つまりマジョリティである聴者がこのプロジェクトの「中心」なのか?という問いの前で思い悩んでいるのです。
  プロジェクト・メンバーとの対話はその後もオンラインを通して(手話通訳が入るかたちで)、『聾者のオンガク』をめぐる公開トークセッションとしても続いています。この対話は本当に話題が尽きないし、何より気づきが多いのでこれからもずっと続いていくことを願っています。
 そして今、プロジェクトを立ち上げた2017年(既に5年前)のメンバーの考察や参加者アンケートを読み返すと、その時に目指した「境界」がまだ時代的に新しい世界で、だからこその新たな発見や反省が多数見つかります。もちろん反省しているのは企画を立ち上げて実施した(その権利を持っていた)圧倒的マジョリティとして無自覚に存在していた私自身に他なりません。再度こちらで共有したいと思いますので是非ご覧ください。

●活動レポート①
考察の前に~聴者からの視点(ササマユウコ)掲載しました。(2018.4.25)

活動レポート②

 

メンバーの考察から(雫境、米内山陽子、ササマユウコ)掲載しました(2018.5.26)

●活動レポート③

 

参加者アンケート①」第1回境界リサーチ 2017年11月19日@アーツ千代田3331


筆者:ササマユウコ(音楽家、芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト主宰)

2000年代の音楽活動を経て、東日本大震災を機にサウンドスケープを「耳の哲学」として、境界(内と外の関係性)を探る音楽と言葉をつなぐ場づくりを試みている。聾CODA聴対話の時間、空耳図書館、即興カフェプロデュース、カプカプ新井英夫身体ワークショップ音担当、執筆、レクチャーなど。