Interview 1-②「劇場の内と外で踊る~ほうほう堂(新鋪美佳さん)」 

2011年11月の川崎市アートセンター委嘱作品『緑のアルテリオ』のあと、ほうほう堂はふたたび劇場の「ソト」に向かう。そして「@シリーズ」は、小金井市やあいちトリエンナーレでの「生放送&パブリックビューイング」に象徴されるように、準備段階から本番まで、たくさんの人や場や想いを巻き込んだ壮大な「まちづくり」のプロジェクトとして発展していった。

 

―それまでのゲリラ的な作品づくりと違って、人や行政、つまり「社会」が絡むことになって大変ではなかったですか?

 小金井のプロジェクトの母体自体は行政や、今は体制が変わっているのだけど大学のNPO(※1)でしたが、実際の運営はとても理解のあるスタッフに囲まれて特に大変なことはなかったです。元市役所職員の方も本当に熱意をもってアートに関わってくださる方で、このプロジェクトの出会いには感謝しています。これがもし、行政の窓口の方が異動でたまたま担当になって、特にアートに興味が持てないという状況だったらキツかったと思いますよ(笑)。

 では何が大変だったかと思いかえしてみれば、「3年間(実質2年間)、小金井市のまちで何かやってみてほしい」という大きなお題だったので、最初は漠然としていて何を手掛かりにしたらよいのかわからない、という戸惑いがあった点です。大きくは「ほうほう堂@シリーズをやる」ということにはなっていましたが、小金井市はいわゆるベッドタウンでほのぼのしてて、地味で(笑)。とにかく、つかみどころがなさすぎるんですよね。

―小金井はホームタウンでしたっけ?

 生まれ育ったのは武蔵野市なので正確には違うのですが、中学校が小金井市だったので全然なじみがないわけではなかったです。

※1 NPO法人アートフル・アクション(ARTFULL ACTION

photo:吉次史成
photo:吉次史成

―踊る場所はどうやって決めていきました? 
 そもそもの「@シリーズ」の場選びの按配として、何気ない景色や空間や場所で、「舞台化」しないという前提があったわけですが、小金井は何気なさすぎて(笑)。どう切り取るべきか2年間のうち1年数か月は迷って困っていた気がします。

 それでも毎月小金井に通って、地味な場所を見つけてはコツコツ撮りためていました。で、悩んだ末、或る時、家にも会社にも学校にもお店にもある「窓」を空間や時間を切り取るフレームとして、捉えたらある意味とっても小金井的なんじゃないかと思いつきました。そして2年間のリサーチを集大成としてまとめることになったのですが、「窓」の視点をどのようにまとめたらよいか、これまた迷いあぐねる時間が長くありました。

―まとまるまでに、どんなアイデアが出ましたか?

 お客さんとお散歩形式でまちをまわるとか、バスツアーとか、いろいろありましたね。そして紆余曲折を経て、その間の機材や動画配信の技術革新もあって、わりと間際になって「ダンスでまちをめぐる様子を生中継する」という前代未聞のプランにまとまりました。これは長いですが、まるまるYouTubeに上がってます。生みの苦しみはありましたが、窓から見える空間、時間に、ダンス的な状況や時間があるというのは、小金井の「日常」を切り取るフレームとしてぴったりだったんじゃないかなと思ってます。(映像はこちらから→

 

 小金井での方法論(ダンスでまちをめぐり生中継する)はさらに進化を遂げ、インタビュー①の最後にご紹介した「あいちトリエンナーレ」の長者町の作品へと昇華していく。ほうほう堂は、このプロジェクトでも時間をかけてまちや人をリサーチし、そこに暮らす人たちの身体の記憶、そして街そのものの歴史を掘り起しながら、かつての長者町の子どもたちのように街を踊りめぐった。ゲリラ的に「まちと絡む」ことで培ってきた即興力が、丹念に練り上げられた構成の中でのびやかに発揮されていた。そして何より、そこに暮らす「ひと」たちと一緒に創り上げた作品(時間と場)だったということが、パブリックビューイングのシーンからも伝わってくる。

 

―これからも「@シリーズ」は続きますか?

 シリーズは毎月「場」を発掘してアップするをモットーに3年半も続けましたが、留守番、アルテリオ、生中継など、さすがにあらゆる形式でやりつくした感があるので、ひとまず「毎月のシリーズ」はお休みですね。でも新鮮な場所や手法を見つけたり、欲求が出てきたらまたやるかもしれません。

 

 劇場の「内」と「外」をしなやかに往来し、どんな場でも踊れる魔法を手に入れたほうほう堂。今は大きく広がった「ソト」から「ウチ」に戻り、静かにその内面を見つめている時期なのだろう。

 

―最後に。今までに踊った劇場の「外」で、特に印象に残った場所は?

 色々とありますが、音に関して印象的な場所に静岡の砂丘があります。あまり知られていませんが、実は静岡に砂丘があるんですよ!

 砂は音を吸い取るから、何も音がしないんです。しーんとしてる。足の裏が焼けた砂で熱くて、その熱かった感覚と、しんとした状況がとても記憶に残っています。

 

 それは、無響室で自分の内側にある音楽に気づいたジョン・ケージのよう。足の裏の静寂の記憶から、次はどんな作品が生まれてくるのだろう。ほうほう堂として、ひとりのダンサーとして、何より人間として。この8年近く、実はヨガにも取り組んでいるという新鋪さんの「内と外の関係性」の変化に、今後も注目していきたい。

2014.8 聴き手:ササマユウコ
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