コネクトネットでもご紹介させて頂いた相模原市在住のアーティスト・ユニットMATHRAX(久世祥三+坂本茉里子)ご夫妻の展覧会『じぶんのまわり展』が現在、茅ヶ崎市立美術館で開催されています。昨日(8月11日)は、偶然こちらの展覧会で『視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ』が実施されるとのことで、現場の様子を見学させて頂きました。
点字バージョンも作成された展覧会フライヤーには「耳でながめて 目でかいで 鼻でふれて 手できいて」とキャッチコピーが記されています。その言葉が示す通り「なでる」と優しい音のする木製の動物や石たちが手や耳の感覚を、時間とともに変化する空の色のような光のオブジェが「記憶」を呼び覚まし、さまざまな「関係性」を示唆するように展示されていました。MATHRAXの作品はおそらく、その場とモノとの関係性から生まれる展示方法でも印象が変化し、どの作品も受け身ではなく鑑賞者が自らの五感を使って「関わる」ことで完成する作品たちです。その作品性は今回のワークショップの目的である「みえる/みえない」をつなぐ媒体としても非常に相性が良かったと言えるのではないでしょうか。応募も抽選になるほどの人気だったようです。
今回のワークショップでは2チームに分かれて、3つの主要な作品をそれぞれ順路を逆にして巡りました。「視覚障害者と~WS」は、参加者同士が作品に触発されながらオープンな関係性の中で自由にコトバ(感想)を表現する、他者の感性の違いを知る/知られる面白さがあります。今回鑑賞したMATHRAX作品は、例えば他者の奏でた「自分とは違う音」を「きく」ことで作品の印象が変化する瞬間があります。鑑賞者はそこで自分の「枠」を越える体験をします。
木の作品ひとつひとつの「触り心地」の違いを発見し伝える人(手)。オブジェを「日常のモノ」に置き換えながら説明する人(目)。作品内部からきこえる音を分析する人(耳)。香りに刺激された「記憶」を語る人(鼻)...自分の手、目、耳、鼻の感覚を言葉に変えることは、楽しいけれども意外と難しい作業だったかもしれません。作品との「関わりの距離」を縮めたり広げたりしながら、まずは「みえる人」の自由なコトバが連想ゲームのように「みえない人」の想像力を掻き立て、双方に「対話」が生まれていきました。一方で両者に共通する「嗅覚」や「聴覚」については、「みえない人」は五感を使う人よりも音(耳)や香(鼻)の反応が敏感だったと思います。「手」は日頃から「みる」役割も果たしているせいか(点字しかり)、特にデフォルメされた動物オブジェの「かたち」については、「みえる人」の情報を何度も確かめているのが印象的でした。彼らの手が覚えている「動物のかたち」とはだいぶ違うかたちのようでした。そして、その初めての体験こそが芸術体験であり、その「驚き」は「みえる/みえない」とは無関係なのだと思います。
特に興味深かったのは「宇宙の音を編む」コーナーの、向かい合わせに展示された円型のオブジェ。これを撫でると、天井からつるされた6つのスピーカーに内蔵されたちいさな「星」が光り、遠くからきこえる教会のオルガンのような荘厳なハーモニーが降りてくる「ステラノーヴァ」(新星)という作品体験でした。「みえる人」同士は相手に合わせた手の動きに重点が置かれ(身体コミュニケーションが優先され)、奏でられる音が必然的に多くなります。一方、「みえない人同士」では、お互いの「音」を聴き合いながら静かで美しいハーモニーが生まれる。「みる」と「きく」のどちらを関係性に優先するかによって、そこに生まれる「音の風景」が違うということはとても興味深い結果でした。古代の人が気づいた「宇宙の音楽(ムジカ・ムンダーナ)」はもしかしたら、目を閉じた時にきこえてくるのかもしれませんし、もしくは星の関係性を「みるオンガク」だったのかもしれません。
幾何学と流線、アナログとデジタル、木とプラスチック...一見すると対照的な要素が、音や光そして「五感」を介して共生しているMATHRAXの作品展。そこに生まれる世界は未来の音風景のようでいて、実ははるか昔から人が求めてきた「調和の世界」(ハルモニア)のかたちではないだろうかと思うのでした。
■この展覧会は9月4日(日)まで開催され、会期中はさまざまな関連プログラムが開催されます。(要予約のプログラムもありますので、詳細は美術館サイトでご確認ください。)美術館はJR茅ヶ崎駅から徒歩8分、平塚らいてうの記念碑がたつ高砂緑地内にあります。夏休みのお出かけにもおすすめです。(ササマユウコ記事/撮影)