コネクト通信バックナンバー

【寄稿】「さいたま国際芸術祭2020」をみて

 3月から延期になっていた『さいたま国際芸術祭』が無事に開催された。最終日近く、大学で同じ学芸員過程を履修している友人と訪れることが出来た。友人と一緒にどこかへ行くのは初めてだった。

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アートミーツケア学会2020オンラインに登壇しました。

 多様なフリンジ企画、エクスカーションとともに先週末11月21日(土)、22日(日)にオンラインで開催されたアートミーツケア学会オンラインに、コネクト代表ササマユウコが登壇しました。この学会では聾CODA聴プロジェクトに対して、2017年、2019年度の公募助成を頂いています。

 登壇したプログラムは先日サントリー学芸賞を受賞された美学者・伊藤亜紗さん(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授)をゲストに迎えた九州大学大学院芸術高額研究院(中村美亜、長津結一郎)主催の『with コロナトーク』でした。基調講演にあたる伊藤さんのお話は近著『手の倫理』を拝読したばかりで期待通り示唆に富んだものでしたし、オンラインの身体性や感覚の意味を捉え直す機会にもなりました。

 後半の発表では、3月の緊急事態宣言、コロナ自粛下で始まった横浜の福祉作業所カプカプ(新井英夫&板坂記代子さんの身体ワークショップ)に5年間音から関わる自身の視点から、9月のカプカプ祭りオンラインを迎えるまでの半年間の試行錯誤をお伝えしました。ちなみに伊藤さんは昨年のカプカプ祭りに足を運ばれていたので、私自身の今年の特殊な体験を的確に言葉にして頂けたようにも思います。そして、あらためて他者の視点から振り返ることで自分が『何を』体験したのかが明確になることを実感しました。団地の壁に投影されたり、芝の家音あそび実験室(コヒロコタロウ)と共にオンラインで祭りに音をつけたりと、アーティストとしても実験的&先駆的な経験だったのです。

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地域コミュニティとサウンドスケープ

8か月ぶりにリアルで音が出せた団地のピロティ。オンラインではここに4台のスピーカーが設置されサラウンドの音響でした。
8か月ぶりにリアルで音が出せた団地のピロティ。オンラインではここに4台のスピーカーが設置されサラウンドの音響でした。
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日本音楽即興学会に参加しました

10月31日、11月2日にオンライン(神戸大学)で開催された日本音楽即興学会に参加しました。
東日本大震災を機に、2011年から2013年までサウンドスケープ哲学研究でお世話になった弘前大学今田研究室からも発表。東京からの距離が遠くなってしまった弘前の動向を、神戸で伺うことができたのはコロナ禍の副産物とも言えます。

 この学会は音楽学者・若尾裕先生をはじめ関西方面の研究者や音楽家が中心となって2008年に設立された非常にユニークな学会です。この学会の原点にある若尾先生はサウンドスケープを日本に紹介した『世界の調律』の訳者の一人で、M.シェーファーのインタビューを含む『モア・ザン・ミュージック』も出版されています。また音楽批評家としても非常に先鋭的かつ刺激的な視点をもち、音楽教育、音楽療法、実験音楽のクリエイティビティな面に光を当ててきました。現在は音楽家/研究者の寺内大輔さんが中心となって関西を拠点に運営されています。

 2020年は二日間のオンライン開催でした。コロナ時代も半年以上が過ぎ、オンラインならではの刺激的な発表もみられました。特に関西の即興グループ「野営地」が試みたオンライン遠隔即興セッション、作曲AIを使ったデモンストレーション、小学校高学年向けプログラミング開発、弘前大付属支援級と普通級の合同音楽授業の事例、サウンドペインティング、バロック即興ワークショップ事例など、「即興」を切り口に世界をさまざまな角度から捉え、過去/現在そして未来を見つめていく時間でした。冒頭のシンポジウムには経済学者や医療従事者が参加、音楽をホリスティックに捉え直す即興的なトークセッションでした。

 ちなみに日本には残念ながら「即興音楽」を総合的に学べる大学・大学院は存在しません。音楽とは何か、即興音楽とは何か?貴重な機会から得た示唆を糧に、今いちど言葉にして考えていきたいと思いました(サ)。
〇若尾先生のご紹介は2016年に体奏家・新井英夫さんと出演した座談会「生きることは即興なり、それはまるでヘタクソな音楽のように」(@下北沢B&B)でもご紹介しています。

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空耳図書館「きのこの時間③」実施報告

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映像・空耳散歩#01『Listen/Think/Imagine』公開されました。

こちらから動画が見られます。

『空耳散歩』シリーズはサウンドスケープを「耳の哲学」にオンガクの内と外を思考実験する実験映像です。コロナ禍で活動自粛中の2020年、コネクト代表ササマユウコの個人プロジェクトとして展開しています。2014年からコネクトで展開している「空耳図書館」や音×言葉「即興カフェ」のエッセンスを感じて頂けます。

 「Listen/Think/Imagine」をテーマに、第1弾は突然始まった#Stay Home(春分から夏至まで)の「オンガクとは何か?」を模索する内的思考の時間、またそこから発展したImage「夏至の空耳」の2部構成12分です。リアルとイメージを行き来するオンガクの時間をどうぞお楽しみください。

 また今後はこの映像を「オンガク×哲学の種」にオンラインイベントも展開予定です。哲学カフェやトークイベント等をご希望の方はお気軽に下記までご相談ください。

 

空耳散歩 Listen/Think/Imagine」上映時間12分 

第1部「内的思考の時間」半径500メートルの宇宙 Inside⇔Outside 

第2部(6分28秒~)「夏至の空耳」Imagine as a Soundscape

 

〇ゲストプロフィール(第2部参加)

雫境/DAKEI・・Poetry body movement by Deaf

聾の舞踏家。舞台と映画を中心に国内外で身体表現/舞台芸術の可能性を追求している。2016年牧原依里と共同で映画『Listen リッスン』監督、現在はカンパニー・デラシネラ小野寺修二演出の作品にも参加している。東京藝術大学大学院美術科博士後期課程修了。「聾CODA聴プロジェクト」では非言語ワークショップを研究中。

「濃淡」主宰 www. noutan-in-a-line.jimdosite.com

 

小日山拓也 Takuya Kohiyama・・・Art of lights&Poetry Reading 

野外影絵上演、手作り楽器ワークショップ、まちづくりアートプロジェクト「千住の1010人」、インドネシア民族音楽リサーチ等、主にフィールドからオンガクと美術の領域を横断するユニークなアーティスト。だじゃれ音楽研究会、芝の家・音あそび実験室メンバー(コヒロコタロウ)。きのこ愛好家としても知られ、空耳図書館「きのこの時間」案内人も担当。東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒。

 

監督・編集・テキスト・ピアノ/ササマユウコ www.yukosasama.jimdo.com

編集協力/Hana IMAI 録音協力/音響工房アナログ式 

(C)2020 芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト

〇この作品に関するお問合せ・・・tegami.connect@gmail.com「空耳散歩#01」

実験映像「空耳散歩#01 Listen/Think/Imagine」を制作しました。

2014年から展開している音×言葉の活動「空耳図書館」「即興カフェ」等の「耳の哲学」エッセンスを実験映像にしてご紹介します。

前半はコロナ自粛下の「内的思考の時間 目できく、耳でみる、全身をひらく」、後半は夏至の日の「宇宙の音楽 Musica Musica」をゲストアーティスト(雫境、小日山拓也)と共に制作しました。この映像は東京都文化芸術支援「アートにエールを!」専用ページ他で公開し、今後シリーズ化していく予定です。オンガクをはじめ芸術の世界でも新しい生活様式が叫ばれる昨今ですが、ひとつの「様式」は一朝一夕で構築されるものではなく試行錯誤を繰り返す時間も必要です。「オンガクとは何か?」という問いに立ち返るきっかけとなるような作品となれば幸いです。

 〇公開されたらまたお知らせいたします

 →詳細 コネクト代表ササマユウコ個人ホームページにて

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空耳図書館推薦図書9冊(おとな編)

コロナの時代に新しく求められる音楽教育のヒントになれば幸いです。
赤ちゃんは言葉を発するまでに1年間、周囲の世界をじっくり受け止めます。きく/みる/さわる/かぐ/味わう、いわゆる「5感」という境界線を引かず全身全霊で世界とつながること。音楽教育もいきなり聴覚だけ、音だけ、楽器や歌に向き合うのではなく、まずは全身を世界にひらく体験を重ねてもよいと思います。哲学的思考へとつながる対話型鑑賞も可能性があるでしょう。その時間が内と外をつなぎ、結果的に実際に音をだす「音楽」への近道ともなります。教室内で一斉に吹かれる鍵ハモのサウンドスケープは、はたしてオンガクだったか。音楽とは何か、この機会に考える時間も大切です。
 代表ササマユウコは弘前大学今田研究室や自治体生涯学習の実践から日本音楽教育学会発行『音楽教育実践ジャーナル』『音楽教育学』等にも音のワークショップの可能性について寄稿しています(査読あり。執筆名・今井裕子)。コネクトでは主に「空耳図書館のおんがくしつ」「即興カフェ」を通して新しいオンガクのかたちを提案しています。写真の本は推薦図書として毎回ご紹介していますので、どうぞご参照ください。

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【代表から】コロナの時代〜新年度のご挨拶

【新年度の代表ご挨拶】
 誰もいない川べりを散歩していると、世界の騒ぎとは正反対に日を追うごとに水が綺麗になっていくのがわかります。小鳥たちも心なしかのびやかに歌っている。桜は冷たい雪や雨に散ることもなく満開を迎えました。深呼吸をして周囲を見渡せば、自然はいつもと変わらない。むしろとても春らしい春が訪れています。しかし人間だけが春の訪れに気づく余裕もないどころか、自然の営みから外れてしまった。人間とは何だろう。今思わずにはいられません。
 ちいさな音楽家だった私がサウンドスケープという「世界の考え方」を研究し始めたのは2011年の東日本大震災・原発事故がきっかけでした。放射能が降りそそぐ世の中で「音楽とは何か」が突きつけられ、その答えが見つけ出せなくなったことが最大の理由でした。「考える」こと、そして懐疑的だった「言葉」に寄り添うこと。音楽がすべてだと思っていた自身にとってそれは修行のような日々でしたし、こうして文章を書いている今も心持ちはほとんど変わっていません。本当に言いたいことを追いかけるように言葉を紡いでいる。10年近く経ってもやはり「音」を越えることが出来ないのです。その発見が「音楽とは何か」の答えなのかもしれません。
 思考実験の拠点として2014年に芸術教育デザイン室CONNECT/コネクトを設立しました。オフィス入居先の相模原市立市民・大学交流センターは現在3月頭からロックアウト、残念ながら感染者の続く市内は、公共施設の再開目途が立っていません。5月はちょうどオフィスの更新時期ですから、今後の活動の「かたち」についていよいよ考えなければならない時期にきました。まさに6年目の総仕上げともいえる壮大な思考実験です。この6年、大学や先駆者たちを訪ねる活動から始まり、芸術家と研究者が「フラットにつながること」を前提に様々な実験をおこなってきました。言葉に残していきたいことも沢山あります。
 しかし現在、日本の大学はリモート環境の整備を含め「大変革」を余儀なくされ、芸術家の経済基盤は自粛の嵐で大変厳しい状況となっています。この先、両者間の「フラットな活動の場」は容易には成立しないでしょう。しかしそれはあくまでも「システム」の話しで、「表現の自由」や「考えること」が規制されるわけではない。むしろ自粛しすぎた先に自由を見失った世界は、たとえウィルスに勝っても(勝つ、という発想自体に疑問を感じていますが)、さらなる危機的状況が続くだけです。なぜなら人間には「身体」だけでなく「心」があるからです。

 この30年近く、音楽活動とは別の経済活動として民間の文化事業、公共の教育事業等にも関わってきました。今当たり前にあるこの国の文化芸術施設のほとんどが(一部の公共施設を除いて)存在しなかった。あの頃の時代の記憶に想いを馳せます。パイオニアだった先駆者たちの多くは「戦争」の経験者たちでした。市民の暮らしにとって文化芸術や表現の自由が必要不可欠であることを身を持って知る世代が、平和や自由の尊さを噛みしめながら取り組んでいました。

 ウィルスが、ある意味で戦争以上に厄介なのは「目に見えない」ということです。芸術の得意分野である「想像力」を正しく使わなければならない。怖れすぎても、楽観すぎても駄目なのです。時には「運命」と感謝したり諦めることが必要になるかもしれない。それはすでに「祈り」です。疫病から沢山の芸術文化や宗教や学問が生まれたことは人類の歴史が教えてくれます。ニュートンはペストの疎開中に万有引力を発見しました。クリムト、シーレ、アポリネールはスペイン風邪で命を落としています。疫病の先はルネサンスか世界大戦か。疫病から何を学ぶのかは私たちの想像力と創造性にかかっていると思います。
 この瞬間にも「コネクト(つながる)」のかたちが根本から問われている。それを全世界が同時に体験していることは考えれば不思議です。おそらく次世代の文化芸術はまったく違うかたちをしているか、原点回帰しているかでしょう。もしくは「芸術」という概念そのものが変容していることも考えられます。

 人間とは何か。絶対に変らない「真理」、そして二度と戻らない「変化」。思考のウチとソト、ミクロとマクロのコスモスを柔らかにつなぐ方法はまだ見つからない状況です。
 「信頼すること」と「社会的距離を置くこと」も同時に求められるでしょう。心理的距離と物理的距離の基準が変わります。距離を保つことが信頼や思いやりに変わるのです。コロナ以前に築かれた関係性は、つながる「かたち」が変っても対応できるでしょう。しかしまだ何も始まっていない、ゼロからのコミュニティはどうすればいいか。コミュニケーション方法そのものが変ってしまったら、「身体」と「心」の関係性も大きく変わるかもしれません。

 少し想像してみてください。他者と切り離された子どもたちは、いったいどうやって「ともだち」を作るのでしょうか。「ともだち」の定義そのものも変るのでしょうか。
 大人たちはどうでしょう。経済活動や社会的任務を別として、感染リスクを冒してでも「つながりたい」と思う動機はありますか?そこで問われるものは何でしょう。「愛」の有無でしょうか。「愛」があればリスクは怖くないですか?では、愛する人を感染させてしまった自分を愛せるでしょうか。自分を愛せない人生を送れるでしょうか。そもそも「愛」とは何でしょう。
 頭だけでは到底処理できない、もはや全身で考えても追いつかない思考実験です。そしてこの実験は間もなく実践へと変わります。身体を隔離すれば多くの「リスク」は解決します。しかしそこで「失われる」ものの価値も知っておかないとなりません。かたちだけ整えることは「思考停止」を生みかねない。これは大変な難題だと思います。急場のシステムに取りこぼされたものたちを丁寧に掬い取ること。そんな小さな活動にコネクトの使命を感じ始めています。

 この6年間の活動は下記サイトからご覧頂けます(いつの間にか2000近い「いいね!」を頂きました。ありがとうございます)。何か少しでもヒントになりそうなこと、思考の種を今後も綴っていきます。ご質問等がありましたらいつでも下記までご相談、ご連絡ください。2019年の活動報告はもう少し落ち着いたら更新いたします。5月以降の活動につきましても今しばらくお待ちください。どうぞよろしくお願いいたします。

皆さま、時節柄くれぐれもご自愛ください。全身で考えましょう。

(代表:ササマユウコ)

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【執筆情報】建築ジャーナル4月号『川のある暮らし』(ササマユウコ)

【建築ジャーナル4月号】
昨年6月号の渋谷のサウンドウォーク(空耳散歩)につづき、「川からみた東京」を代表のササマユウコが執筆しています。吹きさらしの神田川クルーズから考えた東京のウチとソト。神田川を音楽と捉えて船からみた貴重な写真と共にお伝えしています。サウンドスケープの思考で江戸〜東京の歴史、そして自身の暮らしも振り返りました。

 この数日後、屋形船は大変なコロナの事態に巻き込まれてしまいます。オリンピックもその後、延長となりました(初心に戻ってアテネでやるべきと思っていますが)。早くこの穏やかな日常が戻ってほしいです。

 川の時間は東京の日常と非日常をつなぐ音楽そのものでした。
 巻頭の日本橋コースは路上観察学会分科会コアメンバーの舞台美術家・鈴木健介。渋谷の散歩漫画につづき、見開きの豪華イラスト&文を寄せています。
 取材は2月上旬でしたので、期せずして「コロナ前夜」の東京観察となりました。まさに時代の変わり目の街を歩き、目と耳で観察し、そして記録に残すこと。あらためて大事なことだと思いました。当たり前に散歩できる自由の尊さ。コロナの嵐が去った後にもまた古き良き東京を歩いてみたいと思います。
 こんな感じで、2014年11月11日に始まった路上観察学会分科会は水面下で地味に活動しています。今この時期に、暮らしや街の在り方を川から再考する手がかりになれば幸いです。
http://www.kj-web.or.jp/gekkan/2020/2004.html

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空耳図書館のはるやすみ④『宇宙の音楽』

宇宙とつながる本
宇宙とつながる本

 

(写真左から)

➀『太陽と月 10人のアーティストによるインドの民族の物語』青木恵都訳(タムラ堂2017 TARA BOOKS)

②『世界のはじまり』バッシュ・シャーム/ギーター・ヴォルフ  青木恵都訳(タムラ堂2015 TAARA BOOKS)

③『天空の地図〜人類は頭上の世界をどう描いてきたのか』アン・ルーニー著、鈴木和博訳 (日経ナショナル・ジオグラフィック社2018)

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【お知らせ】聾CODA聴『対話の時間②時間と空間』

アートミーツケア学会青空委員会2019公募プロジェクト
アートミーツケア学会青空委員会2019公募プロジェクト

【お知らせ】コロナウィルス感染拡大予防による新宿区からの自粛要請に伴い延期となりました。開催時期は未定です。

『対話の時間②時間と空間』の実施につきまして。

 次回研究会はメンバー間の協議の結果、コロナウィルス感染拡大予防のため「参加者を募らずに」ホールで実施し、後日内容をFBや関連サイト等で公開することになりました。参加を予定されていた皆様には大変申し訳ございません。またこの実験を踏まえて、事態が収束した頃にあらためて参加型ワークショップを実施する予定ですので、引き続きご注目ください。

尚3月15日時点、行政や学会からこのプロジェクトへの「自粛要請」等はありません。あくまでも主催者判断ですので何卒ご理解・ご了承頂きますようお願いいたします。

 

◎聾CODA聴 境界ワークショップ研究会『対話の時間②時間と空間』詳細

実施予定日:3月30日(月)

時間:午後13時〜16時

【プロジェクト・メンバー】

雫境(聾・身体)

米内山陽子(CODA・手話)

ササマユウコ(聴・サウンドスケープ思考)

記録:渡邉侑紀

手話通訳:田中夏実(予定)

場所:新宿区若松地域センターホール(定員160名)

※アートミーツケア学会青空委員会公募プロジェクト2019

 

内容:音のある/ない世界を行き来しながら、聾CODA聴の「時間」や「空間」の違いをテーマにした「非濃厚接触」ワークショップの在り方を考える。

実施条件:

➀メンバー間は常に情報をシェアして、不安材料は些細なことでも話し合うこと。

➀当日朝まで事態を見極めること。万が一本人や家族、濃厚接触者に感染者が出ている場合は、当日でも実施を延期すること。

③会場の消毒、換気、接触等には十分配慮すること。

④社会の感染状況が著しく悪化している場合、自治体や学会から中止要請があった場合等は臨機応変に対応すること。

⑤公開用の記録を残すこと。

 

検討事項(別途)

・社会の混乱期における「情報アクセシビリティ」について

・公共施設「団体登録」手続きを通して見えてきた諸問題

 

○この件に関するお問合せ

芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト

tegami.connect@gmail.com

(聾CODA聴 ササマユウコ)

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空耳図書館のはるやすみ②『見えない花』オノ・ヨーコ

『見えない花』オノ・ヨーコ CHIMERA LIBRARY 2011
『見えない花』オノ・ヨーコ CHIMERA LIBRARY 2011

空耳図書館のはるやすみ②

『見えない花 AN INVISIBLE FLOWER』
オノ・ヨーコ CHIMERA LIBRARY&ADP
企画・監修/ショーン・レノン 2011
  人と人を容赦なくつなぐウィルスは一方で世界の「分断」を生みはじめています。「目に見えないもの」の存在は人の想像力を掻き立てますが、その「力」の使い方には本来レッスンが必要です。「想像する力」は人を幸福にも不幸にもする。使い方を間違えてしまうこともあることを常に肝に銘じていたいと思います。
 幸福を「想像する力」といえば、世界的に有名な平和ソングで、ジョン・レノンの代表作でもある『イマジン』。この歌は妻のオノ・ヨーコが1964年に500冊限定で自費出版した『グレープフルーツ』(小野洋子)にの中の「想像しなさい」で始まる一連の詩作品にインスピレーションを得て作られました(現在では彼女も共作者として認知されていますが、発表からしばらくは知られていませんでした)。
 オノ・ヨーコは「ジョン・レノンの伴侶」としての印象が強烈で、一般的には現代美術家としての功績が忘れられがちです。しかし2009年には第53回ベネチア・ビエンナーレの生涯業績部門で「アートの言語に革命を起こした」としてパフォーミングアートとコンセプチュアルアート両面の実績から金獅子賞も受賞しています。まさに音楽と美術をつなぐ先駆け的実践者でした。ポップスターだったジョン・レノンもまた美術学校出身でしたので、彼女が提示した「現代アート」の持つ「表現の自由」や知性の在り処に共感したのだと思います。
 筆者個人が現代美術家としての彼女の存在に気づいたのは、80年代の学生時代に青山のギャラリーで見つけた一枚のポストカードがきっかけした。真っ白な紙の真ん中に直径1センチ程の穴が空いている。その作品のタイトルは「空を見るための穴/A HOLE TO SEE THE SKY THROUGH」でした。その1枚を手にした時になんて「自由」なのだろうと心が踊りました。その瞬間に自分の内側の「何か」が確かに解き放たれたことを覚えています。感動したというか。それはデュシャンの「泉」を見た時よりも遥かに印象的な、自分にとっての「現代アートとの出会い」だったのだと思います。オノ・ヨーコの初期の作品にはしばしば「穴 A HOLE」が登場しますが、それは息苦しい外の世界と心の内を柔らかにつなぐための「風穴」のような存在。小さいけれど、とても大きな力を持ったアートの扉でした。絵画や音楽を受動的に鑑賞する体験とは明らかに違う、哲学的な「問い」を受け取り考えるような出会いです。
 どちらかと言えば、それはジョン・ケージの『4分33秒』を知った時に近い感覚でした。「目からウロコ」というか、はっとなるような「気づき」です。後でわかるのですが、オノ・ヨーコもまたジョン・ケージの影響を受けていました。しかしそのケージは禅の影響を受けている。ヨーコの影響もあったかもしれませんが、当時のヒッピー文化の流れでレノンは禅の思想にも興味を持っていました。考えてみると「円相」のようで興味深いのですが、『4分33秒が』から「グレープフルーツ」が、そして『イマジン』が誕生します。ジョン・ケージからジョン・レノンへ。ふたりの「ジョン」の存在は20世紀の音楽に多大な痕跡を残しました。
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空耳図書館のはるやすみ➀『きこえる?』

空耳図書館のはるやすみ
推薦図書①『きこえる?』
はいじまのぶひこ作 福音館2012

 

 2015年3月に始まった「空耳図書館」の大切なテーマは「きく」ことです。「おんがくしつ」「哲学カフェ」「きのこの時間」、いずれも「きく」ための時間です。今回の推薦図書『きこえる?』も、特に「おんがくしつ」で毎回読み聞かせでご紹介しています。

 「きく」の”かたち”はひとつではありません。空気の振動(オト)をきく、誰かの話す言葉をきく、「花のひらく音」をきく。感覚器官の「耳」だけに限らず、視覚・嗅覚・触覚・味覚、手の平や皮膚、とにかく全身の感覚を研ぎすます│ひらいていく。それは「意識して」世界と関わり直す時間です。実験音楽や即興セッション、哲学対話、森でのきのこ探しも同じです。自分のウチとソトの世界に積極的に触角を伸ばすように世界を「味わう」時間です。

 しかし蓋のない「耳の穴」には日々どんどん音が入ってきます。世界を「味わう」ことは意外と難しいのです。例えば音のない世界を「きく」時は「目」を使います。当たり前に「五感」と言いますが人間の感覚は部品ではありません。全感覚を自分だけのやり方で使っているのです。だから本来「きく」は人それぞれで正解はありません。けれども「きく」を意識した瞬間、今まできこえていなかったちいさな声、音のない世界の存在にも気づくことがあります。

 現在、聾CODA聴では「音のある|ない世界」を行ったり来たりしています。その時間を通して音のない世界の「音楽」や「手話をきく」感覚も生まれていきました。この研究会では(オト)について「言葉」で説明することも多いですが、音の「質感」を説明する時には「口の中の感覚」を使うと伝わりやすいと感じています。「ツルンとしたゼリーのような音」、「ゴツゴツしたおせんべいのような音」。そんな愉快な表現が生まれていきます。五感マイナス1ではなく、聴覚を抜いた4つの感覚を混ぜて大きな〇にして捉えなおすのです。

 ところで、音楽の世界には(サウンドスケープ(音の風景)という言葉があります。これは1970年代にカナダのR.M.シェーファーという音楽家が世界に向けて発表したひとつの「考え方」です。現在「デザイン思考」という言葉が有名ですが、シェーファーは今から半世紀前に、「サウンドスケープ・デザイン」という社会を音からデザインする発想を持っていました。

 この考え方がうまれた20世紀後半は科学が飛躍的に進歩して、自動車やクーラーや電気製品が次々と開発され、人間の生活だけが急激に「便利で快適」になっていった時代でした。一方でアメリカとソ連(現ロシア)は核戦争の危機、世界中の美しい自然は経済のために破壊、農薬や大気汚染や騒音等の深刻な環境問題も起き始めていました。シェーファーは人間のエゴによって調律が狂っていく地球の未来を心配して、音楽教育を生きるための「全的教育」にしたいと願いました。音は光や火や原子力と同じエネルギーですから、音との関わり方や「きく」姿勢を学ぶことで世界を調和できると信じたのです。

 自分の住む部屋、学校、川、街、山、海、空。「きく」をどんどん広げていくと、いつの間にか「宇宙の音楽」に届きます。その音楽にはオトはありませんが、はるか昔の人たちにはきこえていました。そこから天文学だけでなく、哲学や数学や神話や占いなどが生まれていきました。

  偶然かもしれませんが、この絵本『きこえる?』は、まさに「サウンドスケープ」の考え方を美しい絵と文章で見事に表した一冊だと思っています。文字はほとんどありませんが、淡く深い色の世界にさまざまな音がきこえてきます。作者のはいじまのぶひこさんは絵本作家ではなく美術家です。

 心がざわざわ落ち着かない日々が続きますが、この絵本はとても静かな気持ちになれます。2011年の東日本大震災以降、私が最初に出会った大切な絵本です。最後まで読んだらそっと目を閉じて、まず自分の内側の音楽を「きく」ところから始めてみてください。

 ちいさなお子さまと一緒に読む場合はあれこれ音を想像しながら、または実際に音を出しながら読んでみると楽しいです。

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第9回「さがみスクラム写真展」の音風景

写真右)立石剛さん
写真右)立石剛さん

久しぶりに心が洗われる音でした。現在開催中の『さがみスクラム写真展』@相模大野ギャラリーにて。
 今回この写真展を知るきっかけとなったのは、このFBにも時々登場する音楽家・立石剛さんが地域ボランティアとして関わり、実行委員の皆さんと一緒に「音づくワークショップ」から会場内BGMを制作したと伺ったからです。
 立石さんとは、路上観察学会分科会で訪れた東大駒場博物館の展示『境界線を引く⇔越える』の印象的なサウンドスケープから出会いました。そこから福祉作業所オルタレゴや植物園カフェのアート・ディレクターの仕事、日常に生まれる繊細な「音たち」の息遣いに耳を傾け丁寧に掬い上げたアンビエントな"音の風景"に注目しています。アートユニットeje時代には岡本太郎美術館特別賞を受賞していますが、音楽と美術、オトとモノのあわいに生まれる「偶然性」や「記憶」に独特な静寂を見出します。今回のワークショップの手法も大変興味深かったですし、実行委員会の皆さんが紡いだ繊細な音たちが会場を包む一期一会のサウンドスケープも素敵でした。
 と言葉で説明してしまうと、あの独特な透明感に「色」がついてしまって何とも歯がゆい。お時間のある方はぜひ写真と共にその音風景を感じながら展示を見て頂きたいと思います。
 最近「音楽家/ミュージシャンの仕事」とは何かとよく考えます。作曲や演奏技術をAIやロボットでも代替可能な「職能」と捉える風潮には違和感がありますが、重要な問題提起だとも思います。音楽は言葉を越え、最終的には自作曲であってもやはり解釈とは異次元の「好きか嫌いか」でしか受け止められない。アウトプットされた音しか無いからこそ、プロセスや背景が大切になる。
 自分の感覚が世間の評価と一致しない場合も多々ありますが、正解/不正解は実は誰にも決められない。そもそも時代が変われば評価の基準も目的も変わっていきます。だからこそ「強いもの」だけが生き残る構造にはしたくない。なぜなら「音」には人間が根源的なところで響き合える何かがあるからです。それは大きくて強いものだけに限らない。それでは一体「何か」と問われても、10年近く探した「言葉」は見つかりません。ただ「いいな」と思う。
 立石さんはご自身の仕事を「音の行きたい方向に無理なく道筋をつけてあげること」と話していました。実行委員の皆さんがワークショップを通して耳をひらき、日常のなかで見つけた音、グラスや身体から生み出した小さな音たちと対話し、本当に心地よく、ちゃんとあるべき場所に置いてやる。それはそれは静かで、呼吸する余白のあるオンガクです。
 この写真展は「精神障害者の社会参加の促進」「障害の有無によらない市民間の交流」「精神保健福祉に関する普及啓発」を目的に今年で第9回を迎えます。特に今回は「時代」をテーマに、障害の有無にかかわらず広く市民から作品が募集されました。応募者の等身大の視点で切り取られた日常の一瞬からは、「みる」もまた「きく」と地続きにあり、世界は素晴らしく多様だということを再認識しました。
 駒場の博物館の中で思わず足を止めた瞬間をふと思い出しました。どこにいても、誰とつくっても、その音には嘘がない。すべての音、すべての人に居場所があるサウンドスケープは、この写真展のコンセプトそのものを象徴しているようでした。
音楽家/コネクト代表
ササマユウコ

『第9回さがみスクラム写真展』
2月9日(日)まで。
10時〜18時開催・無料
主催:さがみスクラム実行委員会
後援:相模原市 相模原市社会福祉協議会

聾CODA聴 第2回境界ワークショップ研究会「対話の時間」を実施しました。

実施日時:2019年12月27日(金)14時~17時

会場:アーツ千代田3331

対話人数(メンバー含む):14名(満席)

内訳:聾者4名、中途失聴2名、聴者7名 CODA 1名)
※当日キャンセル(聾・聴各1名)

メンバー:雫境(聾、身体)、米内山陽子(CODA、手話)、ササマユウコ(聴、サウンドスケープ)

写真協力:外崎純恵(弘前大学大学院)

アートミーツケア学会青空委員会公募プロジェクト2019

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聾CODA聴第2回研究会から「アナログ筆談」の考察

暮れに開催した『対話の時間』の記録を眺めています。当日の対話者は手話、音声、筆談(文字)を交えながらの13名(聾/難聴6名、聴者6名、CODA1名)。筆談方法は2種類用意しました。個人の「つぶやき」は手持ちのホワイトボードに、共有したいテーマや感想は2畳ほどのテーブルに敷き詰めた紙にカラーペンで自由に書きます。

 現在、文字のコミュニケーション・ツールは、UDトークを始め、スマホアプリやメールなど、大掛かりなアナログ要約筆記の装置からかなり進化しました。補聴器を使う高齢者も確実に増えていますから、文字の情報保障は聾聴どちらにとっても今後も注目すべきテクノロジーです。
 ただし世界には文字(言葉)にできないことがある。そのことを忘れてはなりません。逆に言えば、文字になったことだけが世界のすべてでは無いと意識しなければ、便利さと引き換えに切り捨てられていくこと、失うことが増えていくはずです。
 例えば「手話」は、情報を複合的に伝えられるユニークな言語です(音楽で言えばモノフォニーではなくポリフォニーというか)。顔の表情にも文法があり、手が描く線の質感にも意味があります。しかし聴者は、この豊かな和声の音楽から主旋律だけを抜き取ったような解釈をしがちですし、文字情報"だけ"を保障しようとする。これは既に聾聴を越えたコミュニケーションの本質の話になると思いますし、このプロジェクトの根幹にあるテーマですので、また後日。
 この研究会では写真や動画や身体を使うこともあります。聾聴に関係なく受け取れる非言語要素でテーマを共有するためです。さらに"対話の筆談"は紙にペン、アナログの方が非言語情報が乗りやすいと判断しています。特に今回のように10人以上の「対話」には適している。それはなぜでしょうか。
 文字を"書く"という行為の身体性、思考を表すスピード感、文字のかたちや大きさや色。内(思考)が外(文字)につながるプロセスが共有できることに加え、文字そのものに"その人"のキャラクターが垣間見えるからです。時には絵になり、線を引いて他者の言葉とつながり、時間を遡ったり枝葉を広げたり、境界線も越えられる。言語│非言語、音のある│ないを自由に行き来する感覚が、場の空気を柔らかくする。今回の参加者の方が「安心して参加できた」と書かれていましたが、まさに誰もが参加できるツールです。
 もちろんデジタルの良さもあります。今はタブレットで紙とペンのように"書く"ことも、スマホを使った集団ディスカッションも可能です。そもそもリアルな場を設けず、遠隔での"ネット対話"もできるでしょう。多数の見学者とライブで共有することも簡単です。
 しかし参加者にとって、それは「対話の時間」なのか?と考えます。なぜなら対話の定義は「向かい合って話すこと」だからです。向かい合うのはPCやスマホの画面ではない。例えば、思わず文字を書く手が止まるような"沈黙"の意味を見落とさない。アウトプットされた文字だけを情報としない。書き損じや試行錯誤のプロセスを削ぎ落とした表層的な時間をつくらない。そもそもの'書く技術"に格差がある状態も避けたい。
 ちなみに、この聾CODA聴の研究会は効率的なシステムを考える場ではありません。ここではアートやケアにとって大切な「言葉にならないこと」や多様で柔らかな人と人とのつながり方を、音のある│ない世界を行き来するアーティストたちが当事者として思考し、場を広くひらいています。
 アナログ筆談(紙とペン)に話を戻せば、持ち運びが軽く、電気もいらない。後から"時間の足跡"をひと目で見返せる、しかも安い。効率とは何だろう?と思います。紙とペンは音のある│ないをつなぐ神ツールなのでした(笑)。
 誰もが普段から筆談用具を持ち歩くことで、社会の意識も変わっていくはずです。も
ちろんスマホも立派な道具になりますので、お出かけの際はお忘れなく。

◎当日の詳細は後日あらためてレポートします。(文責ササマユウコ)

(アートミーツケア学会青空委員会公募プロジェクト2019)

#聾CODA聴 
www.facebook.com/improcafe

第2回境界ワークショップ研究会

『対話の時間』

雫境(聾/身体)

米内山陽子(CODA/手話)

ササマユウコ(聴/サウンドスケープ)

協力 外崎純恵(弘前大学大学院)

主催:芸術教育デザイン室

   CONNECT/コネクト

www.coconnect.jimdo.com

#アートミーツケア学会 #対話の時間 #雫境 #米内山陽子 #ササマユウコ 

#手話 #非言語コミュニケーション

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2020年のご挨拶

新年早々、世界のサウンドスケープは騒々しい。人の分断は「境界」を意識した瞬間から始まったのかもしれません。
12月27日には聾CODA聴「対話の時間」を実施しました。音のある|ない世界を行ったり来たりしながら、初めは緊張君だった参加者たちが徐々に打ち解け、最後は世界を分けていたと思っていた境界線が消えていくような瞬間も生まれ、参加された方はそれぞれの気づきを言葉に残していきました。また詳細は後日レポートいたします。

 

ホームページ作業は「リアル」な時間との兼ね合いもあり、最近はなかなか思うように時間が取れませんが、日々の活動はFacebookがほぼリアルタイムでご覧いただけますので、興味のある方は「いいね!」でフォロー頂けると幸いです。

2020年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

以下はFacebookからの転載ーーーーーーーーーーーーーーー

2020年が始まりました。
2014年より有機的に進んできたコネクトの思考実験。最終的に、この窓からどのような世界が見えるのかまだ想像が尽きません。活動にも相変わらず「正解」はありませんが、過去をふりかえると「間違ってはいない」気がしてきました。2020年は6年目の節目ということで、不定期になりますが「オフィス訪問アワー」を設けます。月に1度、この時間帯は代表が必ずオフィスにおりますので、活動に興味のある方はお気軽にお訪ねください(アポなしで結構です)。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
 さて、2019年度の大テーマは「考える」。今年度最後の予定は以下の通りです。募集は2月から、順次お知らせしますのでどうぞご注目ください。
①3月14日(土)18時30分
おとなの空耳図書館
 『哲学カフェ入門』
@ユニコムプラザさがみはら
(相模原市立市民・大学交流センター)
テーマは「死」。老いも若きもいっしょに考えてみませんか?進行役は昨年3月のキックオフと同じ、上智大学の寺田俊郎先生(哲学)です。

②3月(日程は決まり次第告知いたします・都心開催予定)
聾CODA聴『対話の時間②』
 12月27日の研究会『対話の時間』の第2弾です。音のある│ない世界を行ったり来たりしながら、聾CODA聴の対話の場をつくります。
メンバー:雫境(聾)、米内山陽子(CODA)、ササマユウコ(聴)
※アートミーツケア学会青空委員会公募2019プロジェクト

◎1月のオフィス訪問アワー
1月22日(水)12時~15時

以上、どうぞよろしくお願いいたします。

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空耳図書館のはるやすみ2021・宮沢賢治の心象スケッチ『春と修羅 序~わたくしといふ現象は』


【映像/空耳図書館のはるやすみ2021・立春】

 文字通り想定外の2020年でしたが、個人的には思考の映像作品をかたちにしたり、オンラインに移行したり、発見や学びの多い1年でした。先行きが不透明だからこそ「今」に集中しながら日々を進めています。年明けは信頼する仲間たちと、こちらからスタート。今出来ること、やるべきことを淡々と。2011年から10年目の春です。

【空耳図書館のはるやすみ2021】

今日は一陽来復、もとい一陽来福。昨年の冬至『空耳図書館のふゆやすみ』(子どもゆめ基金助成・読書活動)では雪がちらつく中、コヒロコタロウの皆様に大変お世話になりました!あれからの1年がまさかの1年になろうとは。当日の推薦図書だった『すーびょーるーみゅー』(土佐正道、谷川俊太郎)級の天変地異、天地創造の日々は今も続いています。東京は感染拡大が気がかりですが、2021年は『空耳図書館のはるやすみ』で宮沢賢治の”心象スケッチ”をきくことからスタートします。100年前に静かに世に放たれ、今も輝き続けている作品の魅力を探っていきます。

 先の見えないコロナ時代だからこそ柔らかに、また同メンバーで積み重ねてきた「カプカプ祭りの方法論」を創作にも応用していけたらと思っています。最終的には公開ライブパフォーマンスや展示等にできるように(それはコロナ収束後かもしれませんが)、長い時間単位で捉えたプロジェクトです。出演者やスタッフという既存の役割を越え、メンバーが同等に知恵を出し合い、表現ジャンルを超えたコレクティブな実験読書会『空耳図書館』を提案していきます。

1冊の本から生まれる森羅万象をお楽しみに。

【映像】空耳図書館のはるやすみ2021・立春

 宮沢賢治・心象スケッチ

 『春と修羅・序~わたくしといふ現象は』

『空耳図書館2021』メンバー(50音順)

 新井英夫/板坂記代子/小日山拓也/ササマユウコ

 協力:石橋鼓太郎、三宅博子

主催:空耳図書館(ディレクター:ササマユウコ)

助成:文化庁文化芸術活動の継続支援事業(第四次申請中)

(C)2021空耳図書館

〇この件に関するお問合せ

芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト(tegami.connect@gmail.com)


【寄稿】「さいたま国際芸術祭2020」をみて

 3月から延期になっていた『さいたま国際芸術祭』が無事に開催された。最終日近く、大学で同じ学芸員過程を履修している友人と訪れることが出来た。友人と一緒にどこかへ行くのは初めてだった。

写真①最果タヒ『詩の停止』
写真①最果タヒ『詩の停止』

 大宮駅前は新旧が入り混じる商店街があって、多くの人で賑わっていた。初めて来たのにどこか懐かしい気持ちになる。商店街を抜けて芸術祭のメインサイトとなる旧大宮市役所から旧大宮図書館(アネックスサイト)へ移動する途中、小さな地下道に寄った。足元には個人的にも大好きな最果タヒの詩が書かれている(写真①)。今回楽しみにしていた作品のひとつだ。研ぎ澄まされた言葉を辿って静かな空間を歩くと、彼女の詩集を読んでいる時の感覚を思い出した。少しだけ、内側が透明になる。この感じを忘れたくなくて、この日も帰宅してから彼女の詩集を読み返した。賑やかな街の地下にひっそりとある異世界は、まるで今の大学生活のようだ。

 釜ヶ崎芸術大学『ことばのむし干し(星)』が印象的だった図書館の展示(写真②)。この後、すぐ近くにある氷川神社に行った。

写真③氷川神社のふくろ絵馬
写真③氷川神社のふくろ絵馬

  奉納された色とりどりのふくろ絵馬が花屋のように綺麗だった(写真③)。このひとつひとつに誰かの願い事が込められているのは素敵だ。展示を見ながら、神社の参道を歩きながら、おやつを食べながら、友人ととりとめのない会話をした。大学のオンライン化で一番困るのは、気軽に雑談できないことかもしれない。同じ空間を、時間を誰かと共有するなんて、ずっと気にも留めない日常だった。それがコロナ禍の今は本当に貴重で、新鮮で、何より嬉しかった。

写真④篠田太郎『ニセンニジュウネン』
写真④篠田太郎『ニセンニジュウネン』

 オンラインで授業を受ける生活で、私にとっての時間はPCの右上に表示される4桁の数字だった。音もなく過ぎていく時間。この展示では砂時計のような、あるいは枯山水のような空間に身をおいて、時の流れを久しぶりに身体から実感できたと思う。(写真④)市役所時代そのままの「高齢介護課」の看板がふと目に止まる。今この瞬間も、私の中の時間は過ぎているのだと感傷的な気持ちになった。10代最後の一年、その貴重な時間を噛み締めて生きようと思う。

砂の落ちる音は時が流れる音なのだ。

写真⑤須田悦弘『チューリップ』
写真⑤須田悦弘『チューリップ』

 須田悦弘の作品は、小学生の時に横浜美術館で目の見えない人たちと一緒に鑑賞したことがある。再会。道端で季節をめぐる花が咲いているのを見つけた時の気持ち。(写真⑤)見つける前より少しだけ心が色づいたような感覚。花はしばしば儚さの象徴とされる。確かに、どんなに綺麗な花も時間と共に散ってしまう。けれど無になってしまう訳ではないと思う。人々の心に、大地に、花の気配は残っている。「花びらは散っても花は散らない」という仏教の言葉を思い出した。

 今回の芸術祭のテーマは「花」だ。そして私の名前も「花」である。実はこの繋がりが、東京から埼玉へ芸術祭を見に行く決め手にもなった。芸術祭を通して、いろいろな人の「花」を見てみたいと思った。「花」を感じて、「花」とは何か考えること。それは私にとって、自分の内側と向き合うことでもある。白い無機質な壁から咲く花は、地面のすぐ下には土があることを思い出させてくれる。

写真⑥会場の地下に広がる異世界
写真⑥会場の地下に広がる異世界

  会場の地下にも異世界がある。梅田哲也『0階』(写真⑥)。ミラーボールが回る食堂。空の棚が並ぶ倉庫。くるくるとあっという間に針が進む時計。会場の前を通り過ぎてゆく人々は、地下に異世界があることを知らない。考えてみると、とても不思議な感じがする。アスファルトを突き破って咲く前の花を見たような気がした。

写真⑦梅田哲也『0階』
写真⑦梅田哲也『0階』

(写真⑦)私の中にも、まだ誰も知らない異世界があって、そこには花が眠っている。きっと、一緒に芸術祭をまわった友人の中にも、私とは違う世界が、花がある。まだ互いを認識してから2ヶ月ほど。実際に会うのは数回目の友人は、私にとって未知の世界だ。なかなか会うことはできないけれど、これからお互いの世界を共有できたら良いなと思う。

 ひとの中に花が眠っていると思うと、少し優しくなれる気がする。誰かの、そして自分の中にある花を大切にできる人になりたい。
「花」がテーマである今回の芸術祭を通して、そう強く思った。


寄稿・今井花
お茶の水女子大学文教育学部人文科学科1年。課題に追われつつ、Web記事を書いたり、演劇をつくったり、入学と同時にオンラインで学生生活。寝ることが好き。


アートミーツケア学会2020オンラインに登壇しました。

 多様なフリンジ企画、エクスカーションとともに先週末11月21日(土)、22日(日)にオンラインで開催されたアートミーツケア学会オンラインに、コネクト代表ササマユウコが登壇しました。この学会では聾CODA聴プロジェクトに対して、2017年、2019年度の公募助成を頂いています。

 登壇したプログラムは先日サントリー学芸賞を受賞された美学者・伊藤亜紗さん(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授)をゲストに迎えた九州大学大学院芸術高額研究院(中村美亜、長津結一郎)主催の『with コロナトーク』でした。基調講演にあたる伊藤さんのお話は近著『手の倫理』を拝読したばかりで期待通り示唆に富んだものでしたし、オンラインの身体性や感覚の意味を捉え直す機会にもなりました。

 後半の発表では、3月の緊急事態宣言、コロナ自粛下で始まった横浜の福祉作業所カプカプ(新井英夫&板坂記代子さんの身体ワークショップ)に5年間音から関わる自身の視点から、9月のカプカプ祭りオンラインを迎えるまでの半年間の試行錯誤をお伝えしました。ちなみに伊藤さんは昨年のカプカプ祭りに足を運ばれていたので、私自身の今年の特殊な体験を的確に言葉にして頂けたようにも思います。そして、あらためて他者の視点から振り返ることで自分が『何を』体験したのかが明確になることを実感しました。団地の壁に投影されたり、芝の家音あそび実験室(コヒロコタロウ)と共にオンラインで祭りに音をつけたりと、アーティストとしても実験的&先駆的な経験だったのです。

団地のピロティの壁に投影されている自分(カプカプ写真提供)
団地のピロティの壁に投影されている自分(カプカプ写真提供)

 不安の中で進んできたコロナ時代に変わったことは『進化』であり、変わらなかったことは『真実』なのだと今は思います。スタッフの皆さんとの月一会議、迷いながらも信頼をぶらさず進めていけた関係性はコロナ以前から築かれたものであり、緊急事態にこそ真価を発揮すると思います。アートや祭りは人間や社会が厳しい時を生き抜く知恵として『手放さなかったたからもの』。福祉は『最後の砦』として、変わらずそこにあり続けます。信念を貫くには『リスク』も伴いますし、そのリスクを引き受ける覚悟も必要とされる。人間の尊さについて考える時間がたくさんありました。
 よくカプカプ所長の鈴木励慈さんは『うちはアート系ではないです』とおっしゃっていますが、それはアートをつくることを目的にしている場ではなく、結果的に『アートがはじまる場』であろうとする意志表明として受け止めています。今年は『神様』も生まれました。伊藤亜紗さんが前段で『アナーキズム』というキーワードを出され、これぞまさにカプカプを表す一言だなと思いました。オンラインで『一歩飛び出した』カプカプの事例が、どこかの誰かのヒントになればいいなと思いました。
 今回のオンライン学会では日本国内に限らず、アジア諸国(台湾、カンボジア、ミャンマー、タイ)の実践者もライブでつながる大変実りの多い場でした。多言語&通訳の入る場面ではまだ試験段階ですが、UDトークによる『情報保障』も始まりましたので、是非今後も注目して頂ければと思いました。研究者と実践者/当事者がフラットにつながることが出来る貴重な学会だと思います。さらに『サウンドスケープ』哲学の提唱者/M.シェーファーは著書『世界の調律』(平凡社)の中で、40年以上も前に『社会福祉』につながることを示唆しています。

〇カプカプ祭りの様子が11月20日発売の『コトノネ』に掲載されています。


執筆:ササマユウコ/音楽家、コネクト代表

2011年の東日本大震災を機に、サウンドスケープを『耳の哲学』と捉え直して社会の内と外を思考実験しています。空耳図書館ディレクター、即興カフェ主宰、執筆活動等。


地域コミュニティとサウンドスケープ

8か月ぶりにリアルで音が出せた団地のピロティ。オンラインではここに4台のスピーカーが設置されサラウンドの音響でした。
8か月ぶりにリアルで音が出せた団地のピロティ。オンラインではここに4台のスピーカーが設置されサラウンドの音響でした。
初代「芝の家」があった場所は今原っぱに。周囲はオフィスビルが立ち並ぶ、まるで昭和時代の保護区のような場所。
初代「芝の家」があった場所は今原っぱに。周囲はオフィスビルが立ち並ぶ、まるで昭和時代の保護区のような場所。

 先週はふたつの地域コミュニティに「音/サウンドスケープ」で参加しました。

ひとつは9月のオンライン祭以来、リアル参加は8か月ぶりとなった横浜旭区光が丘団地にある福祉作業所カプカプ(新井英夫&板坂記代子身体ワークショップ)、そして港区×慶応義塾大学が運営する地域コミュニティ「芝の家」の地域祭りです。
 カプカプでは8か月間のオンラインWSで見慣れた団地のピロティで、芝の家は原っぱを拠点にしたいずれも野外活動でした。団地のピロティはオンライン中は4台のスピーカーを設置したサラウンド音響でしたが、この日は私(音)が動きまわりました。芝の家はここを拠点に活動する「音あそび実験室」(2019年度の空耳図書館、カプカプ祭りでも応援いただいたコヒロコタロウ運営)のチンドン隊応援でした。彼らが別途に関わる千住音まちプロジェクトからも応援がきて、祭りにふさわしいハレの日の音風景を添えることができました。いずれも野外、音源が動くことで風景をつくっていきました。
 特に路地の「練り歩き」は、古い商店街からオフィスビル街へと周囲の環境によって音の風景が変わっていく様子が街の奥行きとなって大変興味深かったですし、音に誘われて大豆を入れた即席ペットボトルシェーカーを手に、小さなお子さん家族が飛び入り参加してくれたのもうれしかったです。コミュニティを包み込むように、愉快な音の風景が生まれていきました。
 特にコロナ禍の今年は、リアルで音を出せること自体が貴重な場となりました。同時に野外活動の可能性は広がったとも思います。だからこそソーシャルディスタンスをとりつつ、全体を包み込むようなサウンドスケープの音づくりがコミュニティを「つなぐ」。それはすでに40年以上も前にカナダの作曲家M.シェーファーが自らの実践を通して実証しています。いわゆる楽曲を練習して合わせるのとは違う「音のコミュニケーション」は、身体的な距離感が求められる今こそ必要な非言語コミュニケーションとも言えます。音楽はなぜ生まれたのか、音楽とは何か。あらためて原点に立ち返るような時間でした。

本日のカプカプセット。秋の森や海をイメージして。
本日のカプカプセット。秋の森や海をイメージして。

 民族楽器や手作りは誰でも簡単に音が出せて、長時間の特別な訓練を必要としない楽器も多いです(演奏家として関わる場合は別ですが)。自然や日用品をモチーフに作られた素材や音質の楽器は平均律という枠組みを超えて、みんなで同時に音を出してもカオスになりにくい。それは音量や音質が聴覚の限界(身体性)を超えないこともありますし、これが自然の「調和」とも言えます。カプカプのメンバーも抜群のアイデアで音を奏でてくれます。子どもたちはモノ(楽器)の扱い方、つまりは外界との関わり方も掴んでいきます。

 音楽家があらかじめ楽器セットを用意する時には「サウンドスケープ・デザイン」の思考が必要です。すべての楽器が同時に鳴った時にどんな「音の風景(サウンドスケープ)」が生まれるか、それを想像する力や感覚を育むためには「サウンド・エデュケーション」がおすすめです。


筆者:ササマユウコ(音楽家・サウンドスケープ研究)

2000年代に洋の東西をつなぐCD6作品を発表。2011年の東日本大震災を機にサウンドスケープ研究、2014年芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト設立。音×言葉をテーマに「空耳図書館」「即興カフェ」主宰、執筆等。


日本音楽即興学会に参加しました

10月31日、11月2日にオンライン(神戸大学)で開催された日本音楽即興学会に参加しました。
東日本大震災を機に、2011年から2013年までサウンドスケープ哲学研究でお世話になった弘前大学今田研究室からも発表。東京からの距離が遠くなってしまった弘前の動向を、神戸で伺うことができたのはコロナ禍の副産物とも言えます。

 この学会は音楽学者・若尾裕先生をはじめ関西方面の研究者や音楽家が中心となって2008年に設立された非常にユニークな学会です。この学会の原点にある若尾先生はサウンドスケープを日本に紹介した『世界の調律』の訳者の一人で、M.シェーファーのインタビューを含む『モア・ザン・ミュージック』も出版されています。また音楽批評家としても非常に先鋭的かつ刺激的な視点をもち、音楽教育、音楽療法、実験音楽のクリエイティビティな面に光を当ててきました。現在は音楽家/研究者の寺内大輔さんが中心となって関西を拠点に運営されています。

 2020年は二日間のオンライン開催でした。コロナ時代も半年以上が過ぎ、オンラインならではの刺激的な発表もみられました。特に関西の即興グループ「野営地」が試みたオンライン遠隔即興セッション、作曲AIを使ったデモンストレーション、小学校高学年向けプログラミング開発、弘前大付属支援級と普通級の合同音楽授業の事例、サウンドペインティング、バロック即興ワークショップ事例など、「即興」を切り口に世界をさまざまな角度から捉え、過去/現在そして未来を見つめていく時間でした。冒頭のシンポジウムには経済学者や医療従事者が参加、音楽をホリスティックに捉え直す即興的なトークセッションでした。

 ちなみに日本には残念ながら「即興音楽」を総合的に学べる大学・大学院は存在しません。音楽とは何か、即興音楽とは何か?貴重な機会から得た示唆を糧に、今いちど言葉にして考えていきたいと思いました(サ)。
〇若尾先生のご紹介は2016年に体奏家・新井英夫さんと出演した座談会「生きることは即興なり、それはまるでヘタクソな音楽のように」(@下北沢B&B)でもご紹介しています。


執筆:ササマユウコ(音楽家・CONNECT/コネクト代表)

2000年代、洋の東西をつなげたCD6作品を発表。2011年の東日本大震災を機に、サウンドスケープを耳の哲学に社会のウチとソトを思考実験しています。上智大学卒、弘前大学今田匡彦研究室(2011~2014)。映画、出版、公共劇場等を経て、町田市教育委員会まちだ市民大学(2011~2014)運営担当。同年、芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト設立。


空耳図書館「きのこの時間③」実施報告

【空耳図書館きのこの時間③】

実施 2020.10.14@明治神宮の杜

テーマ「内と外をきく」

推薦図書『きのこのなぐさめ』ロン・リット・ウーン 枇谷玲子、中村冬美訳 みすず書房2019

参考図書『まつたけ〜不確定な時代を生きる術』アナ・チン 赤嶺淳訳 みすず書房2019

 明治神宮で開催中の野外彫刻展を道標に外苑→内苑を歩く音楽×美術×哲学散歩「きのこの時間③」を実施しました。今回は「コロナ時代の新しい'音楽のかたち’を思考実験する」プロジェクトの一環です。昨年と変わらずに(しかし変幻自在に)存在するきのこたちの生命力に触れながら、コロナ禍の日々を振り返り、推薦図書を頼りに音楽や芸術の課題や展望にも想いを馳せていきました。

 天候は暑からず寒からず、絶好のきのこ日和。参加者の検温や感染予防対策、ソーシャル・ディスタンスも意識しながらになりますが、野外ならではのリラックスした雰囲気の時間となりました。柔らかな時間の質感は身体感覚を重視した活動には大切な要素です。何より参加者同士で気配りが行き届く少人数ならではの深まり方があったと思います(これは数年前に弘前大今田研究室が示唆していた「小さな音楽」論にも通じます)。

 きのこの他にも印象的だったのは、ちょうど参拝客の「願い事」が書かれた沢山の風鈴たちが参道に飾られ始めていたことです。疫病退散、世界平和から個人の幸福まで、祈りと芸術がひとつになった100年めの都会の杜の音風景。今は観光客の姿がほとんど消えていますが、沈黙している訳ではなく杜で働く人たちや生きものたちが活動する音、さらに上空や周辺の環境音(ヘリコプターや原宿駅構内)が浮き立ち、思いのほか賑やかなサウンドスケープでした。人工の杜は人々が絶えず手を入れることで健やかな命を繋いでいく。「持続可能な仕事」にはエコロジカルな視点が欠かせませんし、音響生態学としてのサウンドスケープはその指標にもなり得ます。

 昨年の開催は7月でしたので、肝心のきのこの風景は今回まったく違うものでした。おそらく数日でこの風景も変わってしまうので、きのことの出会いは本当に一期一会だと思います。しかも彼らに出会うためには森に足を運び、何より探さなくてはなりません。案内人にも出会える保証はない。しかしそこにあるのは半ば根拠のない「希望」や「期待」であり、探すために歩くことは何ともポジティブな行為です。不思議なほど何時間でも歩けてしまう。そのアドレナリンの出方は「路上観察」にも通じます。歩きながら音をきいたり話をしたり、何より探しものをしながら、世界に全感覚をひらいていく。誰からも否定されることの無い自由意志。自己と他者が立場や世代を越えて、理屈や利害関係抜きで成立する芸術活動。その緩やかなつながり方や関係性こそ、まさに菌で繋がるきのこのようです。

 詰まるところ「きのこの時間」とは、自分の身体を通して手に入れる「魔法の時間」です。その証拠に魔法が解けたら足が棒になっているのでした。

きのこの時間③ 「内と外をきく」

きのこ案内 小日山拓也

空耳図書館ディレクター ササマユウコ

主催 芸術教育デザイン室CONNECT /コネクト

(文化庁活動継続支援事業)

#空耳図書館 #きのこの時間 #空耳散歩

映像・空耳散歩#01『Listen/Think/Imagine』公開されました。

こちらから動画が見られます。

『空耳散歩』シリーズはサウンドスケープを「耳の哲学」にオンガクの内と外を思考実験する実験映像です。コロナ禍で活動自粛中の2020年、コネクト代表ササマユウコの個人プロジェクトとして展開しています。2014年からコネクトで展開している「空耳図書館」や音×言葉「即興カフェ」のエッセンスを感じて頂けます。

 「Listen/Think/Imagine」をテーマに、第1弾は突然始まった#Stay Home(春分から夏至まで)の「オンガクとは何か?」を模索する内的思考の時間、またそこから発展したImage「夏至の空耳」の2部構成12分です。リアルとイメージを行き来するオンガクの時間をどうぞお楽しみください。

 また今後はこの映像を「オンガク×哲学の種」にオンラインイベントも展開予定です。哲学カフェやトークイベント等をご希望の方はお気軽に下記までご相談ください。

 

空耳散歩 Listen/Think/Imagine」上映時間12分 

第1部「内的思考の時間」半径500メートルの宇宙 Inside⇔Outside 

第2部(6分28秒~)「夏至の空耳」Imagine as a Soundscape

 

〇ゲストプロフィール(第2部参加)

雫境/DAKEI・・Poetry body movement by Deaf

聾の舞踏家。舞台と映画を中心に国内外で身体表現/舞台芸術の可能性を追求している。2016年牧原依里と共同で映画『Listen リッスン』監督、現在はカンパニー・デラシネラ小野寺修二演出の作品にも参加している。東京藝術大学大学院美術科博士後期課程修了。「聾CODA聴プロジェクト」では非言語ワークショップを研究中。

「濃淡」主宰 www. noutan-in-a-line.jimdosite.com

 

小日山拓也 Takuya Kohiyama・・・Art of lights&Poetry Reading 

野外影絵上演、手作り楽器ワークショップ、まちづくりアートプロジェクト「千住の1010人」、インドネシア民族音楽リサーチ等、主にフィールドからオンガクと美術の領域を横断するユニークなアーティスト。だじゃれ音楽研究会、芝の家・音あそび実験室メンバー(コヒロコタロウ)。きのこ愛好家としても知られ、空耳図書館「きのこの時間」案内人も担当。東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒。

 

監督・編集・テキスト・ピアノ/ササマユウコ www.yukosasama.jimdo.com

編集協力/Hana IMAI 録音協力/音響工房アナログ式 

(C)2020 芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト

〇この作品に関するお問合せ・・・tegami.connect@gmail.com「空耳散歩#01」

実験映像「空耳散歩#01 Listen/Think/Imagine」を制作しました。

2014年から展開している音×言葉の活動「空耳図書館」「即興カフェ」等の「耳の哲学」エッセンスを実験映像にしてご紹介します。

前半はコロナ自粛下の「内的思考の時間 目できく、耳でみる、全身をひらく」、後半は夏至の日の「宇宙の音楽 Musica Musica」をゲストアーティスト(雫境、小日山拓也)と共に制作しました。この映像は東京都文化芸術支援「アートにエールを!」専用ページ他で公開し、今後シリーズ化していく予定です。オンガクをはじめ芸術の世界でも新しい生活様式が叫ばれる昨今ですが、ひとつの「様式」は一朝一夕で構築されるものではなく試行錯誤を繰り返す時間も必要です。「オンガクとは何か?」という問いに立ち返るきっかけとなるような作品となれば幸いです。

 〇公開されたらまたお知らせいたします

 →詳細 コネクト代表ササマユウコ個人ホームページにて


空耳図書館推薦図書9冊(おとな編)

コロナの時代に新しく求められる音楽教育のヒントになれば幸いです。
赤ちゃんは言葉を発するまでに1年間、周囲の世界をじっくり受け止めます。きく/みる/さわる/かぐ/味わう、いわゆる「5感」という境界線を引かず全身全霊で世界とつながること。音楽教育もいきなり聴覚だけ、音だけ、楽器や歌に向き合うのではなく、まずは全身を世界にひらく体験を重ねてもよいと思います。哲学的思考へとつながる対話型鑑賞も可能性があるでしょう。その時間が内と外をつなぎ、結果的に実際に音をだす「音楽」への近道ともなります。教室内で一斉に吹かれる鍵ハモのサウンドスケープは、はたしてオンガクだったか。音楽とは何か、この機会に考える時間も大切です。
 代表ササマユウコは弘前大学今田研究室や自治体生涯学習の実践から日本音楽教育学会発行『音楽教育実践ジャーナル』『音楽教育学』等にも音のワークショップの可能性について寄稿しています(査読あり。執筆名・今井裕子)。コネクトでは主に「空耳図書館のおんがくしつ」「即興カフェ」を通して新しいオンガクのかたちを提案しています。写真の本は推薦図書として毎回ご紹介していますので、どうぞご参照ください。

(写真左上から時計回り)

『センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン 遠野恵子訳 新潮社1996

『音楽の根源にあるもの』小泉文夫著 平凡者ライブラリー 1994

『波の記譜法 環境音楽とはなにか』芦川聡遺稿集ほか 小川博司ほか 時事通信社1986

『音さがし本 リトル・サウンド・エデュケーション』R.M.シェーファー/今田匡彦 春秋社増補版2008

『世界の調律 サウンドスケープとはなにか』R.M.シェーファー著 鳥越けい子ほか訳 平凡社1986

『聴くことの力 臨床哲学試論』鷲田清一著 TBSブリタニカ1999

『親のための新しい音楽の教科書』若尾裕 2014 サボテン書房

『グレープフルーツ・ジュース』オノ・ヨーコ著 南風椎訳 講談社1993

『サイレンス』ジョン・ケージ著 柿沼敏江訳 水声社 1996


【代表から】コロナの時代〜新年度のご挨拶

【新年度の代表ご挨拶】
 誰もいない川べりを散歩していると、世界の騒ぎとは正反対に日を追うごとに水が綺麗になっていくのがわかります。小鳥たちも心なしかのびやかに歌っている。桜は冷たい雪や雨に散ることもなく満開を迎えました。深呼吸をして周囲を見渡せば、自然はいつもと変わらない。むしろとても春らしい春が訪れています。しかし人間だけが春の訪れに気づく余裕もないどころか、自然の営みから外れてしまった。人間とは何だろう。今思わずにはいられません。
 ちいさな音楽家だった私がサウンドスケープという「世界の考え方」を研究し始めたのは2011年の東日本大震災・原発事故がきっかけでした。放射能が降りそそぐ世の中で「音楽とは何か」が突きつけられ、その答えが見つけ出せなくなったことが最大の理由でした。「考える」こと、そして懐疑的だった「言葉」に寄り添うこと。音楽がすべてだと思っていた自身にとってそれは修行のような日々でしたし、こうして文章を書いている今も心持ちはほとんど変わっていません。本当に言いたいことを追いかけるように言葉を紡いでいる。10年近く経ってもやはり「音」を越えることが出来ないのです。その発見が「音楽とは何か」の答えなのかもしれません。
 思考実験の拠点として2014年に芸術教育デザイン室CONNECT/コネクトを設立しました。オフィス入居先の相模原市立市民・大学交流センターは現在3月頭からロックアウト、残念ながら感染者の続く市内は、公共施設の再開目途が立っていません。5月はちょうどオフィスの更新時期ですから、今後の活動の「かたち」についていよいよ考えなければならない時期にきました。まさに6年目の総仕上げともいえる壮大な思考実験です。この6年、大学や先駆者たちを訪ねる活動から始まり、芸術家と研究者が「フラットにつながること」を前提に様々な実験をおこなってきました。言葉に残していきたいことも沢山あります。
 しかし現在、日本の大学はリモート環境の整備を含め「大変革」を余儀なくされ、芸術家の経済基盤は自粛の嵐で大変厳しい状況となっています。この先、両者間の「フラットな活動の場」は容易には成立しないでしょう。しかしそれはあくまでも「システム」の話しで、「表現の自由」や「考えること」が規制されるわけではない。むしろ自粛しすぎた先に自由を見失った世界は、たとえウィルスに勝っても(勝つ、という発想自体に疑問を感じていますが)、さらなる危機的状況が続くだけです。なぜなら人間には「身体」だけでなく「心」があるからです。

 この30年近く、音楽活動とは別の経済活動として民間の文化事業、公共の教育事業等にも関わってきました。今当たり前にあるこの国の文化芸術施設のほとんどが(一部の公共施設を除いて)存在しなかった。あの頃の時代の記憶に想いを馳せます。パイオニアだった先駆者たちの多くは「戦争」の経験者たちでした。市民の暮らしにとって文化芸術や表現の自由が必要不可欠であることを身を持って知る世代が、平和や自由の尊さを噛みしめながら取り組んでいました。

 ウィルスが、ある意味で戦争以上に厄介なのは「目に見えない」ということです。芸術の得意分野である「想像力」を正しく使わなければならない。怖れすぎても、楽観すぎても駄目なのです。時には「運命」と感謝したり諦めることが必要になるかもしれない。それはすでに「祈り」です。疫病から沢山の芸術文化や宗教や学問が生まれたことは人類の歴史が教えてくれます。ニュートンはペストの疎開中に万有引力を発見しました。クリムト、シーレ、アポリネールはスペイン風邪で命を落としています。疫病の先はルネサンスか世界大戦か。疫病から何を学ぶのかは私たちの想像力と創造性にかかっていると思います。
 この瞬間にも「コネクト(つながる)」のかたちが根本から問われている。それを全世界が同時に体験していることは考えれば不思議です。おそらく次世代の文化芸術はまったく違うかたちをしているか、原点回帰しているかでしょう。もしくは「芸術」という概念そのものが変容していることも考えられます。

 人間とは何か。絶対に変らない「真理」、そして二度と戻らない「変化」。思考のウチとソト、ミクロとマクロのコスモスを柔らかにつなぐ方法はまだ見つからない状況です。
 「信頼すること」と「社会的距離を置くこと」も同時に求められるでしょう。心理的距離と物理的距離の基準が変わります。距離を保つことが信頼や思いやりに変わるのです。コロナ以前に築かれた関係性は、つながる「かたち」が変っても対応できるでしょう。しかしまだ何も始まっていない、ゼロからのコミュニティはどうすればいいか。コミュニケーション方法そのものが変ってしまったら、「身体」と「心」の関係性も大きく変わるかもしれません。

 少し想像してみてください。他者と切り離された子どもたちは、いったいどうやって「ともだち」を作るのでしょうか。「ともだち」の定義そのものも変るのでしょうか。
 大人たちはどうでしょう。経済活動や社会的任務を別として、感染リスクを冒してでも「つながりたい」と思う動機はありますか?そこで問われるものは何でしょう。「愛」の有無でしょうか。「愛」があればリスクは怖くないですか?では、愛する人を感染させてしまった自分を愛せるでしょうか。自分を愛せない人生を送れるでしょうか。そもそも「愛」とは何でしょう。
 頭だけでは到底処理できない、もはや全身で考えても追いつかない思考実験です。そしてこの実験は間もなく実践へと変わります。身体を隔離すれば多くの「リスク」は解決します。しかしそこで「失われる」ものの価値も知っておかないとなりません。かたちだけ整えることは「思考停止」を生みかねない。これは大変な難題だと思います。急場のシステムに取りこぼされたものたちを丁寧に掬い取ること。そんな小さな活動にコネクトの使命を感じ始めています。

 この6年間の活動は下記サイトからご覧頂けます(いつの間にか2000近い「いいね!」を頂きました。ありがとうございます)。何か少しでもヒントになりそうなこと、思考の種を今後も綴っていきます。ご質問等がありましたらいつでも下記までご相談、ご連絡ください。2019年の活動報告はもう少し落ち着いたら更新いたします。5月以降の活動につきましても今しばらくお待ちください。どうぞよろしくお願いいたします。

皆さま、時節柄くれぐれもご自愛ください。全身で考えましょう。

(代表:ササマユウコ)


ササマユウコ(音楽家・空耳図書館ディレクター)

2000年代にCD6作品を発表。2011年東日本大震災を機にサウンドスケープを「耳の哲学」に社会のウチとソトを思考実験中。上智大学文学部教育学科卒(教育哲学、視聴覚教育)、弘前大学大学院今田匡彦研究室(サウンドスケープ哲学 2011~2013)。町田市教育委員会生涯学習部市民大学担当(2011~2014)。芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表(2014〜)。

【執筆情報】建築ジャーナル4月号『川のある暮らし』(ササマユウコ)

【建築ジャーナル4月号】
昨年6月号の渋谷のサウンドウォーク(空耳散歩)につづき、「川からみた東京」を代表のササマユウコが執筆しています。吹きさらしの神田川クルーズから考えた東京のウチとソト。神田川を音楽と捉えて船からみた貴重な写真と共にお伝えしています。サウンドスケープの思考で江戸〜東京の歴史、そして自身の暮らしも振り返りました。

 この数日後、屋形船は大変なコロナの事態に巻き込まれてしまいます。オリンピックもその後、延長となりました(初心に戻ってアテネでやるべきと思っていますが)。早くこの穏やかな日常が戻ってほしいです。

 川の時間は東京の日常と非日常をつなぐ音楽そのものでした。
 巻頭の日本橋コースは路上観察学会分科会コアメンバーの舞台美術家・鈴木健介。渋谷の散歩漫画につづき、見開きの豪華イラスト&文を寄せています。
 取材は2月上旬でしたので、期せずして「コロナ前夜」の東京観察となりました。まさに時代の変わり目の街を歩き、目と耳で観察し、そして記録に残すこと。あらためて大事なことだと思いました。当たり前に散歩できる自由の尊さ。コロナの嵐が去った後にもまた古き良き東京を歩いてみたいと思います。
 こんな感じで、2014年11月11日に始まった路上観察学会分科会は水面下で地味に活動しています。今この時期に、暮らしや街の在り方を川から再考する手がかりになれば幸いです。
http://www.kj-web.or.jp/gekkan/2020/2004.html


ササマユウコ(音楽家・空耳図書館ディレクター)

2000年代にCD6作品を発表。2011年東日本大震災を機にサウンドスケープを「耳の哲学」に社会のウチとソトを思考実験中。上智大学文学部教育学科卒(教育哲学、視聴覚教育)、弘前大学大学院今田匡彦研究室(サウンドスケープ哲学 2011~2013)。2011年4月に原発事故避難者の後任として町田市教育委員会生涯学習部市民大学に。2014年に芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表。


空耳図書館のはるやすみ④『宇宙の音楽』

宇宙とつながる本
宇宙とつながる本

 

(写真左から)

➀『太陽と月 10人のアーティストによるインドの民族の物語』青木恵都訳(タムラ堂2017 TARA BOOKS)

②『世界のはじまり』バッシュ・シャーム/ギーター・ヴォルフ  青木恵都訳(タムラ堂2015 TAARA BOOKS)

③『天空の地図〜人類は頭上の世界をどう描いてきたのか』アン・ルーニー著、鈴木和博訳 (日経ナショナル・ジオグラフィック社2018)

 今日は春分の日。1年に2度、春と秋に「昼と夜の長さが同じになる日」です。太古の昔から人類がこの日を特別な一日と捉えていたことは、世界中の祭りや宗教、儀式に使われた遺跡等からも解ります。ちなみに仏教では夕日が沈む場所(真西)にある黄泉の国に通じる門が開き、”あちら”と”こちら”の世界がつながる「彼岸の中日(ちゅうにち)」と考えられています。まさに内と外がつながる日。

 「空耳図書館のおんがくしつ」では音楽と宇宙(天文学)がつながっていた時代の感覚を大切にしています。昨年の「冬至(昼がいちばん短い日)」に開催した「おんがくしつ」でも、宇宙を題材にした絵本や天文学関係の図鑑を「音楽の本」としてご紹介しました。特に近代科学以前、まだ神話や音楽の延長上にあった宇宙の天文図は楽譜や絵画のように美しく、何度みても飽きません。天文図をきっかけに、日々の暮らしの中でも春分・秋分、夏至・冬至、月の満ち欠け、潮の満ち引き、春・夏・秋・冬、晴れたり曇ったり、身近な「宇宙の音楽」をぜひ意識して感じ取ってみてください。

 現在、世界中が新型ウィルスの脅威に戦々恐々としています。しかし朝も夜もやって来ます。日ごとに森は春めき、ウグイスも鳴き始めている。川べりの桜の蕾は今にも咲きそうなほど膨らみました。「宇宙の音楽」はいつも通りに奏でられているのです。人間は大きな大きな音楽の中のとても小さな存在だと思わずにはいられません。

 人間の体内は約60%が水で出来ています。その成分は海水とよく似ている。月の引力が潮の満ち引きを起こすように、体内の水も宇宙のリズムとつながっています。心臓の鼓動は1分間に約60回〜70回。1秒に1回、私たちは生命という時を刻んでいる。それが24時間、1ヶ月、そして地球がひと回りする1年を積み重ねていく。鼓動もまた宇宙のリズムとつながっていくのです。

 手拍子や足拍子、呼吸や声、生きものの皮や骨、小枝や石を楽器にする。厳しい冬が終わり、春の訪れを全身で祝う祭りや儀式には、長い冬の間に縮こまった身体や精神のエネルギーを整える目的もあっただろうと思います。

地動説と天動説は、実はどちらも正しい?
地動説と天動説は、実はどちらも正しい?

【おまけ】少し前に『ボヘミアン・ラプソディ』というイギリスのロックバンド「クイーン」をモデルにした映画が大ヒットしました。彼らの代表曲のひとつ「We will rock you」は世界的にも有名で、CM等でも使われていますので誰もが一度は耳にしたことがあると思います。足踏みと手拍子で「ドンドンパン│ドンドンパン」のリズムで始まるイントロは鼓動のように印象的で、いちど聞いたら忘れません。映画では会場に「調和」をもたらそうとしたブライアン・メイが発案していましたし、「天文学者」らしいアイデアだと思いました。

 調和=ハルモニアは天文学と音楽がひとつだった時代の考え方ですが、現在も西洋音楽や哲学の源流を知る上では欠かせない思想です。「鼓動」は世界中の人間ひとりひとりの体内で刻まれている人類共通のリズムなのです。

 You tubeにはいくつかバージョンが上がっていますが、1977年のオリジナル動画は本当に心臓音そのものに聞こえます。最近のカバーはテンポがもっと早くなっていますが偶然とは言えません。なぜなら20世紀後半の音楽はコンピュータやシンセサイザー、リズムマシン等のテクノロジーの進化に伴い身体感覚が離れていった時代でした。他の産業と同じく「早く」「複雑」に、そしてどんどん「大きく」なっていったのです。

 現在の世界動向を見ると、この先数年は大きなコンサートが自粛されてしまうのかもしれません。ネット配信に切り替える動きも加速していますし、パンデミックを経験した「21世紀の音楽」の在り方、関わり方、そして考え方そのものが大きく変わることは確かです。さらにテクノロジーに頼る方向、反対に小さく原始に戻る方向、二極化するかもしれません。いずれにせよ「音楽とは何か」をあらためて考える機会です。

 世界では皮肉にも人が活動を止めたことで綺麗になった川、静かになった街が驚きをもって紹介され始めています。人類が地球にしてきたことを冷静に見つめることが、結局は「音楽とは何か」を考えることにつながっていきます。空気がきれいになった夜空には星もたくさん見えるでしょう。この際だからゆっくりと「宇宙の音楽」をきいてみませんか?
 最初にご紹介した『月と太陽』『世界のはじまり』は「空耳図書館」が大切にしている絵本です。南インドにあるTARA BOOKSで1冊づつ手作りされた美術作品のように美しい絵本。日本ではタムラ堂さんから出版されています。

『地動説』と『天動説』のペーパークラフトは(株)キャノンの専用サイトから無料ダウンロードできます。普通紙に印刷して裏に薄めの厚紙を貼るとしっかり作れます。ちなみに天動説のプトレマイオスが手にしているのは十字架ではなく天文用の測定器だそうです。


ササマユウコ(音楽家・空耳図書館ディレクター)

2000年代にCD6作品を発表。2011年東日本大震災を機にサウンドスケープを「耳の哲学」に社会のウチとソトを思考実験中。上智大学文学部教育学科卒(教育哲学、視聴覚教育)、弘前大学大学院今田匡彦研究室(サウンドスケープ哲学 2011~2013)。2011年4月に原発事故避難者の後任として町田市教育委員会生涯学習部市民大学に。2014年に芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表。


【お知らせ】聾CODA聴『対話の時間②時間と空間』

アートミーツケア学会青空委員会2019公募プロジェクト
アートミーツケア学会青空委員会2019公募プロジェクト

【お知らせ】コロナウィルス感染拡大予防による新宿区からの自粛要請に伴い延期となりました。開催時期は未定です。

『対話の時間②時間と空間』の実施につきまして。

 次回研究会はメンバー間の協議の結果、コロナウィルス感染拡大予防のため「参加者を募らずに」ホールで実施し、後日内容をFBや関連サイト等で公開することになりました。参加を予定されていた皆様には大変申し訳ございません。またこの実験を踏まえて、事態が収束した頃にあらためて参加型ワークショップを実施する予定ですので、引き続きご注目ください。

尚3月15日時点、行政や学会からこのプロジェクトへの「自粛要請」等はありません。あくまでも主催者判断ですので何卒ご理解・ご了承頂きますようお願いいたします。

 

◎聾CODA聴 境界ワークショップ研究会『対話の時間②時間と空間』詳細

実施予定日:3月30日(月)

時間:午後13時〜16時

【プロジェクト・メンバー】

雫境(聾・身体)

米内山陽子(CODA・手話)

ササマユウコ(聴・サウンドスケープ思考)

記録:渡邉侑紀

手話通訳:田中夏実(予定)

場所:新宿区若松地域センターホール(定員160名)

※アートミーツケア学会青空委員会公募プロジェクト2019

 

内容:音のある/ない世界を行き来しながら、聾CODA聴の「時間」や「空間」の違いをテーマにした「非濃厚接触」ワークショップの在り方を考える。

実施条件:

➀メンバー間は常に情報をシェアして、不安材料は些細なことでも話し合うこと。

➀当日朝まで事態を見極めること。万が一本人や家族、濃厚接触者に感染者が出ている場合は、当日でも実施を延期すること。

③会場の消毒、換気、接触等には十分配慮すること。

④社会の感染状況が著しく悪化している場合、自治体や学会から中止要請があった場合等は臨機応変に対応すること。

⑤公開用の記録を残すこと。

 

検討事項(別途)

・社会の混乱期における「情報アクセシビリティ」について

・公共施設「団体登録」手続きを通して見えてきた諸問題

 

○この件に関するお問合せ

芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト

tegami.connect@gmail.com

(聾CODA聴 ササマユウコ)


空耳図書館のはるやすみ②『見えない花』オノ・ヨーコ

『見えない花』オノ・ヨーコ CHIMERA LIBRARY 2011
『見えない花』オノ・ヨーコ CHIMERA LIBRARY 2011

空耳図書館のはるやすみ②

『見えない花 AN INVISIBLE FLOWER』
オノ・ヨーコ CHIMERA LIBRARY&ADP
企画・監修/ショーン・レノン 2011
  人と人を容赦なくつなぐウィルスは一方で世界の「分断」を生みはじめています。「目に見えないもの」の存在は人の想像力を掻き立てますが、その「力」の使い方には本来レッスンが必要です。「想像する力」は人を幸福にも不幸にもする。使い方を間違えてしまうこともあることを常に肝に銘じていたいと思います。
 幸福を「想像する力」といえば、世界的に有名な平和ソングで、ジョン・レノンの代表作でもある『イマジン』。この歌は妻のオノ・ヨーコが1964年に500冊限定で自費出版した『グレープフルーツ』(小野洋子)にの中の「想像しなさい」で始まる一連の詩作品にインスピレーションを得て作られました(現在では彼女も共作者として認知されていますが、発表からしばらくは知られていませんでした)。
 オノ・ヨーコは「ジョン・レノンの伴侶」としての印象が強烈で、一般的には現代美術家としての功績が忘れられがちです。しかし2009年には第53回ベネチア・ビエンナーレの生涯業績部門で「アートの言語に革命を起こした」としてパフォーミングアートとコンセプチュアルアート両面の実績から金獅子賞も受賞しています。まさに音楽と美術をつなぐ先駆け的実践者でした。ポップスターだったジョン・レノンもまた美術学校出身でしたので、彼女が提示した「現代アート」の持つ「表現の自由」や知性の在り処に共感したのだと思います。
 筆者個人が現代美術家としての彼女の存在に気づいたのは、80年代の学生時代に青山のギャラリーで見つけた一枚のポストカードがきっかけした。真っ白な紙の真ん中に直径1センチ程の穴が空いている。その作品のタイトルは「空を見るための穴/A HOLE TO SEE THE SKY THROUGH」でした。その1枚を手にした時になんて「自由」なのだろうと心が踊りました。その瞬間に自分の内側の「何か」が確かに解き放たれたことを覚えています。感動したというか。それはデュシャンの「泉」を見た時よりも遥かに印象的な、自分にとっての「現代アートとの出会い」だったのだと思います。オノ・ヨーコの初期の作品にはしばしば「穴 A HOLE」が登場しますが、それは息苦しい外の世界と心の内を柔らかにつなぐための「風穴」のような存在。小さいけれど、とても大きな力を持ったアートの扉でした。絵画や音楽を受動的に鑑賞する体験とは明らかに違う、哲学的な「問い」を受け取り考えるような出会いです。
 どちらかと言えば、それはジョン・ケージの『4分33秒』を知った時に近い感覚でした。「目からウロコ」というか、はっとなるような「気づき」です。後でわかるのですが、オノ・ヨーコもまたジョン・ケージの影響を受けていました。しかしそのケージは禅の影響を受けている。ヨーコの影響もあったかもしれませんが、当時のヒッピー文化の流れでレノンは禅の思想にも興味を持っていました。考えてみると「円相」のようで興味深いのですが、『4分33秒が』から「グレープフルーツ」が、そして『イマジン』が誕生します。ジョン・ケージからジョン・レノンへ。ふたりの「ジョン」の存在は20世紀の音楽に多大な痕跡を残しました。

 この『見えない花』は、現在87歳のオノ・ヨーコが若干19歳の時に描いた未発表の作品を息子のショーン・レノンが企画・監修、2011年8月に出版したものです。2016年に渋谷ヒカリエのギャラリーで開催された原画展を見ましたが、ここから始まる彼女の人生そのものを予感させる不思議な力を持つ作品でした。オノ・ヨーコの「画家」としての才能も感じられます。
 誰にも見えないけれど確かに存在している花は、「よい匂い」は認知されつつも姿を見た人はいません。無視されているのかもしれません。しかしただひとり「スメルティ・ジョン」だけにはその存在が見えるのです。
 オノ・ヨーコのコンセプチュアルアートには彼女の心の中心にある静寂の世界、知的なユーモアに触れる感覚がありますが、それは彼女がアーティストになる以前からの本質的なものであることがわかります。前述の「想像しなさい」には戦争で食べ物が無かった子ども時代の「食べ物を空想するあそび」が原点にあると本人も語っています。さらにこの『見えない花』の最後はジョン・レノンと出会った有名な作品「YES」につながる1ページで終わることは想像を越えて予言的ですらあります。この作品を”発見”した息子のショーンは「父がこっそり母の本の世界に忍び込んだのだろうか?」と驚きをもって本書に言葉を寄せています。
 音楽活動では「動」を、美術活動では「静」を表現し続けるオノ・ヨーコ。どちらかひとつではなく、両方があってひとつの大きな円になる。この小さな世界を忘れることなく、生きることすべてを全力でアートに変えた稀有な芸術家であることは間違いありません。

「想像しなさい」は「生きなさい」という彼女からのメッセージなのです。


ササマユウコ(音楽家・空耳図書館ディレクター)

2000年代に映画や劇場の仕事と並走してCD6作品を発表。2011年東日本大震災を機にサウンドスケープを「耳の哲学」に社会のウチとソトを思考実験中。上智大学文学部教育学科卒(教育哲学、視聴覚教育)、弘前大学大学院今田匡彦研究室(サウンドスケープ哲学 2011~2013)。町田市教育委員会生涯学習部市民大学担当(2011~2014)。芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表(2014〜)。

空耳図書館のはるやすみ➀『きこえる?』

空耳図書館のはるやすみ
推薦図書①『きこえる?』
はいじまのぶひこ作 福音館2012

 

 2015年3月に始まった「空耳図書館」の大切なテーマは「きく」ことです。「おんがくしつ」「哲学カフェ」「きのこの時間」、いずれも「きく」ための時間です。今回の推薦図書『きこえる?』も、特に「おんがくしつ」で毎回読み聞かせでご紹介しています。

 「きく」の”かたち”はひとつではありません。空気の振動(オト)をきく、誰かの話す言葉をきく、「花のひらく音」をきく。感覚器官の「耳」だけに限らず、視覚・嗅覚・触覚・味覚、手の平や皮膚、とにかく全身の感覚を研ぎすます│ひらいていく。それは「意識して」世界と関わり直す時間です。実験音楽や即興セッション、哲学対話、森でのきのこ探しも同じです。自分のウチとソトの世界に積極的に触角を伸ばすように世界を「味わう」時間です。

 しかし蓋のない「耳の穴」には日々どんどん音が入ってきます。世界を「味わう」ことは意外と難しいのです。例えば音のない世界を「きく」時は「目」を使います。当たり前に「五感」と言いますが人間の感覚は部品ではありません。全感覚を自分だけのやり方で使っているのです。だから本来「きく」は人それぞれで正解はありません。けれども「きく」を意識した瞬間、今まできこえていなかったちいさな声、音のない世界の存在にも気づくことがあります。

 現在、聾CODA聴では「音のある|ない世界」を行ったり来たりしています。その時間を通して音のない世界の「音楽」や「手話をきく」感覚も生まれていきました。この研究会では(オト)について「言葉」で説明することも多いですが、音の「質感」を説明する時には「口の中の感覚」を使うと伝わりやすいと感じています。「ツルンとしたゼリーのような音」、「ゴツゴツしたおせんべいのような音」。そんな愉快な表現が生まれていきます。五感マイナス1ではなく、聴覚を抜いた4つの感覚を混ぜて大きな〇にして捉えなおすのです。

 ところで、音楽の世界には(サウンドスケープ(音の風景)という言葉があります。これは1970年代にカナダのR.M.シェーファーという音楽家が世界に向けて発表したひとつの「考え方」です。現在「デザイン思考」という言葉が有名ですが、シェーファーは今から半世紀前に、「サウンドスケープ・デザイン」という社会を音からデザインする発想を持っていました。

 この考え方がうまれた20世紀後半は科学が飛躍的に進歩して、自動車やクーラーや電気製品が次々と開発され、人間の生活だけが急激に「便利で快適」になっていった時代でした。一方でアメリカとソ連(現ロシア)は核戦争の危機、世界中の美しい自然は経済のために破壊、農薬や大気汚染や騒音等の深刻な環境問題も起き始めていました。シェーファーは人間のエゴによって調律が狂っていく地球の未来を心配して、音楽教育を生きるための「全的教育」にしたいと願いました。音は光や火や原子力と同じエネルギーですから、音との関わり方や「きく」姿勢を学ぶことで世界を調和できると信じたのです。

 自分の住む部屋、学校、川、街、山、海、空。「きく」をどんどん広げていくと、いつの間にか「宇宙の音楽」に届きます。その音楽にはオトはありませんが、はるか昔の人たちにはきこえていました。そこから天文学だけでなく、哲学や数学や神話や占いなどが生まれていきました。

  偶然かもしれませんが、この絵本『きこえる?』は、まさに「サウンドスケープ」の考え方を美しい絵と文章で見事に表した一冊だと思っています。文字はほとんどありませんが、淡く深い色の世界にさまざまな音がきこえてきます。作者のはいじまのぶひこさんは絵本作家ではなく美術家です。

 心がざわざわ落ち着かない日々が続きますが、この絵本はとても静かな気持ちになれます。2011年の東日本大震災以降、私が最初に出会った大切な絵本です。最後まで読んだらそっと目を閉じて、まず自分の内側の音楽を「きく」ところから始めてみてください。

 ちいさなお子さまと一緒に読む場合はあれこれ音を想像しながら、または実際に音を出しながら読んでみると楽しいです。


ササマユウコ(音楽家・空耳図書館ディレクター)

2000年代にCD6作品を発表。2011年東日本大震災を機にサウンドスケープを「耳の哲学」に社会のウチとソトを思考実験中。上智大学文学部教育学科卒(教育哲学、視聴覚教育)、弘前大学大学院今田匡彦研究室(サウンドスケープ哲学 2011~2013)。町田市教育委員会生涯学習部市民大学担当(2011~2014)。芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表(2014〜)。


第9回「さがみスクラム写真展」の音風景

写真右)立石剛さん
写真右)立石剛さん

久しぶりに心が洗われる音でした。現在開催中の『さがみスクラム写真展』@相模大野ギャラリーにて。
 今回この写真展を知るきっかけとなったのは、このFBにも時々登場する音楽家・立石剛さんが地域ボランティアとして関わり、実行委員の皆さんと一緒に「音づくワークショップ」から会場内BGMを制作したと伺ったからです。
 立石さんとは、路上観察学会分科会で訪れた東大駒場博物館の展示『境界線を引く⇔越える』の印象的なサウンドスケープから出会いました。そこから福祉作業所オルタレゴや植物園カフェのアート・ディレクターの仕事、日常に生まれる繊細な「音たち」の息遣いに耳を傾け丁寧に掬い上げたアンビエントな"音の風景"に注目しています。アートユニットeje時代には岡本太郎美術館特別賞を受賞していますが、音楽と美術、オトとモノのあわいに生まれる「偶然性」や「記憶」に独特な静寂を見出します。今回のワークショップの手法も大変興味深かったですし、実行委員会の皆さんが紡いだ繊細な音たちが会場を包む一期一会のサウンドスケープも素敵でした。
 と言葉で説明してしまうと、あの独特な透明感に「色」がついてしまって何とも歯がゆい。お時間のある方はぜひ写真と共にその音風景を感じながら展示を見て頂きたいと思います。
 最近「音楽家/ミュージシャンの仕事」とは何かとよく考えます。作曲や演奏技術をAIやロボットでも代替可能な「職能」と捉える風潮には違和感がありますが、重要な問題提起だとも思います。音楽は言葉を越え、最終的には自作曲であってもやはり解釈とは異次元の「好きか嫌いか」でしか受け止められない。アウトプットされた音しか無いからこそ、プロセスや背景が大切になる。
 自分の感覚が世間の評価と一致しない場合も多々ありますが、正解/不正解は実は誰にも決められない。そもそも時代が変われば評価の基準も目的も変わっていきます。だからこそ「強いもの」だけが生き残る構造にはしたくない。なぜなら「音」には人間が根源的なところで響き合える何かがあるからです。それは大きくて強いものだけに限らない。それでは一体「何か」と問われても、10年近く探した「言葉」は見つかりません。ただ「いいな」と思う。
 立石さんはご自身の仕事を「音の行きたい方向に無理なく道筋をつけてあげること」と話していました。実行委員の皆さんがワークショップを通して耳をひらき、日常のなかで見つけた音、グラスや身体から生み出した小さな音たちと対話し、本当に心地よく、ちゃんとあるべき場所に置いてやる。それはそれは静かで、呼吸する余白のあるオンガクです。
 この写真展は「精神障害者の社会参加の促進」「障害の有無によらない市民間の交流」「精神保健福祉に関する普及啓発」を目的に今年で第9回を迎えます。特に今回は「時代」をテーマに、障害の有無にかかわらず広く市民から作品が募集されました。応募者の等身大の視点で切り取られた日常の一瞬からは、「みる」もまた「きく」と地続きにあり、世界は素晴らしく多様だということを再認識しました。
 駒場の博物館の中で思わず足を止めた瞬間をふと思い出しました。どこにいても、誰とつくっても、その音には嘘がない。すべての音、すべての人に居場所があるサウンドスケープは、この写真展のコンセプトそのものを象徴しているようでした。
音楽家/コネクト代表
ササマユウコ

『第9回さがみスクラム写真展』
2月9日(日)まで。
10時〜18時開催・無料
主催:さがみスクラム実行委員会
後援:相模原市 相模原市社会福祉協議会

聾CODA聴 第2回境界ワークショップ研究会「対話の時間」を実施しました。

実施日時:2019年12月27日(金)14時~17時

会場:アーツ千代田3331

対話人数(メンバー含む):14名(満席)

内訳:聾者4名、中途失聴2名、聴者7名 CODA 1名)
※当日キャンセル(聾・聴各1名)

メンバー:雫境(聾、身体)、米内山陽子(CODA、手話)、ササマユウコ(聴、サウンドスケープ)

写真協力:外崎純恵(弘前大学大学院)

アートミーツケア学会青空委員会公募プロジェクト2019

(写真①)対話のための頭の体操「境界はどこに?」
(写真①)対話のための頭の体操「境界はどこに?」

【当日全体の流れ】

①主旨説明 ②「対話のための頭の体操~境界はどこにある?」③「対話のルールとテーマを決める」④「対話の時間」(手話×音声×筆談)⑤「対話の時間」の対話(ふりかえり、感想) 全約2時30分

【②対話のための頭の体操~境界はどこにある?」

参加者には事前アンケートで「参加理由」を伺っていました。聾者は「対話」そのものに、聴者は「手話や聾の世界」に興味があるという理由の違いが興味深かったです。聾者は常に聴者の世界に接していますが、聴者は聾者の世界に触れる機会がほとんどないという現状も見えてくる。今回は2017年から始まった研究会で初めて「音のある|ない世界」の比率が同程度となった回でもありました。告知の段階で課題となっていた情報格差は、聴者と聾者それぞれに定員を設け、聾者の締切日を遅くしたことで今回は解決しました。
 当日の室内には少し緊張した雰囲気がありましたが、身近な題材を使ったゲーム感覚の導入部(手話通訳あり)を通して、「対話」や「境界」についての共通意識が徐々にひらかれ、聾聴を越えて空気がほぐれていく様子が実感できました。

⇒導入部で提示した「問い」は以下2つ。
①緑葉の群生写真に「境界線を引く」(写真)

②国民的おやつ「きのこの山」と「たけのこの里」。どちらかを選び理由を説明する。
(写真①)では植物の緑葉が画面いっぱいに重なり合う写真を前に、参加者が自由に「1本の境界線」を引く実験をしました。問いに「正解」はなく(植物学的にはあるかもしれない)、引いた人の数だけ境界線の場所があるという事実を共有し、世界を捉える視点の多様性を認識しました。

(写真②)きのこ、たけのこ?
(写真②)きのこ、たけのこ?

(写真②)は国民的おやつ「きのこの山」「たけのこの里」を使いました。まずは「好き/嫌い」を問う単純な二者選択の質問から、徐々に選択肢を増やして内容を複雑化させながら、世界の「分け方」について考えてみました。「好き嫌い」のような単純な二者選択はコミュニケーションのきっかけになりますが、同時にコミュニティを単純化させ分断や対立も生みやすいと考えます。身近なお菓子を実際に食べながら聾聴関係なく楽しく語り合う経験は、無意識のうちに「音のある│ない」世界を自由に行き来する感覚も共有します。

 質問の最後には最初の二者選択からは想定されなかった「第3の選択肢」を登場させ、世界をさらに一歩進めて考えてみる可能性を示唆しました。

手元のホワイトボードが発言、紙はSNSのように。
手元のホワイトボードが発言、紙はSNSのように。

【対話(音声、手話、音声)のテーマとルールについて】

【テーマ】
事前にメンバーがあらかじめ言葉を出し合って「テーマくじ」を準備しました。当日はメンバー全員がくじを引き選んだ3つのテーマから、さらに参加者が「多数決」で選びました。
⇒選ばれたテーマ「”言葉にならないこと”を言葉にすることは可能か?」


【対話のルール】

手話通訳希望者は、話す前に「通訳希望」と書かれた紙コップを自分の手前に置くこと。
・手元のホワイトボードには「発言」を、机上の紙にはみんなと「共有したい」トピックや感想メモ等を随時自由に書くこと。

※TwitterとFacebookのような違い。

 【補足】子ども哲学対話で使用するコミュニティボールも準備しましたが、今回は使用しませんでした。実際に対話が始まると発言権には若干の偏りもありましたが、手話や音声だけでなく筆談や絵で補足することも可能でしたので、参加者全員が自身の考えを対話に載せることが出来たのではないかと思いました。

 当初はデジタル機材の使用(音声アプリ、プロジェクター等)も検討しましたが、この研究会の最大の目的はシステム開発ではなく、芸術の視点から非言語対話の可能性を探るものなのでアナログ筆談を選択しました。「対話の時間」には言葉の「情報だけ」ではなく、「書く身体」や「文字や図そのものの色、かたち」などデジタル筆談よりも非言語情報が伝わりやすく、手話や音声言語につながる身体感覚が確保されると判断したからです。また他者の意見と自分の意見を比較したりつなげること、時間を遡ったり訂正することも容易です。対話のリズムや雰囲気も柔らかくなりますので、10名程度の対話には適したかたちでした。
手話(通訳)、音声、文字が飛び交う「対話の時間」
手話(通訳)、音声、文字が飛び交う「対話の時間」

【対話の時間】
テーマ: 

”言葉にならないこと”を言葉にすることは可能か?

参加者が多数決で選んだテーマだったので、予想以上にスムーズに対話の時間に入ることができました。進行役は手話通訳を兼ねたメンバー・米内山陽子を中心に、雫境、ササマユウコ、3人のメンバーの通常の対話を外に「ひらく」意識で進めていきました。

 対話は前半の感想から始まり、実際にお菓子を食べながら味覚や視覚を中心に五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)の捉え方そのものを問い直すような意見もしばしば出ました。対話のコミュニケーションツールは音声×手話×筆談が飛び交う状態でしたが混乱はなく、むしろ多角的で生き生きとした時間が生まれていきました。
 後半に入ると、メンバーの米内山が「自分が見た満月の美しさを伝えようと撮ったスマホの写真がまったく別物になってしまった」エピソードを実際に写真を見せながら披露したことから、対話の軸は「感動」を共有する方法やその難しさ、そもそも人はなぜ他者と感動を分かち合いたいと思うのか?「伝える」「伝わる」とは何かというテーマの本質が語られていきました。
 時に五感が混ざり合うような、言葉では到底表しきれない深淵で複雑な何か。それは聾聴を越えて共通する「言葉にはならないこと」です。例えば感情がむき出しになる「喧嘩」。手話同士の喧嘩、手話と音声の伝達方法の違いが際立つ親子喧嘩は、全身で伝えよう、わかってもらおうとする究極のコミュニケーションです。その時、言葉と身体と感情はひとつになる。それはとても人間らしい対話です。

 語彙が見つからないから「言葉にできない」のではなく、言葉を越えるから「言葉にならない」。その「何か足りない」と気づく感覚を補い、分かち合う対話のひとつに芸術があるのかもしれません。
 ちなみに「対話」の意味を辞書で引くと「向かい合って話すこと」としか書かれていないことに驚きます。考えてみれば「見る言語」である「手話」でのコミュニケーションは「対話」そのものとも言えます。むしろ聴者同士の音声言語のみの「対話」は本当に相手と向き合っていると言えるでしょうか。

「言葉にならないこと」を言葉にする
「言葉にならないこと」を言葉にする

 人と人の間に引かれる境界線は条件によって変わります。しかもそれは糸のように一本の線の場合もあれば、帯のように幅がありグラデーションの場合もある。この研究会は「境界」が大テーマですが、境界線を「帯」と捉え(雫境は境域と呼んでいます)、そこにメンバーが「集う」ことで生まれる豊かな世界の共有を目的としています。
 手話・音声・文字が飛び交う「対話の時間」は、スマホやPCでのやり取りが可能となった現代においてはむしろ面倒くさいことなのかもしれません。しかしこの研究会が稀有な場だと思うのは、メンバー(雫境、米内山陽子、ササマユウコ)にはそれぞれ自分が担うべき役割があり、三者がコレクティブに動かなければ場が回らないことです。助け合いとも少し違う、「響き合う」という感覚が生まれます。そして今回はいつもの3人の対話を外にひらく実験でもありました。参加者から頂いた感想の中には「安心して発言できた。楽しかった」とありますが、確かに深い対話が生まれやすいリラックスした場だったと思います。なぜならプロジェクト名には「聾CODA聴」を掲げていますが、メンバー間ではすでにその境界線は意識していないからです。

 「手話/音声」が混ざり合う豊かな時間を異言語コミュニケーションとして捉えなおすこと。音のある│なしで人を分けることは、言語やコミュニケーション手段の「違い」を意識することだとあらためて思うのでした。

(アートミーツケア学会会員
  ササマユウコ/聴・サウンドスケープ)

〇次回予定○

3月30日(月)午後。言葉による「対話の時間」を一歩広げて、音のある|ない世界の「時間と空間」の捉え方を、実際に身体を使いながら行ったり来たりしてみたいと思います
※詳細告知は2月中旬頃になります。

【参加者のメモから】(一部抜粋)

テーマ「”言葉にならないこと”を言葉にすることは可能か?」

・言い尽くせない?言い足りない?ボキャブラリーが追いつかない?

・言葉にならないものとは?

・「伝えたい」ものをどう伝えるか。

・「言葉にならない」=足りていない部分。言い過ぎる。

・わたしが言う”かわいい”と他の人が言う”かわいい”は違う(かも)。

「誰かと共有すること」と「言葉にして伝える」ことは似てるのかも?

・言葉にできない・・・感じている気持ちを言葉に表せない、と思うことが多い。

・言葉はいつも足りない。言い過ぎても足りない。現しきれない。

・「モヤモヤ」に合った言葉が見つからない。「モヤモヤ」を「言葉」にする機械がほしい。

・「言葉にならないこと」を「言葉」にするとズレが生じる。あらためて「手話」が素晴らしい言語だと気づいた。日本語だと言いたいことが出てこないのに、手話だと話したいことが色々でてくる。

・表現や動きも「言葉」かな。

【伝える、共感するとは?】

自分は「孤独」であるという前提があるので、共感されると嬉しい。

・何か足りない⇒この繰り返しが会話や対話を続けさせるのでは?

・自分が思った、感じたことを、相手はどう感じるのか。ギャップやズレは必ずある。

・感情

・聾者と聴者の喧嘩、聾者同士の喧嘩

・「満月の美しさ」をわかちあいたい。なぜ?どうやって?⇒でも本当に共有できる?
 ⇒「I Love you」を「月がきれいですね」と訳したのは夏目漱石。好きな人と気持ちを分かち合う。記憶を共有する。

【五感】

・そもそも五感という分け方

・白いきのこの山は「どうせただのホワイトチョコでしょ?」と思って興味を持たなかった。しかしレモネード味と知って急に興味が沸いた。食べたら美味しかった。「情報」という「言葉」に惑わされた。

・青いカレー

・目で見た満月(リアル)と写真(イメージ)の違い

■Facebook専用ページ www.facebook.com/Deaf.Coda.Hearing


聾CODA聴第2回研究会から「アナログ筆談」の考察

暮れに開催した『対話の時間』の記録を眺めています。当日の対話者は手話、音声、筆談(文字)を交えながらの13名(聾/難聴6名、聴者6名、CODA1名)。筆談方法は2種類用意しました。個人の「つぶやき」は手持ちのホワイトボードに、共有したいテーマや感想は2畳ほどのテーブルに敷き詰めた紙にカラーペンで自由に書きます。

 現在、文字のコミュニケーション・ツールは、UDトークを始め、スマホアプリやメールなど、大掛かりなアナログ要約筆記の装置からかなり進化しました。補聴器を使う高齢者も確実に増えていますから、文字の情報保障は聾聴どちらにとっても今後も注目すべきテクノロジーです。
 ただし世界には文字(言葉)にできないことがある。そのことを忘れてはなりません。逆に言えば、文字になったことだけが世界のすべてでは無いと意識しなければ、便利さと引き換えに切り捨てられていくこと、失うことが増えていくはずです。
 例えば「手話」は、情報を複合的に伝えられるユニークな言語です(音楽で言えばモノフォニーではなくポリフォニーというか)。顔の表情にも文法があり、手が描く線の質感にも意味があります。しかし聴者は、この豊かな和声の音楽から主旋律だけを抜き取ったような解釈をしがちですし、文字情報"だけ"を保障しようとする。これは既に聾聴を越えたコミュニケーションの本質の話になると思いますし、このプロジェクトの根幹にあるテーマですので、また後日。
 この研究会では写真や動画や身体を使うこともあります。聾聴に関係なく受け取れる非言語要素でテーマを共有するためです。さらに"対話の筆談"は紙にペン、アナログの方が非言語情報が乗りやすいと判断しています。特に今回のように10人以上の「対話」には適している。それはなぜでしょうか。
 文字を"書く"という行為の身体性、思考を表すスピード感、文字のかたちや大きさや色。内(思考)が外(文字)につながるプロセスが共有できることに加え、文字そのものに"その人"のキャラクターが垣間見えるからです。時には絵になり、線を引いて他者の言葉とつながり、時間を遡ったり枝葉を広げたり、境界線も越えられる。言語│非言語、音のある│ないを自由に行き来する感覚が、場の空気を柔らかくする。今回の参加者の方が「安心して参加できた」と書かれていましたが、まさに誰もが参加できるツールです。
 もちろんデジタルの良さもあります。今はタブレットで紙とペンのように"書く"ことも、スマホを使った集団ディスカッションも可能です。そもそもリアルな場を設けず、遠隔での"ネット対話"もできるでしょう。多数の見学者とライブで共有することも簡単です。
 しかし参加者にとって、それは「対話の時間」なのか?と考えます。なぜなら対話の定義は「向かい合って話すこと」だからです。向かい合うのはPCやスマホの画面ではない。例えば、思わず文字を書く手が止まるような"沈黙"の意味を見落とさない。アウトプットされた文字だけを情報としない。書き損じや試行錯誤のプロセスを削ぎ落とした表層的な時間をつくらない。そもそもの'書く技術"に格差がある状態も避けたい。
 ちなみに、この聾CODA聴の研究会は効率的なシステムを考える場ではありません。ここではアートやケアにとって大切な「言葉にならないこと」や多様で柔らかな人と人とのつながり方を、音のある│ない世界を行き来するアーティストたちが当事者として思考し、場を広くひらいています。
 アナログ筆談(紙とペン)に話を戻せば、持ち運びが軽く、電気もいらない。後から"時間の足跡"をひと目で見返せる、しかも安い。効率とは何だろう?と思います。紙とペンは音のある│ないをつなぐ神ツールなのでした(笑)。
 誰もが普段から筆談用具を持ち歩くことで、社会の意識も変わっていくはずです。も
ちろんスマホも立派な道具になりますので、お出かけの際はお忘れなく。

◎当日の詳細は後日あらためてレポートします。(文責ササマユウコ)

(アートミーツケア学会青空委員会公募プロジェクト2019)

#聾CODA聴 
www.facebook.com/improcafe

第2回境界ワークショップ研究会

『対話の時間』

雫境(聾/身体)

米内山陽子(CODA/手話)

ササマユウコ(聴/サウンドスケープ)

協力 外崎純恵(弘前大学大学院)

主催:芸術教育デザイン室

   CONNECT/コネクト

www.coconnect.jimdo.com

#アートミーツケア学会 #対話の時間 #雫境 #米内山陽子 #ササマユウコ 

#手話 #非言語コミュニケーション

【追記】
こちらは"デジタル筆記"の最先端。昨年の「あいちトリエンナーレ」にも登場したメディアアートの世界で注目されているTypeTraceです。言葉の打ち始めから確定までにかけた時間に応じて文字の大きさを変えたり、削除履歴も表示する。執筆プロセスを可視化するソフトは、限りなくアナログ筆記に近づく試みとも言えそうです。

https://typetrace.jp/team.html


筆者:ササマユウコ

(音楽家/芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表

2011年東日本大震災を機に、サウンドスケープを「耳の哲学」として世界のウチとソトを思考実験中。アートミーツケア学会、日本音楽即興学会、日本音楽教育学会会。
2017年6月、聾CODA聴プロジェクトを雫境(聾/舞踏家)、米内山陽子(CODA/劇作家、舞台手話通訳)と共に立ち上げ、2017年、2019年アートミーツケア学会青空委員会公募プロジェクトをコレクティブに展開中。


2020年のご挨拶

新年早々、世界のサウンドスケープは騒々しい。人の分断は「境界」を意識した瞬間から始まったのかもしれません。
12月27日には聾CODA聴「対話の時間」を実施しました。音のある|ない世界を行ったり来たりしながら、初めは緊張君だった参加者たちが徐々に打ち解け、最後は世界を分けていたと思っていた境界線が消えていくような瞬間も生まれ、参加された方はそれぞれの気づきを言葉に残していきました。また詳細は後日レポートいたします。

 

ホームページ作業は「リアル」な時間との兼ね合いもあり、最近はなかなか思うように時間が取れませんが、日々の活動はFacebookがほぼリアルタイムでご覧いただけますので、興味のある方は「いいね!」でフォロー頂けると幸いです。

2020年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

以下はFacebookからの転載ーーーーーーーーーーーーーーー

2020年が始まりました。
2014年より有機的に進んできたコネクトの思考実験。最終的に、この窓からどのような世界が見えるのかまだ想像が尽きません。活動にも相変わらず「正解」はありませんが、過去をふりかえると「間違ってはいない」気がしてきました。2020年は6年目の節目ということで、不定期になりますが「オフィス訪問アワー」を設けます。月に1度、この時間帯は代表が必ずオフィスにおりますので、活動に興味のある方はお気軽にお訪ねください(アポなしで結構です)。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
 さて、2019年度の大テーマは「考える」。今年度最後の予定は以下の通りです。募集は2月から、順次お知らせしますのでどうぞご注目ください。
①3月14日(土)18時30分
おとなの空耳図書館
 『哲学カフェ入門』
@ユニコムプラザさがみはら
(相模原市立市民・大学交流センター)
テーマは「死」。老いも若きもいっしょに考えてみませんか?進行役は昨年3月のキックオフと同じ、上智大学の寺田俊郎先生(哲学)です。

②3月(日程は決まり次第告知いたします・都心開催予定)
聾CODA聴『対話の時間②』
 12月27日の研究会『対話の時間』の第2弾です。音のある│ない世界を行ったり来たりしながら、聾CODA聴の対話の場をつくります。
メンバー:雫境(聾)、米内山陽子(CODA)、ササマユウコ(聴)
※アートミーツケア学会青空委員会公募2019プロジェクト

◎1月のオフィス訪問アワー
1月22日(水)12時~15時

以上、どうぞよろしくお願いいたします。

筆者:ササマユウコ

音楽家/芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表
1964年東京生まれ。2011年東日本大震災を機にサウンドスケープを「耳の哲学」と捉え直し、世界のウチとソトを思考実験中。

都立国立高校、上智大学文学部教育学科(教育哲学、視聴覚教育)、弘前大学大学院今田匡彦研究室(サウンドスケープ哲学、サウンド・エデュケーション 2011~2013社会人研究生)。映画(総合職)、編集、劇場、自治体(市民大学運営)の仕事と併行して、2010年までに神楽坂BEN-TEN RecordsよりCD6作品を発表。現在もアーティスト名Yuko Sasamaとして世界各国で配信中。2014年、まちだ市民大学の経験を芸術に引き寄せたコネクト(相模原市立市民・大学交流センター内)を立ち上げ展開中。