第6回『即興カフェ』(協働実験プロジェクト「聾/聴の境界をきく」コラボ企画」を実施しました

実験する人:雫境(聾の舞踏家)、ストリングラフィ(鈴木モモ)、ササマユウコ(ピアノ)
実験する人:雫境(聾の舞踏家)、ストリングラフィ(鈴木モモ)、ササマユウコ(ピアノ)

 「つなぐ・ひらく・考える」をテーマに芸術(芸術家)と学術(研究者)、芸術の内と外をコネクトする活動も第1期5年目となりました。今年度は総括としての「考える」を意識しながら、レジデンスアーティスト(女子美術大学講師・沼下桂子さん)の活動サポートや、次段階の「コネクト」を視野に入れた実験的な活動を展開しています。

 先週8月17日にはコネクト代表ササマユウコ(音楽家)がプロデュースする個人活動、「サウンドスケープの哲学から新しいオンガクのかたちを実験する音楽家のプロジェクト『即興カフェ』」と、昨年度のアートミーツケア学会青空委員会公募助成事業:協働実験プロジェクト「聾/聴の境界をきく」をコラボ企画で実施しました。ちなみに「音楽×弘前の哲学カフェ」を前身とした「即興カフェ」では毎回テーマや出演者によって内容や進行方法が変わります。今年1月20日に開催した第3回『音と言葉のある風景』(ゲスト敬称略:石川高(笙、古代歌謡)、國崎晋(Sound&Recording編集人@南青山HADEN BOOKS)では文字通り「言葉と音楽」がテーマでしたが、今回は協働プロジェクトのメンバーで聾の舞踏家・雫境さんをゲストに迎え「言葉のない対話」をテーマに展開しました。

 

 写真だけではなかなかわかりづらいですが、この即興セッションではいわゆる「パフォーマンス作品」を演じているのではなく、実験者たちは登場する順番(雫境→鈴木モモ→ササマユウコ)を決めて、50分間の即興的な対話を展開しています。音楽的意思を持つ非言語の身体コミュニケーションは「音のある|ない世界の間」に様々なサウンドスケープを編み出していきました。出演者は特定の役割やシチュエーションを演じたり、動きに合わせて伴奏や音響効果を奏でていたのではなく、また音楽のルールや三要素(旋律、和声、リズム)からも自由になり、あくまでも三者の関係性、楽器や空間と対峙することから即興的な「対話」が生まれていきました。
 記録を見ると鈴木モモとササマユウコはお互いを見ていない(耳を使っている)時間もありますが、全体的に聴覚や視覚以上に、三者の身体の動き(線)がつくる世界観や身体そのものが放つ存在感に応えるように対話が進んでいったように思います。雫境さんがストリングラフィに触れると「音」が生まれ、そこからモモさんの「オンガク」が生まれ、それに応えるかたちでピアノの音が生まれることもありました。特に決めたわけではありませんが、言葉の「哲学カフェ」の対話ルール(他者の話は最後まできく)という「待つ」時間を必要とする対話とは違っていたと思います。非言語で音風景を編むような言語のコミュニケーションは可能か?「即興カフェ」でも機会があれば実験してみたいと思いました。

 休憩をはさんだ後半(写真左)では同じく協働プロジェクトメンバーで劇作家の米内山陽子さんの手話通訳を介して「前半ふり返り」をしました。実験者がまず「非言語の世界を言葉化する」ことから見えてきたのは、それぞれが抽象的なイメージや思い思いの感情を抱いていたにも関わらず、ひとつの音風景を編み出していたというサウンドスケープの「多様性」です。

 また、目の前で繰り広げられた非言語コミュニケーションやオンガクに参加者が抱いた印象も様々でした。一方的に表現を受け止めているのではなく、ステージと客席の間をイメージが自由に行き来していた状態だったというか。きこえる|きこえない世界のオンガクの楽しみ方の違いも共有することができました。この手話通訳を介した哲学的な対話の進め方には「聾/聴の境界をきく」のリサーチ活動の経験やチームワークが生かされたと思います。音声言語・手話言語に限らず「発言する人」がまず通訳者に「訳してもらえるように」丁寧に解りやすく話すことを意識するということが、対話そのものの質感も変えていくように思いました。
 「音のある|ない境界」に生まれるオンガクを、「きこえる|きこえない」状況の中で思い思いに楽しむ新しいオンガクのかたち。それは出演者(実験者)たちにとっても予想がつかない(正解のない)時間を参加者の皆さんと一緒に手探りで旅をするような刺激的な時間でした。もちろんそれぞれの芸術性、即興性を失わずに集中した時間を共有できるメンバーであったことは欠かせない要素でした。
 「即興カフェ」と「聾/聴の境界をきく」プロジェクトに共通するのは、カナダの作曲家M.シェーファーの「サウンドスケープ」という概念が根幹にあるということです。オンガクとは何か、何がオンガクか?その哲学を自分の身体や感覚を通して探っていくと、音楽には「音」以上に大切な「何か」があることが実感としてわかってきます。出演者の内と外、ステージと客席、時間と空間、言語と非言語、そして柔らかな相互の関係性。複合的に編まれていくサウンドスケープを全身を耳にして「きく」意識を共有したときに、出演者・参加者の間(境界)に新しいオンガクが表出します。それは物理的に「きこえる|きこえない」といった音響や身体性の問題をも越えたオンガクの在り方だと思います。少し抽象的ですが「鳴り響く森羅万象に耳をひらけ!」(『世界の調律~サウンドスケープとはないか』(R.M.シェーファー著 鳥越けい子、小川博司、庄野泰子、田中直子、若尾裕約 平凡社刊 1986)と提唱したシェーファーが目指すサウンドスケープの本質はこの言葉に集約されていたように思います。
 ちなみにサウンドスケープを学ぶテキスト『音さがしの本~リトル・サウンドエデュケーション』(M.シェーファー/今田匡彦 春秋社2008増補版)の中には「音のない世界を想像する」という課題が出てきます。これは聾者の音楽を知る上でも重要なアプローチですし、「きく力」と「想像する力」が音楽教育だけでなく言語|非言語コミュニケーションそのものを豊かにすることを示唆しています。

 

 音楽(楽器を演奏する)や舞踏(踊る)は基本的には非言語の身体表現です。演奏者や踊り手は「言葉」とは違うコミュニケーションの力を使っていることは確かです。専門家だけでなく人は誰でも「非言語コミュニケーション」の可能性を内包しているはずです。そのことを忘れずに「言葉の世界」で人と人を無意識に分けている様々な「境界線」の在り方にも一石を投じるような試みとなっていたなら幸いです。このコラボ企画はまた機会があれば実験してみたいと思いました。

◎当日写真のアルバムがありますので、Facebook専用ページもご覧ください。(サ)


◎筆談や非言語で進行した打合せの様子



6回即興カフェ『真夏の夜に|言葉のない対話」2018年8月17日(金)19時

@下北沢HalfMoon Hall

実験した人|雫境(聾の舞踏家)

鈴木モモ(ストリングラフィ)

ササマユウコ(ピアノ)

手話通訳:米内山陽子
協力:松波春奈

共催:協働実験プロジェクト「聾/聴の境界をきく」

主催:即興カフェ Yuko Sasama|Produce MomoSuzuki|Curate


雫境 (舞踏家) 

聾の舞踏家。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。2016年映画『LISTENリッスン』共同監督、2018年小野寺修二作・演出『斜面』(nappos produce企画)出演ほか、分野の境界を越えた身体表現者として国内外で活躍中。また美術家/神津裕幸名義でも活動する。濃淡の間主宰。協働プロジェクト「聾/聴の境界をきく」メンバー。


鈴木モモ|作曲家/水嶋一江が考案した、絹糸と紙コップでできたオリジナル楽器ストリングラフィの演奏者。2002年からストリングラフィ奏者としてスタジオ・イブにて活動中。国内外の数多くの舞台に立つ。2011年からは新たな試みとしてStringraphyLabo主宰。国立音楽大学教育音楽学部第Ⅱ類卒業。即興カフェではキュレーションも担当する。http://stringraphylabo.com


ササマユウコ|音楽家。即興カフェ・プロデュース。3歳の時にピアノと出会う。上智大学文学部教育学科卒。企業文化事業や自治体とのダブルワークで1999年よりCD6作品を発表。2011年の東日本大震災を機に創作活動を一時休止。弘前大学大学院今田匡彦研究室でサウンドスケープ論(サウンド・エデュケーション)研究。2014年より「耳の哲学」実践拠点として芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表。聾/聴の協働プロジェクト運営など。http://yukosasama.jimdo.com


手話通訳:

米内山陽子(劇作家・舞台手話通訳・劇団チタキヨ演出・脚本)

劇場外での公演や、聾/聴の境界を越えた舞台『残夏-1945-』の脚本でも注目の劇作家。CODAらしいネイティブな感覚の日本手話通訳には定評がある。協働プロジェクト「聾/聴をきく」メンバー。



◎このプロジェクトに関するお問合せは、以下までお願いいたします。

tegami.connect@gmail.com
(コネクト内「即興カフェ)