カテゴリ:コネクト通信6月号



2024/06/07
 6月21日(金・夏至)15時より、東京都現代美術館にて開催中の展覧会『翻訳できないわたしの言葉』企画展示室内ラウンジにて、今回の出展作家のひとりである体奏家・新井英夫さん、パートナーの板坂記代子さんと共にラウンジトークを開催します。アート×ケアの現場を共にした仲間たちと共に、コロナ禍にはじめた「夏至の空をきく」2024年版でもあります。2年前に新井さんがALSに罹患してから、タイトルに使った『わたしたちは同じ空をきいているか、同じ時間を生きているか?』の意味をよく考えます。細切れの時間や空間のなかで別々の時間を生きているように感じる私たちも、大きな宇宙の同じ時間を生きている。夏至や冬至はそのことを思い出させてくれます。今年の夏至もこうして集まれることにまずは感謝したい。  今回のラウンジトークは、カプカプ×新井一座をはじめ、アート×ケアの場では不可欠の要素である即興性や偶然性、オノマトペや非言語コミュニケーションにも目をむけて、言語/非言語/身体/音/モノなど、さまざまなかたちの〈トーク/対話/おしゃべり〉もこころみます。野口体操の哲学をベースにした新井さんの展示テーマ《カラダの声に耳を澄ます》は、サウンドスケープを学ぶ〈サウンド・エデュケーション〉とも非常に親和性が高く、このラウンジトークでも《きく》ことは重要なテーマとなります。  カプカプの団地ワークショップでも当たり前だったように、そこに偶然通りかかった方はどなたでもご参加頂けます。何が起きるかはその時の空のみぞ知る?なお、展覧会の新井さん展示コーナーには2015年以降の〈カプカプ×新井一座〉記録写真も多数展示されていますので、ぜひご覧ください。 ※手話通訳も予定されています。 『夏至の午後3時に会いましょう』 〇出演:新井英夫×ササマユウコ×板坂記代子  日時:2024年6月21日(金)15:00~16:30  会場:東京都現代美術館 企画展示室1F『翻訳できないわたしの言葉』展示室内ラウンジ  参加費:無料  ※ただし当日友好の本展チケットまたはMOTパスポート、身体障碍者手帳当のご提示が必要です 〇ラウンジトーク〈夏至の午後3時に会いましょう〉情報の専用サイト→
2023/06/28
 先週6月21日夏至の日に、久しぶりにカプカプでのワークショップ「音とカラダのジッケン室」が実施されました。...
2023/06/12
日用品に新たな命を吹き込むユニークな手作り楽器たち。その中でもSNS動画や全国各地で人気のKajiiさんの創作楽器は、そのアイデアはもちろん、かたちの楽しさ、身近なモノから生まれる「音の意外性」が魅力だと感じています。今回『ふしぎな創作楽器展』が東京で開催されましたので、6月11日午後の回に足を運びました。会場となったのはコネクトとも縁の深いストリングラフィの拠点Studio Eveさんです。何より、糸電話から生まれたストリングラフィも作曲家・水嶋一江さんが発案した創作楽器です。この日の会場の様子はKajiiさんのブログや来場者のYoutube等で紹介されていますので、ぜひ映像付きでご覧ください。  ここではコネクトの視点を交え、Kajii手作り楽器とストリングラフィ、ふたつの「創作楽器」がもつ可能性を軸に、少し視野を広げた「モノと音の関係性」についても思いを馳せてみました。そこから見えて/きこえてくるのは、音楽と美術の境界、音楽教育や音楽療法、コミュニティ・ミュージック、音楽の内と外を柔らかにつなぐ音楽の在り方そのものでした。 *** モノが楽器になるとき  たとえば目の前にあるモノを指先で叩いたり擦ったりすると、そこにはかならず音が生まれます。モノの素材やカタチ、その手触りから音が変化することもわかります。モノとモノがぶつかっても音がする。それらの相性の良し悪し、関係性は音からもわかります。思いがけないモノが思いがけない音を出したとき、そこには小さな驚きや喜びも生まれます。すると「より良い音」を求めて、いつしか目に入るモノをすべて叩いてみたくなる。日常のなかに存在していた音風景、新しい世界の発見です。  日常に存在するモノたちは音でもある。モノの風景とは音の風景なのです。それは全身の知覚で発見した「鳴り響く森羅万象 Sonic Universe!」とも言えるでしょう。ちなみにKajiiさんという不思議な名前には「日常生活の中から(家事)、工夫して楽器を作り(鍛冶)、新しい風を生む(風)」という3つの意味が込められているそうです。彼らもまた音を通して日常のなかに潜む新しい世界を探求しています。  この日に展示されたのは、150種類以上あるという楽器の一部でしたが、彼らが目指す世界観はよくわかりました。ペットボトルや空き缶、折れたスティックや文房具、創作楽器の素材は日用品や「ゴミ」です。そこに新しい命が吹き込まれている。一見すると美術作品のようなモノもありますが、Kajiiさんの説明とデモ演奏を聞いて、これらのモノたちは確かに「楽器」なのだと解ります。つまり「音」や「音楽」や「音風景」を生むために創られたモノだということです。  創作楽器とは何か。それは音楽と美術の境界に生まれるモノだと思います。美術家が創る手作り楽器もあります。視覚(美術)と聴覚(音楽)どちらの世界から生まれたのか、実は同じペットボトルの楽器でも佇まいが違うと感じています。ちなみにもともとドラマーだったというKajii創さんは、食器を「演奏」したことをきっかけに創作楽器の面白さに目覚めたそうです。食器という日用品に潜む音を発見する驚きや喜びがある。これはマリー・シェーファーが「音さがしの本」の中で提示した世界の発見にも通じます。 さらにKajiiさんの楽器には「ゴミ」が使われていることにも注目したいと思います。ゴミとは何か。使われなくなったモノ、壊れてしまったモノ、使い古したモノ、ペットボトルのキャップなどはじめからゴミとなる運命にあったモノなどです。これらに意外性のあるアイデアが加わってオリジナルな楽器として生まれ変わっている。これは美術の世界の「クリエイティブ・リユース」という考え方にも通じます。単なるゴミの再利用ではなく、創作性(クリエイティビティ)に富む『リユース』なのです。ファッション等で使われる「アップサイクル」の方が伝わるでしょうか。「より良い音」を目指した結果、「より良いモノ」へと生まれ変わる。モノから楽器への再生です。  だからと言って(表現が少し難しいですが)、音楽家の手仕事は職人の「匠」とは違うのです。音楽にとっての「より良いモノ」とは、あくまでも「より良い音」のことだからです。モノに内在する音を引き出す工夫もあれば、素材を組み合わせること、奏法を開発することで発見された音の秩序もある。いずれにしてもその音が「楽器」として、ノイズも含めて美しいという特徴があります。  だからKajiiさんの楽器には美術作品ならば消すような継ぎ目、仕上げのプロセス、試行錯誤の時間の跡も残されている。その跡は音や演奏、つまりKajiiさんの目指す「音楽」には影響がないことがわかります。「これは美術作品ではなく楽器です。どうぞ気軽に触れてみて」と、モノが自ら語りかけてくるような素朴な佇まいがあります。この飾り気のなさがKajii楽器の個性、親しみやすさ、楽しさでもある。会場で初めて楽器を目にする子どもたちも臆することなく自然に音世界へと入っていく姿が印象的でした。そして夢中になって楽器を鳴らしていきます。
2022/06/02
はじめに