世界から音を消した時に、豊かな音風景がきこえてくる。「東京ろう映画祭」大盛況でした!貴重なフランスのドキュメンタリー『音のない世界で』『新・音のない世界で』を観ることが出来て本当によかった。関連企画の井上考治写真展、神津裕幸(DAKEI)個展には「間
あわい」の芸術への新しい発見がありました。きこえること、音を出すことの「当たり前」を疑ってみる。異文化の交差点、言語と身体、社会や教育の問題、世界の調和とは何かを考える映画祭でした。
そしてゼロから映画祭を立ち上げた実行委員中心メンバー(牧原依里さん、諸星春那さん)に脱帽です。何を隠そう第1回東京国際映画祭で悪戦苦闘した経験があるので、映画祭舞台裏の苦労は計り知れません。これだけのプログラムを実施するにあたり、準備は相当の仕事量だったと思うのですが、、そんな苦労は微塵も見せず、晴れやかなフィナーレでした。若いって素晴らしい!
今回特に興味深かったのは、最終日の二本のドキュメンタリーから、フランスの「手話」を取り巻く社会事情と差別の歴史、そこから現在に続く「時の流れ」があぶり出されたことでした。昨今は人工内耳の手術が増加し、教育現場もかつての「口話法」に戻る動きがある。手話と口語の’バイリンガル教育’の対象となる子どもは、フランス国内で16000人いるのに対して、約150人しか受けられていないということです。どうして社会や聾者自身までもが「手話」を遠ざけるのか。その原因はとても複雑なのです。
この1年『LISTENリッスン』チームとの出会いを通して実感するのは、手話はろう者の「言語」であるということです。しかし牧原監督によれば『LISTENリッスン』では、最近の若い聾者が苦手とする「非言語の手話」のニュアンスも描かれているということですから、〈手話〉の世界も時代と共に変化を遂げているのでしょう。
手話を使う聾者は(フランスに限らず)、その国の主要な音声言語とは微妙に違う文化圏、彼らオリジナルの文化を持つということです。そのことを多様性=豊かさと感じられる社会かどうか。それは他の社会的マイノリティの問題、異文化理解と同質の難しさや複雑さを抱えていると思いました。例えば、社会との関係だけでなく、親か子の一方が聾者の場合、親子間の言語や文化が違うことで相互理解が難しくなる。関係性の構築に「障害」が生まれるのです。特殊な例かもしれませんが、聾の親が「我が子も聾だったら・・・」とつぶやく場面が印象的でした。これは耳がきこえないことそのものが問題ではないということです(実際に映画には「自分は障害を感じたことが無い、周囲がそう決めたことだ」という生まれながらの聾者も登場します)。ただ中途障害者はまた事情が違うと思いますし、だからこそ複雑さがある。
日本は超高齢化社会を迎えています。聴者であった80歳近い私の母も、今は補聴器なしでは会話が成立しません。耳だけではなく、五感や身体機能は加齢とともに変化するのが自然です。だから私も例外ではありません。誰もが暮らしやすい社会の姿を想像したとき、「障害」の軸足がどこにあるのか、その言葉ははたして「適切」なのか。そこから考えてみる必要があると思いました。
そして少なくとも芸術の世界では、心身のハンディを抱えた本人がそのことを「不自由」としていない限りは、そこを例えば「障害があるのに凄い」というような視点で語ることこそが傲慢だし差別ではないかと感じるのです。作品や表現の「内側の声」、その普遍性に耳をすますことで解り合うことは出来ないか。それはすべての人たちに共通する課題です。もちろん異論のある方はいらっしゃるでしょう。しかしコネクトでは「芸術の世界では誰もが平等である」という理念から、今後も多様性のある芸術活動、人間の可能性を紹介していこうと思うのでした。
【2024年12月18日追記】
2016年の映画『LISTENリッスン』公開から始まった〈ろう文化〉との出会い。当時まだ1年目の私自身は、この文章からも解るように〈異文化理解〉の入り口に立ったばかりでした。私が使用する〈聾者/ろう者〉の定義は、手話を第一言語とする音のない世界〈ろう文化〉を背景に生きる人たちのことです。ですからろう者の両親に育てられたCODAと呼ばれる聴者の中にも、自覚的にろう者のアイデンティティを持つ人たちがいます。これは手話を外国語に置き替えて考えれば解りやすいと思います。
手話は〈ろう者の言語〉であるという表現は今なら無知とも感じますが、ろう文化と縁のなかった自分には、当時はその感覚すらよくつかめていなかった。ろう者の第一言語である〈日本手話〉と文法が違う音声日本語に対応した〈日本語対応手話〉が混在する問題、〈言語〉とはその人の知性であり人格であり、つまりは人権であるということにも改めて気づいていきます。〈非言語の手話〉の存在を知り、〈ろう者のオンガク〉にも出会います。当時はまだ〈聾者〉という表記も当事者内にも普通にありましたが、この後、行政主導で〈ろう者〉に統一されていきます。当事者からは文章内で〈読みづらい〉という感想もきくのですが。。
当日の会場となったユーロスペースの熱気を今も思い出します。ろう者が主体となって運営され、ロビーも場内も手話が飛び交い、芸術の生まれる場所ならではの若々しい活気に溢れていました。独特な静けさと同時に、とても〈賑やか〉だったと記憶しています。会場案内にはボードを使った様々な工夫がされ、当事者が考えるアクセシビリティが実は聴者にとっても解りやすいと気づきました。〈聾者〉の表記にもつながりますが、それが〈誰のため〉なのか。マジョリティである聴者は常にパワーバランスの非対称性に自覚的でいる必要があります。当時から現在まで、私自身もマジョリテイだからこその〈無自覚な失敗〉を多々してきたと感じています。しかしその上で〈芸術の世界では”本来は”誰もが平等である〉という意識は今も変わっていません。
この〈東京国際ろう映画祭〉はコロナ禍のオンライン開催も含めて、都内さまざまに会場を変えて今も継続されています。そして2025年には、パフォーマンスやトーク等も加わった〈東京国際ろう芸術祭〉へとパワーアップ。現在、各部門のフリンジ企画の公募が始まっています。ぜひSNSをチェックしてみてください。来年には公式サイトもオープンされる予定です。
東京国際ろう芸術祭 INSTAGRAM @tokyodeaffestival
執筆:ササマユウコ(音楽家・芸術教育デザイン室CONNECT代表)
80年代からの作曲・演奏活動を経て、東日本大震災以降は〈音楽、サウンドスケープ、社会福祉〉の実践研究。即興カフェ、聾CODA聴対話の時間、空耳図書館等を主宰し、ワークショップや対話の場から〈オンガクとは何か〉を考えている。2023年度日本音楽即興学会奨励賞受賞、アートミーツケア学会理事、日本音楽即興学会。