11月19日に協働プロジェクト『聾/聴の境界をきく~言語・非言語対話の可能性』の第1回境界リサーチ活動「コトバ|音|カラダ」を実施しました(メンバー:雫境、ササマユウコ、米内山陽子 会場:アーツ千代田3331 助成:アートミーツケア学会青空委員会)。
初リサーチということで、どのような方が集まるかはメンバーも未知数でしたが、手話勉強中の方をはじめ、聾・聴を問わず身体表現や音楽、舞台芸術に関わっている方が中心となりました。聴者に用意した「耳栓」は遮音目的というよりは意識を「内側」に向けるための補助具として、使用は自由としました。実際アンケートでも、耳の中の違和感を理由に使用しなかった方も数名いらっしゃいました。
趣旨説明の後の導入部では、まず聾の文化や世界各国に存在する「サインネーム」について発話と手話で紹介し、ふたつのグループに分かれて実際に自分のサインネームを他者に「付けてもらう」体験からスタートしました。すでにサインネームをお持ちの聾の方にも、あらためてネームを考えてもらいました。コミュニケーションは手話、筆談が中心となりました。
自分の名前をカラダで表現する体験はダンス等の様々なワークショップで存在しますが、「サインネーム」は他者に自分の外見やキャラクターの特徴を読み解いてもらい、覚えやすい名前を「つけてもらうこと」に意義があります。最後のふり返りでも、みんなに自分のネームを考えてもらえたことが「ちょっと嬉しかった」というご意見がありました。
ひとりひとりのサインネームを全員で共有した後は、そのネームを使った身体ゲームや遊びを通して、音声言語や手話を使わない場に徐々に慣れながら、舞踏家・雫境による「非言語の身体ワークショップ」に入っていきました。
聾である雫境の第一言語は「手話」ですが、ここでは彼自身も言葉を使わずに、ジェスチャーや身体表現や絵を描くことでワークショップの内容を伝え、進めていきました(これは結構大変だったはず・・)。参加者も彼の意図することを察したり、想像したり、時には誤解したりしなが場が進んでいきます。そして聾・聴を越えて協力するシーンを重ねていく中で、徐々に「言葉のない世界」のコミュニケーションが立ち現れていく様子が興味深かったです。
特に身体で表現する「イメージ」を隣の人に渡していく「円陣しりとり」ワークでは、世界が豊かに広がりながら、ストーリーがどんどん展開していく様子に皆さんも盛り上がっていました。聾・聴が生きるそれぞれの感覚や世界観の「違い」があったからこそ、「そうくるの?」と驚くようなイメージの飛躍や、自分の想像を越える新たな発見があったと参加者も感想を述べていました。あえてコトバ(発話・手話・文字)を外してカラダに寄り添ってみることで、音のある|ない世界の垣根も意識から消えていく。手話によるコミュニケーションの起源にも思いを馳せる時間でした。
後半は一点して、コトバによって「境界線」を引く実験をしました。まずは手話通訳の米内山陽子と雫境の、手話による「おしゃべり」をみんなで「きいて」みます。内容は知らされていないので、どんな会話が生まれているのか?手話を知る人、聾の人以外には「想像する」ほかありません。「ふたりは何を話していたと思うか?」を共有してみると、「男と女の話?」「ストーカー?」「学資保険の話?」など、受けとめる側の想像は様々に膨らんでいました(正解は、子育てにまつわるあれこれでした)。聾の参加者からは「いつもは自分がこちら側(何を話しているのか想像する立場)なんだと実感した」という発言も出て、立場を反転することが他者の世界を知るきっかけを生んでいました。コトバは人と人をつなぎ、一方で分断もする。時には思い切って言葉を封印することで、つながることもある。聾・聴を越えて、言語・非言語コミュニケーションのむずかしさや奥深さに触れ、考えるひとときでした。
最後は今日の体験をふり返り、まずは「文字(文章)」にして頂きました。続いてひとりづつ、自分で書いた文字を音声や手話にして、他者に「伝えて」もらいました。「内側の考えを文字にする⇒声や手話という身体を通す⇒他者に伝える」という一連の行為の中で、内側のコトバはどう変わるのか。書かれた文字を音声または手話に変換する時には、書き言葉と話し言葉の距離、音声と文章の違い等、コトバと自分の内側の関係性が見えてくる体験でした。
今回は、日本語、日本手話、英語、アメリカ手話(ASL)、筆談、ボディランゲージ、ジェスチャー(身振り)、絵といった様々な媒体が飛び交う、まさに多言語・異文化交流の場でした。このリサーチ活動の考察は、次回3月21日の実施を踏まえ、同時にメンバー間の意見交換を重ねながら、随時コネクト通信や学会誌等でレポートしたいと思います。また継続性のある活動に向けても準備していきます。
●以下は、メンバー:ササマユウコの個人的感想です。
CODAとして育った劇作家・手話通訳の米内山陽子は「ネイティブ・サイナー」つまり日本語と日本手話の「バイリンガル」です。彼女自身の日本語表現の豊かさに加え、その人の話し方(キャラクター)や言葉の「間」も含めた通訳が実現したことで、今回の「境界」の和やかな雰囲気がつくられていきました。手話通訳者の存在は聾・聴をつなぐ媒体となりますが、「情報伝達」に留まらずコミュニケーションの雰囲気も決める大事な役割だとあらためて思いました。一方で、前半の雫境による非言語身体ワークショップでは、「コトバが使えない」ことから、情報伝達ツールとしてのコトバ(手話・発話)の存在意義をあらためて実感しました。しかしその「コミュニケーションの障害」を越えて、「伝えよう」「つながろう」とする内側からの衝動が生まれる時、身体や非言語コミュニケーションはコトバ以上の力を持つことも文字通り身体で知る機会ともなりました。「境界線」は「音のある|ない」世界の間に引かれるとは限らず、例えば身体表現の経験値の違いなど、参加者それぞれの内側で引かれる場所が違っていたように思います。世界に一律に引かれている(と思い込んでいる)「境界線」とは何かを今いちど疑い、この自分自身の身体を通して体験してみることの重要性を示唆する時間でした。
自分の内側の「どこに」境界線が引かれているのか?まずはそれを知ることが最初にあって、そこから「境界(共にある場)」に集うために、自分は何を「越える」必用があるのか、または「越えない」のかを探る。
特に今回のような「協働」の場は、相手の世界に同化したり、もしくはパラレルに進むものではなく、あくまでそれぞれの世界にしっかりと軸足を置きながら関係性を築いていくものです。みんなで回した身体イメージのように、活動も想定を越えたストーリーを展開しながら、境界が広がっていく可能性を感じました。今後もメンバーそれぞれの芸術(舞踏・音楽・演劇)や世界(聾・CODA・聴)を行き来しながら、自身はSoundscapeの視点からも新しい境界を見つけていきたいと思います。
●次回は3月21日、冬と春の境界(春分の日)に開催します。場所は今回と同じくアーツ千代田3331。地下の広いスタジオに移り、メンバー3人の世界(舞踏・音楽・演劇)にもコミットしていきます。
詳細は2月頃に告知しますので、ご参加希望の方は以下をご参照ください。
□Facebook専用ページ http://www.facebook.com/Deaf.Coda.Hearing/