相模原市にも甚大な被害をもたらした10月の台風19号。それに伴って中止となった第6回ユニコムプラザまちづくりフェスタ(主催:相模原市立市民・大学交流センター)で開催予定だったおとなの空耳図書館『哲学カフェ入門 テーマ:自由?』を、急遽コネクト主催に切り替え、11月3日夜に同内容で開催しました(テーマ「自由?」進行役:田代伶奈)。
日程変更で数名キャンセルが出ましたが、異年齢の男女8名が集まり「自由?」をテーマに2時間近い密度の濃い対話が繰り広げられました。対話の入り口では世代間の「言葉の認識の違い」を摺り合わせていくような、音楽で言えば「ジャムセッション」のような時間が流れ、しだいに「自由」を切り口にした人生や社会の本質に関わるような発見、自身の内側を深く掘るような言葉が参加者から自然と溢れでてきました。哲学カフェにおける語られる言葉や関係性のダイナミズムは、ファシリテーター(進行役)という”言葉の交通整理”がいる「哲学の時間」だからこそ可能になるのだと思います。学問的な「正解」に向かって知識をぶつけ合ったり、人生相談や愚痴をこぼす場とは違う(言葉の流れの中で、そうなることがあっても構わないですが)。日頃ひとりでモヤモヤ考えているようなことを「知」と「言葉」を使って外側につないでいく時間なのです。
ですからここで必要とされるのは哲学の「知識」よりも、普段どれだけ自分の言葉で考えているかという生きる姿勢にほかなりません。トレーニングを受けて流暢に話す必要もない。自分らしく、正直にそこに在ればいいのです。進行役の田代さんも何度か説明していた「知識の格差」を排除した、平等の場づくりの実験とも言えると思いました。もっと言えば民主的であることのレッスンというか。ですから高齢者が若者に教えられることも、もちろんその反対の場面も多々起きます。社会的な地位や役割も問われません。誰もが安心して自分の考えを言葉に出来る。そういう場は実はなかなかありませんし、今回は「自由?」をテーマにしましたが、空耳図書館の哲学カフェは本当は何でもテーマにすることができます。大事なのは考えることを諦めずに他者と「対話すること」です。
対話には「言葉」が必要です。しかも現在、私たちが当たり前に使用している言葉、例えば「社会」「哲学」「芸術」「音楽」「市民」「公共」そして「自由」などなど、芸術にも関わる大事な言葉のほとんどは150年前の明治の改革で急ピッチに輸入された外来語(西洋の概念)です。例えば今回の「自由」という言葉は明治以前にもありましたが、明治以降の使われ方と同じなのでしょうか?FreedomかLibertyか。芸術をめぐる「表現の自由」の問題には、まず言葉の認識の違いが根底にあるはずです。
今回の対話の中でも、社会のルールと自らの感情、このふたつの「自由」を行ったり来たりしながら多様な意見が交差していました。この世界には十人十色の自由がある。そもそもひとつの大きな「自由」を表わす言葉などあるだろうか?こうして哲学カフェは大きな気づきと共にモヤモヤして終わるのです。
連休中日の夜にも関わらずご参加頂いた皆様、そしてご多忙のなか進行役を引き受けてくださった田代さんありがとうございました(田代さんは現在、各メディアで「哲学」を身近なものとして紹介しています。ネットにも様々なインタビュー記事があがっていますので、是非検索してみてください)。
◎次回告知
おとなの空耳図書館「哲学カフェ入門」@相模大野
日時:3月14日(土)18時から
場所:ユニコムプラザさがみはら(ミーティングルーム5)
進行役:寺田俊郎
テーマ:「死」をめぐるあれこれ
※応募開始は2020年2月1日
【空耳図書館コーディネーター・メモ】空耳図書館の「哲学カフェ」は3月のキックオフ(進行役:寺田俊郎先生)のように施設内のオープンスペースを”街中”に見立てて開催する予定でしたが、今回は日程変更でいわゆる「会議室」での開催となりました。密室感が強く、初対面の人たちが気軽に集い、リラックスした雰囲気の中で対話をするには正反対の環境です。そこで、ちょうど前日に同施設のキッチンで開催した「ちょっと不思議な読書会~空耳図書館おやこの時間」で使用した布をテーブルセンターに、また机の上には小道具(きのこや貝殻)を並べ、会議室の壁にもともと飾られていた不思議な絵に合わせて「昭和の純喫茶風」に仕上げてみました(とはいっても、写真で見ると会議室なのですが)。空耳図書館の読書会もですが「芸術教育」を掲げるコネクト主催のイベントは”舞台設定”も必ずひと工夫を凝らします。光や風や音の風景(サウンドスケープ)、椅子や机も含め、どんな環境を提供するかはイベントの「質感」を決める上で大切なことです。
理想を言えば施設そのものが「リラックス」をデザインした空間だとよいのですが、商業施設に入った公共施設ではむしろ真逆であることも珍しくありません(ユニコムはその中でも比較的「リラックス」が意識された場ですが)。しかし諦めない。むしろアートは悪条件でこそ本領を発揮するのです。非芸術的、殺風景な日常の場にこそ創造力や想像力から新たな光を与える。日々の世界の再発見、「驚き」を提供できる力もある。それがたとえ「哲学」や「読書会」であってもです。但し、次回の「死」のような繊細なテーマでは個人的な話が出る可能性もありますので、あえて密室を選び落ち着いた場づくりをします。
そして何と言っても今回最大の発見は、同時刻に隣室倉庫の「片づけ」が始まり、工事現場のごとく室内に音がひびく時間帯が生じたことです。しかしその音は室内に屋外のようなサウンドスケープを生み出し、実は密閉された空気に風穴を開けていました(うるさかったですけど)。それが功を奏したかは未知数ですが、やはり世界は内側(室内)と外側の関係性なのだと痛感しました。
(ササマユウコ)