育成×手話×芸術プロジェクト「アートを通して考える」スペシャルイベントに参加しました。

11月12日は、東京藝術大学美術学部で開催された聾者、難聴者のアーティスト育成事業『育成×手話×芸術プロジェクト「アートを通して考える」』のスペシャルイベントに参加しました。社会福祉法人トット基金(文化庁障害者による文化芸術活動推進事業)と、学生と社会人が共に芸術と福祉を学ぶプログラム「Diersity on the Arts Project(by東京藝術大学)」の共催でしたので会場は学生、社会人、美術・教育関係者、聴覚障害当事者を含む多くの参加者で満席でした。ちなみにこのプロジェクトには、現在コネクトで展開中の聾CODA聴「境界ワークショップ研究会」(アートミーツケア学会青空委員会公募助成プロジェクト2019)メンバーの聾の舞踏家/雫境さん、映画『LISTENリッスン』の共同監督/東京国際ろう映画祭の代表の牧原依里さんも関わっています。当日の司会は牧原さんでした。

  今回の内容は「イギリスのミュージアムにおける手話による鑑賞プログラム」をテーマに、聾者でありロイヤル・アカデミー・オブ・アーツのイギリス手話プログラムキュレーター/ジョン・ウィルソン氏が来日し、彼自身が立ち上げた活動を紹介するものでした。イギリス文化や国の背景の違いはありますが、社会的マイノリティであるひとりの聾者の行動が波紋のように広がって、美術の世界に風穴を開けていくプロセスは大変興味深いものでした。鑑賞プログラムが聾/聴の協働チームで作成されていることにも大きな意義を感じました(これは美術館の制度の問題かもしれませんが、結果的に両者の文化理解を促進すると思います)。
 ウィルソン氏も指摘されていましたが、西洋美術の歴史は聴者(男性)の歴史であり、聾者や女性の芸術は「見て見ぬふりをされてきた」という事実は無視できません。これは例えば、少なからずいたにも関わらず隠された聾の芸術家(ゴヤも聾だったとか)の作品を鑑賞する際に当事者の視点が加わるということです。一方で例えば”音楽”が扱われている作品には聴者の言葉が生きてくる。美術そのものが聾/聴の世界をつなぐというよりも、美術と鑑賞者の媒体(ガイド)に聾者が加わることで美術鑑賞の視点そのものが豊かになるということです。大切なのは、聾者が一方的に聴者の美術を学ぶ場ではないということ(コスプレ体験型もありました)。これはまた別の機会に考えたいと思いますが、例えば”ろう学校”の音楽教育の在り方にも応用が効く発想だと思います。
  ところで、聾者と聴者における最大の”障害”は何かと考えると、それはコミュニケーション・ツールの違いに他なりません。そもそも音声日本語と日本手話は文法が違う。言語が違うのですから、もちろん文化も違います。聴者はそのことを知らない、というか知る機会がほとんどありません。例えば今回のイベント運営なら、日本語音声、日本手話、イギリス手話、文字モニター(UDトーク)と多言語の情報保障が必要でした。登壇者(イギリス手話)も含め、複数の通訳者による言語が飛び交う場は意思疎通や解釈の違いも生まれ、その摺り合わせが入る通訳には当然時間がかかります。これはテクノロジーの発達に伴って解消される問題かもしれませんが、だからと言って聾/聴がすぐに理解し合えるかと言えば、それはまた別の問題だと思います。お互いを理解し合うためにまず情報を保障する。

 哲学対話でもよく言われますが「自分の言葉」とは何でしょうか。それは他者からの借り物の言葉ではないということと同時に、母語(第一言語)や方言など、自分が最もストレスを感じずに使用できる言語という意味合いもあるはずです。聾者なら手話の情報保障があって初めて聴者との相互理解のスタートラインに立てる。これは手話を外国語に置き換えて考えてみれば分かりやすい話かもしれません。

 ユニバーサルな社会とは何か。現在は、マジョリティ(聴)がマイノリティ(聾)を包摂する時代から、それぞれが生きる世界をまず”知る”こと、理解することを前提にした多様性のある社会に少しづつ変化し始めています。聾と聴が対等な関係性を築くためにも、ウィルソン氏が指摘したように、まずはお互いの「歴史を知る」ことが大切なのです。

 私自身、2016年の映画『LISTEN リッスン』の出会いから聾の文化、音のない世界のオンガクとは何かをずっと考え続けています。今ふり返ると、監督ふたりと出会った当時は聾文化については「無知」でした。コミュニケーションは気持ちさえあれば何とかなると思っていた(それも間違いではありませんが)。現在進行中のプロジェクトはメンバー三者が「表現」に関わっていることもあって、「音のある/ない」は最大の”障害”とはなりません(むしろ”多忙”の方が問題です 苦笑)。それが非言語の世界で共感し合える「芸術の力」のひとつとも言えます。しかし世界は言葉で出来ている。だからこそ、さまざまに引かれた境界線を無神経に乗り越えるのではなく、両者のあいだに生まれる「境界」に集い対話するという発想が必要になる。例えば情報保障だけが優先されて、もし美術館が「情報過多」で非芸術的な空間になってしまったら、それは聾/聴どちらにとっても好ましい環境とは言えません(芸術的に鑑賞ガイドをするという発想もあると思います)。だからこそ「対話すること」を諦めない。聾/聴にとっての芸術とは何かを知り、考えることが少しづつ何かを変えていく。同時に芸術の可能性も豊かに広げてくれるはずだと思うのでした。


筆者紹介

ササマユウコ 東日本大震災を機に、サウンドスケープを「耳の哲学」として世界のウチとソトを思考実験するアーティスト。芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表。アートミーツケア学会、日本音楽即興学会、日本音楽教育学会。
2000年代は子育てと併行して、神楽坂BEN-TEN Records運営。発表した境界的なCD5作品は現在もN.Y.から世界各国で聴かれている。


研究会のお知らせ】
アートミーツケア学会青空委員会公募助成プロジェクト2019
聾CODA聴②境界ワークショップ研究会
第2回『対話の時間』@アーツ千代田3331
日時:2019年12月27日(金)14時~16時30分頃
メンバー:雫境(聾、身体)
米内山陽子(CODA,手話)
ササマユウコ(聴、音)
三者三様のコミュニケーションツールを交えながら、音のある|ない世界のあれこれを、ざっくばらんに語り合います。
◎対話に参加されたい方は11月25日(月)より専用Facebook(@Deaf.Coda.Hearing)をご覧ください。
参加費2000円程度

主催/お問合せ 芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト tegami.connect@gmail.com