久しぶりに心が洗われる音でした。現在開催中の『さがみスクラム写真展』@相模大野ギャラリーにて。
今回この写真展を知るきっかけとなったのは、このFBにも時々登場する音楽家・立石剛さんが地域ボランティアとして関わり、実行委員の皆さんと一緒に「音づくワークショップ」から会場内BGMを制作したと伺ったからです。
立石さんとは、路上観察学会分科会で訪れた東大駒場博物館の展示『境界線を引く⇔越える』の印象的なサウンドスケープから出会いました。そこから福祉作業所オルタレゴや植物園カフェのアート・ディレクターの仕事、日常に生まれる繊細な「音たち」の息遣いに耳を傾け丁寧に掬い上げたアンビエントな"音の風景"に注目しています。アートユニットeje時代には岡本太郎美術館特別賞を受賞していますが、音楽と美術、オトとモノのあわいに生まれる「偶然性」や「記憶」に独特な静寂を見出します。今回のワークショップの手法も大変興味深かったですし、実行委員会の皆さんが紡いだ繊細な音たちが会場を包む一期一会のサウンドスケープも素敵でした。
と言葉で説明してしまうと、あの独特な透明感に「色」がついてしまって何とも歯がゆい。お時間のある方はぜひ写真と共にその音風景を感じながら展示を見て頂きたいと思います。
最近「音楽家/ミュージシャンの仕事」とは何かとよく考えます。作曲や演奏技術をAIやロボットでも代替可能な「職能」と捉える風潮には違和感がありますが、重要な問題提起だとも思います。音楽は言葉を越え、最終的には自作曲であってもやはり解釈とは異次元の「好きか嫌いか」でしか受け止められない。アウトプットされた音しか無いからこそ、プロセスや背景が大切になる。
自分の感覚が世間の評価と一致しない場合も多々ありますが、正解/不正解は実は誰にも決められない。そもそも時代が変われば評価の基準も目的も変わっていきます。だからこそ「強いもの」だけが生き残る構造にはしたくない。なぜなら「音」には人間が根源的なところで響き合える何かがあるからです。それは大きくて強いものだけに限らない。それでは一体「何か」と問われても、10年近く探した「言葉」は見つかりません。ただ「いいな」と思う。
立石さんはご自身の仕事を「音の行きたい方向に無理なく道筋をつけてあげること」と話していました。実行委員の皆さんがワークショップを通して耳をひらき、日常のなかで見つけた音、グラスや身体から生み出した小さな音たちと対話し、本当に心地よく、ちゃんとあるべき場所に置いてやる。それはそれは静かで、呼吸する余白のあるオンガクです。
この写真展は「精神障害者の社会参加の促進」「障害の有無によらない市民間の交流」「精神保健福祉に関する普及啓発」を目的に今年で第9回を迎えます。特に今回は「時代」をテーマに、障害の有無にかかわらず広く市民から作品が募集されました。応募者の等身大の視点で切り取られた日常の一瞬からは、「みる」もまた「きく」と地続きにあり、世界は素晴らしく多様だということを再認識しました。
駒場の博物館の中で思わず足を止めた瞬間をふと思い出しました。どこにいても、誰とつくっても、その音には嘘がない。すべての音、すべての人に居場所があるサウンドスケープは、この写真展のコンセプトそのものを象徴しているようでした。
音楽家/コネクト代表
ササマユウコ
『第9回さがみスクラム写真展』
2月9日(日)まで。
10時〜18時開催・無料
主催:さがみスクラム実行委員会
後援:相模原市 相模原市社会福祉協議会