【訃報】「サウンドスケープ」や「Acoustic
Design(邦訳:サウンドスケープ・デザイン)」の思考を提唱し、美しい合唱曲を数多く残したカナダの作曲家R.M.シェーファーが亡くなりました。88歳でした。原爆の落とされた長崎をテーマにした作品も書いていますし、昨日の「蓮の音」にちなみ折に触れご紹介している『音さがしの本〜リトル・サウンド・エデュケーション』は日本のこどもたちに向けて書かれた弘前大学今田先生との共著です。2006年の弘前、九州来日が最後になりますが日本にも馴染みの深い音楽家でした。
ちょうど来月の東京芸術劇場のセミナーに向けて『The Tuning of The
World(邦題『世界の調律』)を読み返している最中でした。今だから白状しますが、80年代に池袋西武でこの分厚い翻訳本を手に取ったきっかけは「マリー」という名前から女性が書いた本だと勘違いしたからでした。インターネットも無かった時代、知り得る情報はとても限られていました。残念ながら国内は絶版になってしまいましたが、この一冊の本が私の音楽観だけでなく、人生を大きく変えることになります。最初にこの書を国内に紹介した早世の作曲家・芦川聡氏をはじめ、後に出会うことになる翻訳に尽力された先人たちの仕事を深くリスペクトしています。考えてみたら、すでに亡くなっていましたが芦川氏はこの池袋西武(アール・ヴィヴァン)に勤めていた訳ですから、あの日何気なく本棚の前に立った私は呼ばれたのかもしれません。
正直シェーファーの主張は、21世紀の原発事故やコロナ時代を生きる今の時代感覚には馴染まなくなってしまったことも多いです。父と同世代と考えると納得いきます。本書で取り上げている音響テクノロジーもスマホ等の登場で様変わりし、世界を「聴覚だけ」で考えることが不自然になってしまいました。しかし確信しているのは、この本を「哲学書」と読み直した時、一度時代に淘汰された後にも必ず真理が残るだろうということです。ではその真理とは何か。私は最終章の「沈黙」にあると思っていますがそのお話はまたどこかで。というのも、若尾裕先生の著書『モア・ザン・ミュージック』のインタビューから透けて見える「人間 シェーファー」が哲学者ではなく、やはり音楽家であると感じるからです。確固たる思考をもとに言葉で真理を追究するというよりは、直感的に身体を動かしながら彼自身も時間の中を音楽のように生きている。だから100年後かもしれませんが、真理が後からついてくると思うのです。そしてユーモアのセンスも忘れない。自身がアルツハイマーを患ってからも同名曲を書くくらいに。
音楽や音楽教育だけでなく、片目を失明しなければ画家としての人生を歩んだかもしれないシェーファーはバウハウスを念頭に置いた美術教育にも造詣が深かったです。
環境学、社会福祉など、実学にも枝葉を伸ばして「サウンドスケープ」という言葉はこれからも使われていくはずです。「音の風景」から「響きあう世界 Sonic universe」へ。シェーファーに感謝の意を込めながら、これからもサウンドスケープを「耳の哲学」として考えていきたいと思います。
ササマユウコ記 2021.08.16