突然のコロナ禍により、震災の記憶に目を向ける心の余裕すら失いそうになる日々ですが、だからこそ立ち止まり過去を振り返ることが、今とても大切だと思いました。特に当事者の「語り/声」を記録すること。文字にされた「声」は楽譜のように何度でも本人や他者の声で読まれることで次世代に渡されていきます。SNS等で紹介される当事者インタビューと違い、第三者によって掬い取られた「かそけき声」が「アート」に落とし込まれることで、語る人の悲しい記憶、回復のプロセス、そして生きる力が鮮やかに立ち現れる事例が大変興味深かったです。安心して声を出せる「場」の重要性もあらためて感じました。
震災も厄災も今に始まったことではなく、地球上に人類が誕生してからずっと対峙してきた”自然”です。自然は人間が支配できるようなものではないことは昔の人の方がよくわかっていたと思います。原発事故や復興事業でさらに失われていく人間と自然の共生関係、東北の暮らしに今いちど思いを馳せる「やるせない時間」でもありました。それと同時に欺瞞や暴力性を排し、真摯に「きく人」の存在がある限り「声」は語られ記録されます。その声が再生され他者の声と共振するとき、希望のサウンドスケープが生まれるのだと思いました。
二日目の大会最後には今期で会長を退任される鷲田清一先生が16年前の発足当時のエピソードをお話され、これからの学会の在り方にも問題提起されました。コロナ禍で社会の分断が続く中で、学会そのものが有機的かつ継続的かつ何と言っても魅力的に活動を続けていくためには何が必要か。写真家・青木淳さんの「遊園地と原っぱ」を例に、お膳立てされた場ではなくクリエイティブな場であり続けるためには問い続けることの必要があることを示唆されました。
筆者自身がこの学会に参加して早くも10年が経ちますが、この間には青空委員会の公募助成プロジェクトに2度採択頂いて「聾CODA聴」の活動を展開することもできました。神戸KIITO、大分大学、京都芸術センター&京都市立芸大、女子美術大学、オンライン九州大学、そして今回のせんだいメデアィテーク。ユニークなのは「巡業する学会」を謳っていることで、単なる研究発表の場ではなく開催地そのものも知ることができることです。何より軸となる「関西の柔らかな知の在り方」にアート同様の魅力を感じています。
関西は阪神淡路大震災の経験からボランティアや臨床哲学の研究が関東よりも進んでいます。2014年に発足したコネクトの活動で最初に訪れたのが学会の母体でもある奈良のたんぽぽの家でした。アートセンターHANAは福祉施設とは思えないアートギャラリーのような光の降り注ぐとても素敵なアトリエでした。職員の皆さんもオープンで、障害のあるアーティストをサポートするのではなくマネジメントするような対等な関係性に衝撃を受けたものです。その頃ちょうど東京では自治体市民大学「福祉学」の講座運営を担当していましたが、福祉に対する考え方がもっと自然体で肩の力が抜けた「奈良」の持つ地域性や歴史にも気づきがありました。何より大仏が祀られている東大寺の前には「社会福祉発祥の地」という看板が掲げられているのです。
筆者は東日本大震災以降、音楽を問うために2011年から2013年まで弘前大今田匡彦研究室に籍を置いてサウンドスケープ哲学の研究をしていました。当時手に取った鷲田先生の著書『聴くことの力 臨床哲学試論』をはじめ、副会長・中川先生のサウンドスケープ論、訪れたたんぽぽの家を案内して頂いた職員さんは偶然にも『世界の調律』の訳者である若尾裕先生のゼミ卒業生でした。たんんぽぽの家からコネクトの活動をスタートさせたことの意味をあらためて感じていますし、その後カプカプの新井英夫さんの活動につながっていくこともどこか偶然の必然でした。サウンドスケープを「響き合う世界」と捉え直したとき、アートとケアが出会う場で生まれる世界そのものの響きを「きく」姿勢を大切にすること。東北を始め日本各地の「かそけき声」に耳を傾けること。今回のテーマ「声」からは、学会が「誰のために」「何のために」存在しているのかを改めて問う機会が生まれたと思います。
※今回の配信動画はアーカイブ配信されるそうです。ご興味のある方は是非この機会にご覧ください。(※要約筆記の情報保障あり)
●自身も興味深い記事でしたので2014年のものですが転載いたします。
「奈良たんぽぽの家を訪問しました」
3月末になりますが、奈良にある財団法人「たんぽぽの家」(アートセンターHANA)を訪れました。ここは、現在私も会員になっているアートミーツケア学会、また秋葉原/アーツ千代田3331内のNPO法人エイブルアートカンパニーの母体でもあります。
ご存知の方も多いと思いますが、ここでは様々な「アート」が媒体となって、障害のある人、ない人がバリアフリーの関係性を築きながら、芸術性と実用性の高いモノづくりや、コンサート活動で「福祉」を社会に開く試みを30年以上続けています。
私がここの活動を知ったきっかけは、アーツ千代田3331のエイブルアートカンパニーのギャラリーで出会った素敵な「モノ」たちでした。それらが、いわゆる「福祉作業所」で作られていることに驚きましたし、偶然、友人の何人かが活動に関わっていることが判明し、いつかは訪れてみたいと思っていた場所でした。今回は娘の小学校卒業旅行を兼ねて、ふたりで訪れました。
スタッフの方に案内されたアトリエは、「作家」一人一人の個性や身体に合わせて、気持ちよく創作活動に集中できるような環境が整えられている「やさしい場所」でした。
法律上は「福祉作業所」になるわけですが、もちろん、一般的に想像されるような場とは全く違います。アートの前では(アートの前だけでは、かもしれません)、人は限りなく平等です。つくる人、受けとめる人、その双方向の関係性はシンプルで、フェアである。それが「たんぽぽの家」すべてを包む気持ちのよい空気や、明るい光に象徴されているのだと思いました。
もちろん、ここで作り出されるモノたちにも。
もうひとつ「たんぽぽの家」のユニークな点は、「ケアする人のケア研究所」を立ち上げ、‘ケアする人たち’の心身にも目を向けているところです。
福祉の場は、ともすれば「ケアする人、される人」という関係性になりがちです(これは「教える人、られる人」という学校を始め、いろいろな場に当てはまりますが)。その一方的な関係性を、いちど身体を通して「相互の関係」に変えていくことで、結果的にケアする人たちの心身もケアされていくという研究テーマに注目しています。身体性をとり戻す方法論に、「ダンス」や「演劇」を取り入れているところにも、アートの力がしっかりと活用されていると思うのでした。
そして何より、こうした福祉の現場にアーティストが入り込んでいくことで、新しい風がどんどん吹いているという状況は、芸術を志す若い世代にとっても、希望の光となるのではないでしょうか。
もちろん、芸術を単なる「道具」として考えると、本質を見失うと思います。
まずアーティスト本人が、芸術に「救われた」経験があること。
生きる力が内面から湧き出すような経験が、
テクニックで表面的に人をケアすることとは、大きな違いを生み出す。
それはモノづくりでも同じで、
たんぽぽの家のモノが人の心を捉え続けるのは、
それを生み出す作家が自発的にモノを作り、
それを受けとめる側に「これ素敵だね!」という感動があるからなのだと思います。
いわゆる、「障害を持たない」芸術性の高いアーティストが、
コミュニケーション能力が高いとも限らない。
むしろ専門性を追求するあまり、人として大事な何かを見失っている場合もある。
では、そもそも、障害の「ある、ない」の基準とは何なのか。
障害者アートとは何なのか。
それは芸術の本質とは何なのか、という問いと同じだと思うのでした。
高齢化社会を迎えた今。
人はみんな、いつかは歩けなくなる、聞こえなくなる、見えなくなる。
それは障害なのでしょうか。
障害って何でしょうか。
奈良の街を歩きながら、あらためてそんなことに思いを馳せた春でした。
今度は「わたぼうしコンサート」にも足を運んでみたいと思います。
筆者:ササマユウコ(音楽家・芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表)
1964年東京生まれ。映画、出版、劇場の仕事を経て2000年代にレーベル発足。YukoSasama名義でN.Y.から72各国で配信中。東日本大震災を機にサウンドスケープを「耳の哲学」と捉え直して研究者やアーティスト共に思考実験、対話の時間をつくっている。上智大学(視聴覚教育、教育哲学)卒、弘前大学大学院今田匡彦研究室、まちだ市民大学、アートミーツケア学会、日本音楽教育学会、日本音楽即興学会会員。
空耳図書館、即興カフェ、聾CODA聴プロデュース。