六本木の森美術館で5月29日まで開催されている『Chim↑Pom展:ハッピースプリング』を訪れた。この展示は、「都市と公共性」「ヒロシマ」「東日本大震災」など10のセクションで構成され、2001年に生まれた自身の人生とほぼ重なるChim↑Pom17年間の多層的な活動を、作品の空間に身を置きながら振り返ることができた。今回はその中から「都市と公共性」と「道」に焦点をあて、新宿区弁天町で生まれ10歳まで暮らした私と都市の関わりについて考えたい。
東京は、地下・地上・高層、3つの視点から語ることが出来ると感じている。喧騒と人混みの街、最先端のもので構築された何でもある街、建物が病的なほど密集した街。私がどの視点に立つかによって、私のなかの東京の印象は大きく変わる。全ての印象を重ねてみると、東京は華やかで眩しくて賑やかで、薄暗くて汚くて寂しい。無数の相反する要素を抱えたカオスで立体的な場所になる。これが私にとっての東京で、全てを言葉にすることは不可能だけれど、きっとどれか一つでも欠けてしまえば、知らない街になってしまう気がする。Chim↑Pom展では、東京の多層性を再現した展示空間によって、美術館にいながら本当に街を歩いているような体験ができる。
「都市と公共性」「道」は最初のセクションでは、展示室が本物のアスファルトの「道」によって、まるでリアルな工事現場のように2層に分けられていた。都心の地下道の空気を凝縮したような空間には、瓦礫やゴミ袋を使った作品や液晶が散りばめられていて、ところどころに今回の展示の象徴ともいえるような「スーパーラット」がいる。一方、アスファルトの上は明るい地上で、マンホールや街灯が設置された「道」になっていた。2つの空間を隔てるたった数センチのアスファルトは、多層構造の東京は人間がつくった脆い存在であるということを象徴する危うい境界のように思えた。Chim↑Pom展の中盤にはガラス張りの展示室があり、六本木ヒルズの地上53階から都心を見下ろすことができる。無数のビルが密集している景色は高所からしか見えないけれど、ここから地下の様子を知ることはできない。しかし、ここまでの展示で地下と地上を歩いてきた私には、地下、地上、高層、それぞれの視点に立たなければ見えないはずの東京が全て重なって見えたような気がした。
郊外に引っ越して、東京という街を外から見るようになって、私自身が東京のように多層的な存在だと感じるようになった。相反することもある雑多な思考や感情が集まって一人の私になっている。都心と郊外にちょうど10年ずつ住んで、都心での暮らしはもう覚えていないこともあるけれど、今も都心に行くと自分が街に溶け込む気がするのは、私の中に街と同じ構造があるからかもしれない。都会で生きるうちに毒餌に耐性を持った「スーパーラット」のように、私は東京という清濁併せ呑む環境によって形作られてきたのだと思った。
多層的なChim↑Pom展は、ミュージアムショップの展示を除けば、メンバーの一人であるエリイに焦点をあてたセクションで締めくくられる。私が現在大学で学んでいる美術史の中にはまだ、エリイのような女性アーティストも、Chim↑Pomのようなコレクティブなアーティスト集団も登場しない。彼女たちはアーティストの新たなあり方として、未来の美術史に名を残すのかもしれない。
◯5月28日まで六本木ヒルズタワー内 森美術館で現在開催中
『Chim↑Pom展:ハッピースプリング』
執筆者:今井花(Imai Hana)
2001年東京生まれ。お茶の水女子大学文教育学部人文科学科哲学・倫理学・美術史コース/美術史専攻3年在学中。Ocha Journal元編集長、東大駒場演劇の制作にも携わる。趣味:古着屋巡り