カテゴリ:2022



2022/12/13
 先週12月9日に実施されたシンポジウム「障害者による芸術文化活動のこれから」は、現在厚労省が推進している「障害者芸術文化活動普及支援事業」の一環でした。実は文化庁にも「障害者等による文化芸術活動推進事業」があります(現時点のサイト情報では令和5年度の事業募集があるのか不明ですが)。そもそも「芸術文化」と「文化芸術」の違いとは何か、両庁の言葉/概念の定義の違いも気になるところでした。  何より現時点では福祉の中にある芸術(厚労省)、芸術の中にある福祉(文化庁)がきっぱりと分断されている訳でもありません。アーティストを含めて関わる人が重なっている現場も珍しくありません。それぞれの現場で求められていることが違う場合もあるし、そうではない場合もある。国内では幸か不幸かオリパラ文化政策とパンデミックが重なったことで、芸術や福祉の概念や在り方の問い直しが求められていて、当事者を含めた活発な議論が始まったところだとも言えるでしょう。今回紹介された世田谷パブリックシアターのアウトリーチやPalabra株式会社のアクセシビリティへの取り組みはもちろん、筆者も7年間ご一緒している新井英夫さん(進行性の難病闘病中)と鈴木励滋さんのカプカプ・ワークショップの事例は、実際に現場に関わっていくフリーランス・アーティストや福祉施設スタッフにとっても興味深い内容だったと思います。  現在、障害や福祉を考える上での世界的動向は「医学/医療モデル」「社会モデル」から「肯定モデル/共犯モデル」に移行しつつあるということは、先日出席したアートミーツケア学会でも学びました。カプカプはまさに新しい福祉モデルであり、芸術でもあると感じています。カプカプではメンバーはもちろん、訪れたアーティストも大事にされますし、実はこの7年間の現場で「障害者」という言葉を一度も聞いたことがありません。ケアする/される境界に相互関係を生むのが「芸術活動の力」だと実感しています。  超高齢化の進む社会の中では、これまでの「健常者」「障害者」という二項対立の境界はどんどん曖昧になっていくはずです。実際に筆者が住む東京郊外を走るバスの乗客は、ほぼ全員が高齢者で杖を使用しています。たった二席の「優先席」の意味も無くなっています。80代半ばの母の耳は補聴器が無ければほとんど聴こえなくなりました。障害がある人を「エンパワメント」していたアーティスト自身が病や高齢で身体が不自由になることも当然あります。一方的に「ケアする立場」だけを担わされている施設スタッフさんをケアする人が必要であるように、本来は芸術/芸術家を対象にした「福祉」も必要になるはずです。既に、ろう者によるろう者の芸術家育成プログラムが始まっていますが、障害の当事者が主体的につくる芸術(教育)の場もさらに増えていくことでしょう。  つまりは誰もが「よく生きる」社会とは何か。芸術文化活動の在り方もひとつの指標になることは間違いありません。    例えばカプカプの新井一座ワークショップの場は予定調和には収まりません。豊かなアイデアを持つメンバーが主導となって場が展開していくこともあります。そこでは芸術が得意とする即興性や創造性や実験性が生き生きと発揮されていくのです。「作品」という成果(訓練)が強要されずにプロセスを重視する時間には、芸術の「リレーショナル・アート」や「ワーク・イン・プログレス」のような受け止め方が必要になるはずです。新井さんも映像で話していましたが、「障害者」と言われるメンバーひとりひとりの内にある芸術が表出するための「きっかけ」を見つけ出すこと、アーティストは少し背中を押してあげるタイミングに集中すればよいのです。「指導する/される」ではなく、芸術を媒体に平等な関係性や表現の自由を第一に考えます。  カプカプの事例のように、成果ではなく相互の関係性、メンバーの日常を豊かにするプロセスの積み重ねに目的を移していくと芸術が途端に生き生きとします。これは皮肉なことに学校教育や能力主義の芸術教育とは対極にあると言えて、だからこそ専門教育を受けた人こそ世界との関わり直し、捉え直しが必要になると感じています(筆者がそうでした)。先週のアートミーツケア学会に続き、芸術教育の問題も炙り出されたようなシンポジウムでした。 〇このシンポジウムの収録動画は後日公開される予定です。
2022/12/05
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2022/11/14
第1回オンライン講座の記録はこちら→ 実施日:2022年11月10日(木) 第2回のテーマ:はんなり、やんわり、ゆっくり、声、呼吸 場所:団地のピロティ 【はじめに】当初は雨が心配されましたが天候にも恵まれ、先週10日からいよいよカプカプ現地での実践講座が始まりました。...
2022/11/09
 両国に来ると少し背筋が伸びるのは、この街の足元には沢山の命が眠っているからかもしれない。回向院の無縁仏に手を合わせ、明暦の大火、関東大震災、東京大空襲に思いを馳せる。隅田川に出ると高速道路がつらぬくビル群の中で、この川の上だけは空が広いことを実感する。川辺にも戦争、疫病、水害、地震、、名も知らぬ市井の人たちを悼む大きな石碑が立てられている。祈りの街だなと思う。  神楽坂育ちの娘は子どもの頃から両国が好きで、いつか住みたいと話していたことを思い出す。彼女の曾祖母は下町大空襲の犠牲になっている。立ち寄った両国花火資料館で、明暦の大火では江戸に暮らす人の5分の1(10万人)が犠牲になったときいた。  娘と一緒に川の水面を眺めていると、彼女が一匹の水クラゲが漂っているのを見つけた。時おり訪れる江の島駅の水槽で泳ぐあの白い海月である。頭には幸福のシンボル「四葉のクローバー」のような模様がついている。ふわりふわりと白い布が漂うように川の中をのぼっていく。 「海月は脳みそもないし、心臓がないし、死ぬと溶けてしまう。理想だよね」 と娘が言う。海月はなぜこの世界に存在しているのだろう。かたちだけでなく、地上のキノコの存在ともどこか似ている。何よりここは海ではなく川だ。海から川をのぼり、この海月はどこに向かっているのだろう。この川に散った無数の魂のひとつだろうか。  水と火と光と命が溶け合っていく。  メーテルリンクのクリスマス童話/戯曲『青い鳥』は1908年にモスクワ芸術座で初演され、翌年の1909年に出版された。国内ではチルチル&ミチルを日本人の「近雄(チカオ)と美知子(ミチコ)」に置き換え、1911年には子ども向けに出版されている。そして現在までに100点以上の完訳、リメイク、絵本等の『青い鳥』が存在するという。私が7歳(1971年)の時に夏休みの読書感想文の宿題として読んだ『青い鳥』は戯曲では無く、子ども向けのノベライズだった。しかし私はこの物語に夢中になり、まさにチルチルとミチルと一緒に「青い鳥」を探しに出かけた「ほんとうのはなし」として学校に”読書感想文”を提出した。言葉遣いも口語で、ほとんど作文の体をなしていないにも関わらず(母には書き直しを命じられたが)担任の先生が面白がって下さり、どこかの賞まで頂いてしまった。子どもの感性をそのまま受け止めてくれた昭和の大らかな国語教育の記憶である。ちなみに『青い鳥』の本は、ノーベル文学賞作家でもあるメーテルリンクの故郷ベルギー、晩年を過ごしたフランスでもほとんど知られていないというのが興味深い。  前置きが大変長くなってしまったが、この読書感想文からちょうど半世紀の時が過ぎ、私はふたたび『青い鳥』の感想文を書こうとしている。今回は読書ではなく舞台感想文である。
2022/11/01
 コネクトでも2014年の施設見学以来、たびたびご紹介している奈良・たんぽぽの家さんが素敵な展覧会を開催します。 ・・・・・以下、たんぽぽの家から。 展覧会「ニュートラ展in 東京」 11月3日(木・祝)〜6日(日)まで、ニュートラの実験と実践を紹介する展覧会を開催します!会場は渋谷、山田遊さん率いるmethodの本拠地、(PLACE)by methodおよびCIRCLEです。...
2022/10/31
〇誤って冒頭記事を削除してしまいました。申し訳ございません。
2022/09/12
 9月9日に和光大学ポプリホール鶴川で開催された新倉壮朗さんの定期コンサートに伺いました。...
2022/07/12
 本日は桜美林大学芸術文化学群が2020年にホールと校舎を移転した「東京ひなたやまキャンパス」に隣接する山崎台団地商店街(町田市)にお邪魔しました。...
2022/07/07
【団地のピロティ、「場」のちから】...
2022/06/22
『夏至のオンガクをきく』ということ(空耳図書館 Director's Note:ササマユウコ)...

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