はじめに
横浜市の旭区にある生活介護事業所カプカプでは新井英夫&板坂記代子さんの身体、ミロコマチコさんの表現、アサダワタルさんのラジオワークショップが隔月で実施されています。コネクト代表のササマユウコは2015年5月に新井WSの取材に訪れたご縁から、この7年間は「新井一座」の一員として、サウンドスケープの視座から身体ワークショップと祭りの「音環境」に携わってきました。
コロナ禍でリアルに集まることが困難だったこの2年間も、カプカプではスタッフの皆さんが創意工夫を重ねて、常に先駆的なアーティストWSが実験されてきました(現在進行中)。個人的に印象的だったのは、「オンラインで家から団地の壁に投影され、道行く住人の皆さんとおしゃべりする」という未来的な経験、そして昨年から再びリアルで集まれるようになってから実感した「継続してきた時間と関係性の力」です。
このほかにも、カプカプ所長の鈴木励滋さんが中心となった2021年度WAM(独立行政法人福祉医療機構)助成では、「社会福祉振興助成事業」に「障害福祉施設におけるアーティストとのワークショップ定着事業」が採択され実施されました。こちらは報告書はPDFでも公開されていますので、ご興味のある方は是非ご覧ください。
福祉の場で行われるアーティストのワークショップには、大きく分けて①ファシリテーション/ティーチング型 ②自身の表現や世界観を反映する芸術表現型、の二通りがあると思います。これはどちらが正解というのではなく、前者は例えば「目的」や「評価」の達成のためにアートが媒介となりプロセスを大事にする、後者はアート活動そのものに没頭することで結果的に場に変化が起きる(豊かになる)場合が多いと感じています。アーティストにも得意/不得意があり、前者は教育者やファシリテーターの方が適任の場もあります。一方で後者はアーティストならではの唯一無二の体験が実現しますが結果が予測できず、わかりやすい評価軸に落としづらいです。ワークショップ依頼者は事前にアーティストがどちらのタイプに適しているのか、そもそもワークショップの「目的」が何か、現場との相性も含めて考慮する必要があります。
生きることは即興である、それは変化する時間とともに
さて、前置きが大変長くなりましたが、昨日6月1日には今年2度目(1月以来)のカプカプ・ワークショップ「カプカプ日和」が実施されました。
5ヵ月の間を置いて、今回からは新装開店「アライタササマの音とカラダのなんでもジッケン室」(略して〈音カラなんでもジッケン室〉)がスタートしました。写真ではわかりづらいですが、新井英夫は自身の体調に配慮して、初めて車椅子で登場するという試みをしました。カプカプメンバー(以下、カプ―ズ)の中には身体に障害のある人も車椅子の利用者も当たり前にいますので、これはアーティストと参加者の「身体的な境界線」が外れた状態とも捉えられました。
身体とは対照的に、会場づくりは今までのような「境界線のない一体感」から、あえての舞台と観客席を仕切る「幕」という境界線を生み、2台のアップライトピアノを含めて小さな劇場のように仕立てました。幕(布)で仕切られた世界は、日常と非日常の境、今年も秋に予定している祭りを始め、生活の中での心のスイッチのオン・オフ、そのレッスンにもつながっていくと思います。
これまでのワークショプが前述のティーチング型中心だとすると、新装開店第一回目は芸術表現型への移行期、ハイブリッドでグラデーション的な内容だったと思います。「リニューアル」を印象付けるために、最初に板坂が「パフォーマンス」という言葉の意味をカプ―ズにもわかりやすく説明し、アーティスト三人で10分程度の即興パフォーマンスを行いました。ここでまずカプ―ズに「観客として」鑑賞する時間を体験してもらうことで、演者となる後半への布石を敷きます。その後は今までの体奏ルーティンワークをピアノを中心にした穏やかでアンビエントな雰囲気に変えていきました(今までは打楽器中心のリズミカルな音風景)。今回は6月1日ということもあって、アーティストは事前に〈雨〉のイメージを共有していました。雨粒から川へ、川から海へ、そしてまた雨粒へと、視覚的なイマジネーションを身体感覚へとつなげる試みが行われました。
ちなみに最初のパフォーマンスでは、幕の後ろに隠れている車椅子の新井が影絵や音を使った「仕掛け」でカプ―ズの心を惹きつけ、ここから始まる時間への期待感を盛り上げました。そこから自然なかたちで車椅子で登場していきました。事前にメンバーには告知されていましたが、実際にいつもと違う姿をみると動揺するかもしれないという心配は懸念に終わりました。また新井&板坂がワークショップの随所に言葉で「ストーリー」を差し込み、ミロコワークで制作された布も効果的に使われながら、身体と音だけでなく視覚的なイメージもつながっていく時間が生まれていました。カプカプの3つのワークショップが祭り以外の場でもリンクしていくことのポテンシャルを感じています。
この日のメインには2021年度清水基金で入手した楽器(この日はハングドラム)のお披露目もありました。音とカラダをつなげる時間として「優しい手の使い方=やさしい音」につながることを楽器を通して体験していくうちに、会場には自然と雨が降る音風景が出来上がっていく流れでした。互いの音を響き合わせる中で、「コミュニケーション・ツール」としての音の存在にも気づいてもらえるような瞬間を、今後も増やしていきたいと思っています。
カプカプは一日にしてならず
カプカプはもう20年以上も団地の商店街の一角で喫茶店の「ふり」をしています。斜め前には「カッパ大明神」が鎮座した素敵なギャラリー&製菓工房もある。喫茶店にはオープンカフェも兼ね備え、コロナ禍でもいつも通りの開放的な雰囲気です。個性的な団地の常連さん、ふらりとコピーを頼みにくる人、軒先のリサイクル品(ここは掘り出し物が沢山ある)を物色している若者たち、学校帰りの子どもたち、まさに老若男女が寄り道していきます。
アライタの身体ワークショップは既に10年目に入り、私も気づけば(偶然の出会いにも関わらず)7年もここに通っている。個人的に福祉の現場はカプカプだけですし、自身は②型のワークショップが向いているタイプです。この7年間は、シェーファーが『世界の調律』に一言だけ残した「社会福祉」の文字を頼りにワークショップ実践者として関わってきました。しかし今となっては、もっともっと自分の人生やオンガクの深い場所に関わる場となっている。生きるとは何か、それを問う場なのです。
障害のある・ないに関わらず、絶対的な表現の自由が保障されているカプカプで、実はいちばん元気をもらっているのはアーティスト自身かもしれません。今回、新井は身体の状態から車椅子で登場しましたが、カプーズにとってそれは特別ではなく見慣れた人の姿だったのです。そして私たちの身体は一人残らず、生まれた時からこの小さな車椅子に向かっているのだと気づかされる思いでした。砂漠の動物はそこで倒れたら終わりですが、人間は道具や知恵、つまり「アート」を使って生きることができる。誰かの「生きよう」とする意思から思わず生まれた美しい瞬間を「芸術」と呼びたいと思うのです。
カプカプの時間にもっともっと「素敵」が届けられるように、ティーチング型と芸術型をハイブリッドさせながら、ここから「なんでもジッケン」していけたらと思っています。
ちなみに次回は7月、「水音影」がテーマになります。
ササマユウコの雑感
体奏家・新井英夫と私はお互いに50代で年齢が近く、20代の頃の芸術や文化、社会の雰囲気を同時代的に共有しています。これはカプカプで現場を共にできる大きな理由のひとつです。もっと遡れば、まだ戦後の空気が残る子ども時代に観たウィットに富んだテレビ番組なども共通の引き出しになっていると思います(「シャボン玉ホリデー」等)。
20代の頃の日本は経済大国と言われ、社会が芸術やファッションに投資する余裕をやっと”お金で”取り戻したような時期でした。また親を含む上の世代には暗い軍国主義、戦争体験者が多かったこともあり、その反省から若者たちには反骨精神や自由が求められました。上からの意見を簡単に信じるな、しかし芸術は信じるに値するという教えがあったと思います。しかしバブルが弾けて社会の空気は徐々に変化し、そこから地に足の着いた草の根的な芸術活動、教育型のワークショップが芽吹いていきました。もしかしたらそこが、この国の本当の意味でのアーティストの出発点だったかもしれません。
新井は自身を「体奏家」と名付け、ワークショップでは本来の芸術を少しずらして教育者的な資質を活かし、アーティストの活動の場を広げた先駆的な存在だと思っています。それは同世代アーティストとして非常に稀なケースですし、これからの新井の心身の「変化=進化」こそ次世代アーティストへの影響が大きいだろうと思っています。
昨日のカプカプからは、ここから小さな芸術作品がたくさん生まれていくような予感がありました。カプ―ズひとりひとりにスポットライトを当てるような、少しだけ特別感のある時間をアライタふたりと共に作っていけたらと思っています。
おまけ
もうとっくに半世紀以上ピアノを弾いていますが、Victor製のピアノにはじめて出会いました。まろやかで、優しい音がする。昨日の会場には隣にもう一台、最近のYAMAHAらしいキラキラする音のピアノが置いてありましたが、自然とこちらのピアノに身体が向かってしまうのでした。
〇カプカプ新装開店ワークショップ「音とカラダのなんでもジッケン室」
アーティスト:新井英夫×板坂記代子×ササマユウコ
実施日;2022年6月1日
場所:横浜市ひかりが丘地域ケアプラザ