『ワールド・クラスルーム 現代アートの国語・算数・理科・社会』@森美術館

 4月19日から9月24日まで、六本木・森美術館の開館20周年記念展として『ワールド・クラスルーム 現代アートの国語・算数・理科・社会』が開催されています。(会場ではタイトルに音楽、体育、総合が加わり全8教科になっています)。

 チラシの解説には「90年代以降の現代アートは世界の多様な歴史や文化的観点から考えられるようになり、学校の授業の図画工作や美術といった枠組みを遥かに越えた、あらゆる科目に通じる総合的な領域として捉えることができるものになりました」と書いてありました。確かに、世界そのものを探求しようとする現代アーティストたちは、音楽や科学や数学といった多様なジャンルの手法で作品を提示するようになっています。言い方がよくないですが、コンセプトにアート性があれば音楽、映画、小説など「何でもあり」とも言えなくはない。実際に今回の展示でも30分前後の映像作品が多く、各作品のストーリーを丁寧に鑑賞するには3時間近くが必要となりました。さながら長編オムニバス映画を観ながら、立体や平面作品を鑑賞しているような状態です。中にはネット上で鑑賞できる映像もありましたが、それで済むならば美術館に展示される意味とは何でしょう。映画と現代アートの違いや鑑賞方法がよくわからず、正直悩ましいと思いました。

 実は領域を越境するアートの手法は90年代以降に限らず、1960年代のフルクサス、1920年代のダダやバウハウス、もっと一気に飛んで古代ローマの「リベラル・アーツ」までさかのぼって考えることが出来ます。ペスト以降に古代ギリシャ・ローマの学問や文化を復興しようとしたのが「中世ルネッサンス」ですから、もしかしたらこの3年間のコロナ・パンデミックを経て、再び復興運動が始まるのかもしれません。
 そもそも「アート」の語源となる、古代ローマのアルス(ラテン語)とテクネー(ギリシャ語)には、「学問」と「技術」両方の意味がありました。しかし、現在の大学教育の基礎につながる中世ヨーロッパの自由七科(文法学・修辞学・論理学・算術・幾何学・天文学・音楽)からはアートは外されています。絵を描いたり、モノを作る技術は学問ではなかった、というよりは職業的な基礎として当然の技術だったとも言えます。絵画や彫刻を「個の芸術」として認識するようになるのはこの後の時代ですから、いわゆる現代の「アート」の概念は無かった時代です。ちなみに自由七科に入っている「音楽」は演奏や歌うことではなく、天文学や算術に近い「音のない学問」でした。これは「サウンドスケープ」という音楽観を提唱したマリー・シェーファーが「現代のルネッサンス人」と評されたことともつながります。そもそも「美術」を志したシェーファーが音楽を自由七科のように学際的に捉え直した試みでもあったからです。
 この「世界の教室 ワールド・クラスルーム」の根底にあるのも、アートで「森羅万象を探求する」とは何か、世界とは何かという「問い」だったと思います。それは、筆者が東日本大震災以降、「芸術教育デザイン室コネクト」を掲げて世界を捉え直す実践研究を展開した動機とも重なるのでした。

 「歴史は繰り返す」のだとしたら、コロナ・パンデミックを経験したアートはここから「ルネッサンス」期に入り、(そもそも)に立ち返る復興運動が起きるのかもしれません。そしてふたたびデカルトのような人が登場し、アートは「個」を発見する時代に入る。学問ではなく「内なる動機で」表現すること、個人の存在に立ち返るアートが生まれていく、のかもしれません。我思う、ゆえに我つくる。

 これはどちらが良い/悪い、優劣の話ではありません。個の表現を追求した先にリベラル・アーツの発見が、そこから円環的に今度は個人の発見が繰り返されるのが人間の思考だと思うからです。進化しているのではなく、少しづつ発見しながら回っている。いずれにせよ、アートはいつの時代も「世界」を追い求めていくでしょう。ではその世界とはどこにあるのか。
  少し話が脱線しますが、天動説と地動説は時代によって「正解」が変ります。コペルニクスが「地動説」を発見したと思われていますが、もともと天動説の前には地動説があったことは意外と知られていません。考えてみればこの定説は「個の内と外」どちらから世界を見ているか、という視点に他ならない。科学の世界の捉え方が、すべての人にとっての「正解」という訳でもないのです。なぜなら答えはシンプルで、「今、私は動いている」と実感できないからです。「地動説」だと学校で学んだから常識としてそう思っているだけです。しかしアートには「本当はそう感じていないけど、学校で学んだから正解だと思い込んでいること」に揺さぶりをかける力もあることは、忘れないでいたいと思います。

 ただその上で、今回の展覧会が提示したような「領域を越境する学び」はもっと増えてほしいと思いました。受験対策を重視して早々に文系・理系を決めず、特に大学は実学重視ではなく、リベラルアーツにもっと力を入れてほしい。そもそも総合大学に芸術学部がほとんど存在しないことも、森羅万象を学ぶ学問の場としては不完全です。芸術は偏差値では測れないにも関わらず、この国だけの特殊な「数字」で世界を分断しています。数字や言葉を越えて学ぶことができるのはアートを含む芸術だけだということを、あらためて実感する展覧会でした。

ワールド・クラスルーム 現代アートの国語・算数・理科・社会

 六本木森美術館にて、9月24日まで開催中