【感想】リラックス・パフォーマンス~世代、障害をこえて楽しめるコンサート@東京文化会館

【音楽・サウンドスケープ・社会福祉】

 11月16日に東京文化会館小ホールで開催された”世代、障害を越えて楽しめる”をテーマにしたコンサート〈リラックス・パフォーマンス〉に伺いました。〈東京文化会館〉と聞くとクラシック音楽のイメージが強いですが、実は〈あらゆる人が音楽で交流できる社会をめざして〉さまざまな取り組みがされています(ということを、先日デフリンピック関連の広報で知りました)。アートが持つ〈創造性〉〈協調性〉〈参加性〉を活かし、社会的課題に向き合いながら、人々の生活の質〈QOL〉の向上や共生社会の実現を目指して、今回の〈リラックス・パフォーマンス〉も年齢や障害、社会的ハンディキャップの有無に関わらず、〈あらゆる人〉が楽しめる音楽鑑賞の場として開催されました。

 筆者がこのコンサートに伺った目的は、まさに〈あらゆる人が楽しめる〉ための工夫や仕組みづくりを体験することにありました。昨夏ディレクションで関わったサントリーホール・サマフェスでも感じましたが、特に〈クラシックの殿堂〉と位置づけられる音楽ホールほど、昨今の〈合理的配慮〉や〈アクセシビリティ〉への意識が、劇場や美術館に対して立ち遅れている印象があるのです。それこそが〈クラシック音楽〉という〈聴覚に特化した芸術〉の特殊性だとも思いますが、果たしてこのままで良いのか。さらに今回は〈ろう者のオンガク〉の観点から、舞台と会場をつなぐ”ろう者”ナビゲーターによる〈サイン・ミュージック〉にも興味がありました(この印象についてはまた別の機会に)。

 ホールや劇場を社会の縮図と考えると、〈あらゆる人〉が平等に楽しめる〈場の関係性〉こそが理想の社会像とも言えます。音楽ホールにも、それを提示して見せる役割があるとも言える。〈障害〉を個人モデルではなく社会モデルから捉え直した時に、ホール建築やコンサートの運営方法そのものが大きく変わる可能性もあります。何よりも聴者のマジョリティ(主に白人男性)が長い時間をかけて築いた〈クラシック音楽〉の世界に内在する〈障害〉とは何か。それをどのように解決することができるのか。従来のコンサートに配慮を〈後付け〉する発想だけでなく、時にはコペルニクス的転回が必要になることもあるでしょう。

 ちなみに会場ロビーには、最近は美術館や空港でも見かける簡易型の〈カームダウン・クールダウンスペース〉が設置されていました。これは発達障害や自閉症の人がパニックを発症した際に落ち着かせるための〈部屋〉です。新しい建築では目的は多少異なりますが、ホール最後方に〈キッズルーム〉等の名前で、音響室のようなガラス張りの防音ルームが設置されていることもあります。

 2011年以来、音楽家/企画者として筆者が体験した福祉現場では、〈障害の特性〉によって音量/音質、演目への配慮が異なることを実感しています。実は〈あらゆる人〉が楽しめるようなコンサートはとても難易度が高い〈場づくり〉です。例えば今回のプログラムだと、ダイナミックなリズムや音の重なりが特徴的な2台ピアノのペトルーシュカは、リズムを楽しめる難聴の方には適切でしたが、イヤーマフを必要とする聴覚過敏、感覚過敏の子には過剰な情報量だったように思います。加えて〈ろう者〉の定義が曖昧で、ロビーや場内に配置された手話案内が〈誰に〉向けられたのか、そもそも鑑賞者に音がきこえない〈ろう者〉がいたのかも不明でした。ただし〈あらゆる人〉が〈手話〉に親しむ場としては効果的でした。特別なことではなく、音楽コンサートにも当たり前に〈手話〉が存在することが大切なのです。

 既にシルバーの仲間入りを始めていますが、〈聴者の音楽家〉というマジョリティの視点では、これまで無意識だったホールの〈アクセシビリティ〉を捉え直す機会となりました。ちょうど大ホールでも同時刻に人気の〈ドラゴン・クエスト〉コンサートが開催され、開演前のロビーは大混雑。スタッフの案内がよく聞こえず、ホール入口がわからずに戸惑っている人たちがいました。小ホール・スロープ下にも手話を含む案内係を設置し、小ホールのトイレは階段を使う地下のみであることを含めたアナウンスも必要だったと思います。この階段は身体に障害のある人や車椅子利用者はもちろん、高齢者にとっても難所となっていました。

 肝心のコンサート内容そのものは、親しみやすいナビゲーターを中心に丁寧に進んでいきました。演奏中には会場内で声があがることも、途中退場もありましたが、客席には〈場の目的〉が事前に共有されていたので緊張感が生まれることはありませんでした。曲が長くて途中で客席の集中が切れてしまう時間帯もありましたが、それは〈あらゆる人〉に起こり得ることです。全体に休憩が無い場合は、アンコールを含めて50分~1時間に収めた方がよかったとも思います(隣席の方に〈演奏終わらないねー〉と大きな声で語りかけられて戸惑いました(笑))。しかし、だからこそ演奏家にとっても学びの多い時間だったと思うのでした。

 聴者の音楽家は主に〈音楽を届ける〉ことをミッションとしています。特にクラシック音楽を職業とする人たちは、子どもの頃から厳しい研鑽を積み重ねています。それは見方を変えると、〈音のない世界〉からは最も遠い場所を生きてきたことになる。どんなに渾身の演奏をしても、自分の〈音〉が文字通り〈届かない〉世界があることを知ることは大切です。

 しかし本来、たとえ聴者同士であっても〈音楽〉を共有することは想像以上に難しいことです。音楽は時には、人と人を〈分断〉することさえあります。残念ながら万能薬ではない。だからこそ時には〈音〉から少し離れて世界を俯瞰すると、〈音楽〉ではなく〈オンガク〉を共有することの意義に気づきます。

 2017年以来、アートミーツケア学会の公募プロジェクトとして始まった〈聾CODA聴 対話の時間〉では、ろう者と聴者が共に音のある/ないオンガク対話を続けてきました。その時間を経て、いずれの世界にも共通する〈オンガク〉が存在すると確信しています。しかしその前に〈音〉という物理的エネルギーを持つ聴者は、関係性の〈非対称性〉を自覚しなければならない。何よりも音のないオンガクを〈きく〉態度を持たなければならないと感じています。

 例えば東京文化会館のように〈聴者の音楽〉のために建てられたホールには〈名建築〉と呼ばれるものが多いのはなぜでしょう。それは建築家が〈オンガク〉を意識して設計したからです。特に東京文化会館はホール内の音響装置だけでなく、外壁やロビーの天井、建物すべてに視覚的にも〈オンガク〉を感じます。時間を遡れば、西洋リベラルアーツでは音楽と建築は地続きにありましたし、クラシック音楽の歴史に思いを馳せてみると、ステージ上から一方向的に〈音楽〉を演奏する関係性だけでなく、〈あらゆる人〉がオンガクを楽しめるような〈場の関係性〉が少しみえてくる・きこえてくるような気がするのでした。


【執筆:ササマユウコ/芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表】
幼少期からピアノを学び、演奏・作曲活動を経て、2011年東日本大震災を機に〈音楽、サウンドスケープ、社会福祉〉の実践研究。現在、アートミーツケア学会理事。〈関係性の音楽〉の提示から2023年度日本音楽即興学会奨励賞受賞。2000年代の作品は世界72ヵ国で配信中。