カテゴリ:コネクト通信12月号



2023/12/07
 2009年に京都府舞鶴市の特別養護老人ホーム「グレイスヴィルまいづる」のワークショップから生まれた、ダンサー砂連尾理さんを中心とした『とつとつダンス』。コロナ禍に苦肉の策で始めたオンライン活動が思いのほか広がり、今では鹿児島のみならず海を越え、マレーシアやシンガポールへと、静かな波紋のようにじわじわとダンスの輪が生まれています。3日に北千住・東京芸術センターで開催された2023年度活動報告会〈展示・パフォーマンス・トークセッション〉では、冒頭でシンガポールの認知症家族とつながったミラーリング(真似っこ)や、失語症の方のための〈インチキ語の会話〉などで場や関係性をほぐしていくオンライン・ワークショップの様子も〈公開〉されました。  砂連尾さんの身体ワークは2012年に訪れた『たんぽぽの家』で頂いた「ケアする人のケア」の資料で注目しましたが、その後2017年に京都で開催されたアートミーツケア学会で実際にワークショップを受け、その後も直接お話を伺う機会がありました。「高齢者相手のワークショップは次が無いかもしれない」、一期一会であるという感覚を大切にされていることが、筆者がコロナ前まで10年続けたホスピスコンサートで得た感覚とも重なり共感がありました。  現在の砂連尾さんは、カプカプ新井一座でご一緒しているALS車椅子利用者となった体奏家・新井英夫さん、その新井さんともプロジェクトを展開している今夏サントリーホールのサマフェスで唯一無二の場をつくっていたジャワ舞踊・佐久間新さんとも緩やかにつながる『ケアの身体の星座』のひとりだと認識しています。 ●今回の活動報告会の詳細につきましては、主催一般社団法人torindoのサイトをご覧ください。この活動報告会ではアーティストを支える国内外の堅牢なプロデュース体制も大変印象的でした。以下は、個人的な感想から。
2022/12/13
 先週12月9日に実施されたシンポジウム「障害者による芸術文化活動のこれから」は、現在厚労省が推進している「障害者芸術文化活動普及支援事業」の一環でした。実は文化庁にも「障害者等による文化芸術活動推進事業」があります(現時点のサイト情報では令和5年度の事業募集があるのか不明ですが)。そもそも「芸術文化」と「文化芸術」の違いとは何か、両庁の言葉/概念の定義の違いも気になるところでした。  何より現時点では福祉の中にある芸術(厚労省)、芸術の中にある福祉(文化庁)がきっぱりと分断されている訳でもありません。アーティストを含めて関わる人が重なっている現場も珍しくありません。それぞれの現場で求められていることが違う場合もあるし、そうではない場合もある。国内では幸か不幸かオリパラ文化政策とパンデミックが重なったことで、芸術や福祉の概念や在り方の問い直しが求められていて、当事者を含めた活発な議論が始まったところだとも言えるでしょう。今回紹介された世田谷パブリックシアターのアウトリーチやPalabra株式会社のアクセシビリティへの取り組みはもちろん、筆者も7年間ご一緒している新井英夫さん(進行性の難病闘病中)と鈴木励滋さんのカプカプ・ワークショップの事例は、実際に現場に関わっていくフリーランス・アーティストや福祉施設スタッフにとっても興味深い内容だったと思います。  現在、障害や福祉を考える上での世界的動向は「医学/医療モデル」「社会モデル」から「肯定モデル/共犯モデル」に移行しつつあるということは、先日出席したアートミーツケア学会でも学びました。カプカプはまさに新しい福祉モデルであり、芸術でもあると感じています。カプカプではメンバーはもちろん、訪れたアーティストも大事にされますし、実はこの7年間の現場で「障害者」という言葉を一度も聞いたことがありません。ケアする/される境界に相互関係を生むのが「芸術活動の力」だと実感しています。  超高齢化の進む社会の中では、これまでの「健常者」「障害者」という二項対立の境界はどんどん曖昧になっていくはずです。実際に筆者が住む東京郊外を走るバスの乗客は、ほぼ全員が高齢者で杖を使用しています。たった二席の「優先席」の意味も無くなっています。80代半ばの母の耳は補聴器が無ければほとんど聴こえなくなりました。障害がある人を「エンパワメント」していたアーティスト自身が病や高齢で身体が不自由になることも当然あります。一方的に「ケアする立場」だけを担わされている施設スタッフさんをケアする人が必要であるように、本来は芸術/芸術家を対象にした「福祉」も必要になるはずです。既に、ろう者によるろう者の芸術家育成プログラムが始まっていますが、障害の当事者が主体的につくる芸術(教育)の場もさらに増えていくことでしょう。  つまりは誰もが「よく生きる」社会とは何か。芸術文化活動の在り方もひとつの指標になることは間違いありません。    例えばカプカプの新井一座ワークショップの場は予定調和には収まりません。豊かなアイデアを持つメンバーが主導となって場が展開していくこともあります。そこでは芸術が得意とする即興性や創造性や実験性が生き生きと発揮されていくのです。「作品」という成果(訓練)が強要されずにプロセスを重視する時間には、芸術の「リレーショナル・アート」や「ワーク・イン・プログレス」のような受け止め方が必要になるはずです。新井さんも映像で話していましたが、「障害者」と言われるメンバーひとりひとりの内にある芸術が表出するための「きっかけ」を見つけ出すこと、アーティストは少し背中を押してあげるタイミングに集中すればよいのです。「指導する/される」ではなく、芸術を媒体に平等な関係性や表現の自由を第一に考えます。  カプカプの事例のように、成果ではなく相互の関係性、メンバーの日常を豊かにするプロセスの積み重ねに目的を移していくと芸術が途端に生き生きとします。これは皮肉なことに学校教育や能力主義の芸術教育とは対極にあると言えて、だからこそ専門教育を受けた人こそ世界との関わり直し、捉え直しが必要になると感じています(筆者がそうでした)。先週のアートミーツケア学会に続き、芸術教育の問題も炙り出されたようなシンポジウムでした。 〇このシンポジウムの収録動画は後日公開される予定です。
2022/12/05
 ...
2021/12/30
NOTE『サウンドスケープとは何か〜シェーファーの耳と目から考える』 8月に亡くなった「サウンドスケープ」提唱者でカナダの作曲家R.M.シェーファー追悼として、今年最後にこの記事を再掲します。21世紀生まれ、大学2年生の我が子に語るつもりで書きました。個人の音楽人生にも大きく影響した氏の主著『The Tuning of The World...
空コレ · 2021/12/23
 3月11日『春と修羅 序』、夏至のオンガク、秋分カプカプ祭りに続き、今年最後の空コレ記録です。メンバー6人の知覚をひとつにつなぎ、ひとりでは体験できない2021年冬至の時空を記録しました。4分程度ですので、是非ご覧ください。 〇空耳図書館コレクティブとは...
2021/12/08
 現在開催中の東京国際ろう映画祭に出品されている映画『オーディズムについて対話しよう』の監督インタビューです。昨今、ろう者や聴覚(障害)をテーマにしたアートや映画作品や音楽活動が増える中で、特に聴者が知っておきたいことが1975年にアメリカで提唱された「オーディズム」という概念です。日本語に訳すと「聴力主義」。これは音・聴覚の専門家ともいえる音楽家にとっては最も遠い概念とも思えますが、だからこそ「知らなかった」ことで生まれてしまう問題があることを少しお伝えしたいと思います。  例えば音楽の場合。「音楽には音がある、音のある音楽は素晴らしい」と考えるのが聴者の音楽家の”当たり前”だと思います。そのことには全く問題ありません。だからと言って、そもそも音がきこえない聾者に対して、彼らがそれを望んでいない場合を想定せずに「音のある音楽の素晴らしさを伝えよう」とする行為には無意識の差別の萌芽、聴力(音のある世界)を上に置く関係性の不均衡があるという考え方です。これは聴者の音をベースに「手話歌」を教えようとする関係性にも当てはまります。手話を英語に置き換え、ネイティブスピーカー(ろう者)に対して英語学習者が主導権を握っている関係性になると考えると解りやすいかもしれません。もちろんろう者は「オーディズム」によって聴者を非難している訳ではありません。聴者の世界の「当たり前」を一方的に押し付けるのではなく、まずは「音のない世界」に耳を傾けてほしい、その「対話の必要性」を訴えているのです。そこから生まれる「手話歌」や「オンガク」が大事だということです。  「オーディズム」の存在を知ると、聴覚障害を扱った聴者からアウトプットされる”作品”や”言葉”も大きく違ってくるはずです。例えば昨日ご紹介した『サウンド・オブ・メタル』は、あくまでも「主人公=聴者の中途失聴者」の「耳」から描かれた聾文化という視点を崩さずに、想像以上に丁寧に迫っていました。この作品に与えられた2021年アカデミー賞の音響賞・編集賞は、音響技術そのものへというよりは今までにありそうで無かった「難聴者のきこえ」から音を設計したという新しい視点に与えられたのだと思います。一方で、現在展示中の『語りの複数性』(公園通りギャラリー)の中には、ろう者にとってデリケートな問題である「口話教育」を無意識に後押しするような危うさ、アンフェアな関係性に生まれる暴力性を孕んだ映像作品がありました。字幕はありましたが「鑑賞者」にろう者が想定されていたかは不明です。聴者の作家にはその意図が全く無かっただろうと思うだけに、問題提起としては面白いアートでしたが芸術体験とは別のモヤモヤが残ります。障害や異文化をテーマにした作品や活動が増えていく中で、他者理解、異文化理解としての「障害学」、倫理のまなざしから自己規制ではなく自らの表現を問う姿勢は常に持っていたいと思うのでした。それは高齢化が進み様々な”障害”を抱えた身体や知覚が社会に増えていく中で、芸術活動に限らず日常的に問われていくでしょう。  私がこの問題を意識するようになったのは、ここ数年「サウンドスケープの概念は差別的」という言説を、特に若い世代に見かけるようになったからです。もともと音楽の内側で生まれた概念とは言え、確かにシェーファーの言説は聴覚に偏りすぎ、音楽/聴力至上主義的な印象があります。私自身は東日本大震災時に自身のオンガクを見失った時、氏の力強い言葉がアイデンティティを支える上で大変励みになりました。なぜなら音のある音楽を聴くこと、演奏することは私の人生そのものだからです。  しかし一方で2016年の映画『LISTEN リッスン』監督たちと対話を続ける中で、音・聴力だけを主張する世界からは弾かれてしまう人がいること、また知覚(きく)は個体差が大きく、特に聴覚器官(きく)は耳だけではないということに気づいたことがきっかけで自分の中の「何か」が変わりました。何より「音のない世界」は常に音のある世界の傍らにあることに気づいたからです。だからこそ、それぞれの世界が共に響き合うような豊かな関係性を丁寧に模索していけたらと思います。  このあたりは先日のNOTEで「シェーファーの耳と目」からもお話しています。氏の視覚には生まれながらに障害があり、美術(視覚)から音楽(聴覚)へと世界の軸を移さねばならなかったシェーファー自身の知覚、世界の捉え方を紐解くことから「サウンドスケープとは何か」を改めて考えて頂けると思います。差別主義ではないこともお分かりいただけると思いますし、オーディズムを考える上でもご一読頂けると幸いです。 〇サウンドスケープとは何か~シェーファーの目と耳」 https://note.com/connectconnect/n/n6094768b1b5b
【映像/空耳図書館のはるやすみ2021・立春】...
今年最後の『空耳図書館のおんがくしつ』。 いよいよ日曜日(22日・冬至)開催です♪お天気に雨マークがついていますが、これも自然のリズム。会場の相模原市立市民・大学交流センターは、小田急線相模大野駅徒歩すぐ。雨に濡れずに来れますので、ぜひお気軽にお立ち寄りください♪...
2019/12/03
 ところで「対話」って何でしょう?あらためて辞書で調べると「向かい合って話すこと、また、その話」と書かれています。あら、簡単(笑)。でもその簡単なことが日々なかなか上手くいかないから不思議です。...
2017/12/19
 12月14日~16日の三日間、京都芸術センター、京都市立芸術大学で開催されたアートミーツケア学会にコネクト代表のササマユウコが参加しました。現在この学会が運営する青空委員会からは、協働プロジェクト「聾/聴の境界をきく~言語・非言語対話の可能性」に助成を頂いています。...

さらに表示する