現在開催中の東京国際ろう映画祭に出品されている映画『オーディズムについて対話しよう』の監督インタビューです。昨今、ろう者や聴覚(障害)をテーマにしたアートや映画作品や音楽活動が増える中で、特に聴者が知っておきたいことが1975年にアメリカで提唱された「オーディズム」という概念です。日本語に訳すと「聴力主義」。これは音・聴覚の専門家ともいえる音楽家にとっては最も遠い概念とも思えますが、だからこそ「知らなかった」ことで生まれてしまう問題があることを少しお伝えしたいと思います。
例えば音楽の場合。「音楽には音がある、音のある音楽は素晴らしい」と考えるのが聴者の音楽家の”当たり前”だと思います。そのことには全く問題ありません。だからと言って、そもそも音がきこえない聾者に対して、彼らがそれを望んでいない場合を想定せずに「音のある音楽の素晴らしさを伝えよう」とする行為には無意識の差別の萌芽、聴力(音のある世界)を上に置く関係性の不均衡があるという考え方です。これは聴者の音をベースに「手話歌」を教えようとする関係性にも当てはまります。手話を英語に置き換え、ネイティブスピーカー(ろう者)に対して英語学習者が主導権を握っている関係性になると考えると解りやすいかもしれません。もちろんろう者は「オーディズム」によって聴者を非難している訳ではありません。聴者の世界の「当たり前」を一方的に押し付けるのではなく、まずは「音のない世界」に耳を傾けてほしい、その「対話の必要性」を訴えているのです。そこから生まれる「手話歌」や「オンガク」が大事だということです。
「オーディズム」の存在を知ると、聴覚障害を扱った聴者からアウトプットされる”作品”や”言葉”も大きく違ってくるはずです。例えば昨日ご紹介した『サウンド・オブ・メタル』は、あくまでも「主人公=聴者の中途失聴者」の「耳」から描かれた聾文化という視点を崩さずに、想像以上に丁寧に迫っていました。この作品に与えられた2021年アカデミー賞の音響賞・編集賞は、音響技術そのものへというよりは今までにありそうで無かった「難聴者のきこえ」から音を設計したという新しい視点に与えられたのだと思います。一方で、現在展示中の『語りの複数性』(公園通りギャラリー)の中には、ろう者にとってデリケートな問題である「口話教育」を無意識に後押しするような危うさ、アンフェアな関係性に生まれる暴力性を孕んだ映像作品がありました。字幕はありましたが「鑑賞者」にろう者が想定されていたかは不明です。聴者の作家にはその意図が全く無かっただろうと思うだけに、問題提起としては面白いアートでしたが芸術体験とは別のモヤモヤが残ります。障害や異文化をテーマにした作品や活動が増えていく中で、他者理解、異文化理解としての「障害学」、倫理のまなざしから自己規制ではなく自らの表現を問う姿勢は常に持っていたいと思うのでした。それは高齢化が進み様々な”障害”を抱えた身体や知覚が社会に増えていく中で、芸術活動に限らず日常的に問われていくでしょう。
私がこの問題を意識するようになったのは、ここ数年「サウンドスケープの概念は差別的」という言説を、特に若い世代に見かけるようになったからです。もともと音楽の内側で生まれた概念とは言え、確かにシェーファーの言説は聴覚に偏りすぎ、音楽/聴力至上主義的な印象があります。私自身は東日本大震災時に自身のオンガクを見失った時、氏の力強い言葉がアイデンティティを支える上で大変励みになりました。なぜなら音のある音楽を聴くこと、演奏することは私の人生そのものだからです。
しかし一方で2016年の映画『LISTEN リッスン』監督たちと対話を続ける中で、音・聴力だけを主張する世界からは弾かれてしまう人がいること、また知覚(きく)は個体差が大きく、特に聴覚器官(きく)は耳だけではないということに気づいたことがきっかけで自分の中の「何か」が変わりました。何より「音のない世界」は常に音のある世界の傍らにあることに気づいたからです。だからこそ、それぞれの世界が共に響き合うような豊かな関係性を丁寧に模索していけたらと思います。
このあたりは先日のNOTEで「シェーファーの耳と目」からもお話しています。氏の視覚には生まれながらに障害があり、美術(視覚)から音楽(聴覚)へと世界の軸を移さねばならなかったシェーファー自身の知覚、世界の捉え方を紐解くことから「サウンドスケープとは何か」を改めて考えて頂けると思います。差別主義ではないこともお分かりいただけると思いますし、オーディズムを考える上でもご一読頂けると幸いです。
〇サウンドスケープとは何か~シェーファーの目と耳」
https://note.com/connectconnect/n/n6094768b1b5b
筆者:ササマユウコ(音楽家・芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表)
1964年東京生まれ。映画、出版、劇場の仕事を経て2000年代にレーベル発足。YukoSasama名義でN.Y.から72各国で配信中。東日本大震災を機にサウンドスケープを「耳の哲学」と捉え直して研究者やアーティスト共に思考実験、対話の時間をつくっている。上智大学(視聴覚教育、教育哲学)卒、弘前大学大学院今田匡彦研究室、まちだ市民大学、アートミーツケア学会、日本音楽教育学会、日本音楽即興学会会員。
空耳図書館、即興カフェ、聾CODA聴プロデュース。