両国に来ると少し背筋が伸びるのは、この街の足元には沢山の命が眠っているからかもしれない。回向院の無縁仏に手を合わせ、明暦の大火、関東大震災、東京大空襲に思いを馳せる。隅田川に出ると高速道路がつらぬくビル群の中で、この川の上だけは空が広いことを実感する。川辺にも戦争、疫病、水害、地震、、名も知らぬ市井の人たちを悼む大きな石碑が立てられている。祈りの街だなと思う。
神楽坂育ちの娘は子どもの頃から両国が好きで、いつか住みたいと話していたことを思い出す。彼女の曾祖母は下町大空襲の犠牲になっている。立ち寄った両国花火資料館で、明暦の大火では江戸に暮らす人の5分の1(10万人)が犠牲になったときいた。
娘と一緒に川の水面を眺めていると、彼女が一匹の水クラゲが漂っているのを見つけた。時おり訪れる江の島駅の水槽で泳ぐあの白い海月である。頭には幸福のシンボル「四葉のクローバー」のような模様がついている。ふわりふわりと白い布が漂うように川の中をのぼっていく。
「海月は脳みそもないし、心臓がないし、死ぬと溶けてしまう。理想だよね」
と娘が言う。海月はなぜこの世界に存在しているのだろう。かたちだけでなく、地上のキノコの存在ともどこか似ている。何よりここは海ではなく川だ。海から川をのぼり、この海月はどこに向かっているのだろう。この川に散った無数の魂のひとつだろうか。
水と火と光と命が溶け合っていく。
メーテルリンクのクリスマス童話/戯曲『青い鳥』は1908年にモスクワ芸術座で初演され、翌年の1909年に出版された。国内ではチルチル&ミチルを日本人の「近雄(チカオ)と美知子(ミチコ)」に置き換え、1911年には子ども向けに出版されている。そして現在までに100点以上の完訳、リメイク、絵本等の『青い鳥』が存在するという。私が7歳(1971年)の時に夏休みの読書感想文の宿題として読んだ『青い鳥』は戯曲では無く、子ども向けのノベライズだった。しかし私はこの物語に夢中になり、まさにチルチルとミチルと一緒に「青い鳥」を探しに出かけた「ほんとうのはなし」として学校に”読書感想文”を提出した。言葉遣いも口語で、ほとんど作文の体をなしていないにも関わらず(母には書き直しを命じられたが)担任の先生が面白がって下さり、どこかの賞まで頂いてしまった。子どもの感性をそのまま受け止めてくれた昭和の大らかな国語教育の記憶である。ちなみに『青い鳥』の本は、ノーベル文学賞作家でもあるメーテルリンクの故郷ベルギー、晩年を過ごしたフランスでもほとんど知られていないというのが興味深い。
前置きが大変長くなってしまったが、この読書感想文からちょうど半世紀の時が過ぎ、私はふたたび『青い鳥』の感想文を書こうとしている。今回は読書ではなく舞台感想文である。
今回この舞台を演出した上本竜平はチルチル&ミチルの隣家に住む「眠りのもたらす夢のやまいにかかり、こもり続ける娘」に焦点を当て、コロナ禍で「こもり」の日々を過ごした私たち自身の経験として読み解いていった。パフォーマーの永井美里は、終演後のトークの中でコロナ時代の「こもり」から舞台に戻るためには、すっかり重たくなった手や足、何より心を奮い立たせるプロセスが必要だったと語っていた。疫病という非日常から普段の暮らしへ。表現者にとっては日常であり非日常でもある舞台へと心と身体を何段階もシフトさせる、あるいは時間を戻すプロセスには、本来ならば「こもり」と同じかそれ以上の長さの時間が必要なのだと思う。こればかりはチルチルがダイヤモンドを回すようにはいかず、さまざまな葛藤もリアルな心と身体で乗り越えなければならない。
ふわりとした白く長いシャツを着て、「こもり続ける少女」となった永井はその心身の再生のプロセスを、時には青い鳥にもなって表現していく。重たく横たわった身体には徐々に動きが加えられ、何度も繰り返される動作には葛藤が滲み、しかし最後には戯曲の中の少女と同じように「走ったり、踊ったり、とんだり」する。照明にあたるたびに白い衣装を通して鍛えられた身体の輪郭が透けて見え、目の前には確かに生身の人間が存在していることを実感する。ダンサーの身体が生む呼吸音は、この舞台のために作られた呼吸音や日常の音を取り入れた西川裕一の楽曲と重なり合っていく。観客はこの瞬間、3年間近くマスクに閉ざされていた他者の呼吸、息をする人の存在を思い出すのである。永井がしなやかに動くたびにふわふわと揺れる白い衣装に、ついさっき見た川面にたゆたう一匹の白い海月の姿が重なっていった。海月はやはり生きる魂の存在だ。その白い魂は後半で脱ぎ捨てられ、コンタクト・インプロをベースにした上本とのデュオの中で自己と他者の関係性として再構築される。
ところで『青い鳥』とはあらためて何だろう。なぜこの国ではこれほど人気があるのだろうと思う。メーテルリンク本人は「『青い鳥』は哲学書の一ページを翻訳するよりもむずかしい」と記したらしい。だからこそこの物語の中に見出される「問い」は、実は読む人それぞれで違ってくるはずだ。何よりもこの国には100種類以上の『青い鳥』が存在するのだから。実は私が最初に読んだノベライズでは、最後に「青い鳥」が逃げてしまった記憶がない。手元にある2004年岩波少年文庫の戯曲版では最後に鳥が逃げてしまう。思い出すのは、大学時代の友人が「青い鳥が最後は自分の家にあるだなんて、読んでてがっかりした本」と話していたことだ。半世紀前の子どもたちの中には、青い鳥を家で見つけて終わっている人が意外と存在するのかもしれない。「青い鳥」を「幸せ」と置き換えた時、最後に逃げてしまうことから生まれる「問い」は実はとても深い。
今回の舞台では最後にその鳥は客席に放たれた。そして「みなさんのなかで、もしどなたか、あの鳥を見つけたら、ぼくたちに返してくださいませんか?ぼくたちは、これからさき幸せになるために、あの鳥が必要なんです」と、原作の最後の台詞でこの作品は終わった。この「ぼくたち」とは誰か。チルチルと少女か、ミチルか。それとも彼らの家族か。メーテルリンクが選んだ「返して」という言葉がとても気になるのだった。しかしこの物語には続編があって、実はこの「こもりの少女」は将来チルチルと結婚するのだという。もしかしたら彼女がかかっていたのは「初恋の病」だったのかもしれないと思ったのは、この舞台を観る前に寄った両国花火資料館で聞いた「明暦の大火」の逸話に「恋に病む少女(振袖火事)」の話があったからだ。チルチルから鳥を手渡された途端に少女が元気になる象徴的なシーン、そしてその鳥が逃げてしまったにも関わらず、続編でチルチルに再び旅をさせ、ふたりを結婚させたメーテルリンクの人生哲学は一筋縄ではいかない。
逆に言えば、妹ミチルの未来にも興味が湧いてくる。
今回、上本も「場」のこころみと話していたが、終演後のゲストトークの在りようが哲学カフェ的で興味深かった。「青い鳥」のような「問いを生む作品」を深めるために有意義な時間だったと思う。また作品の中のリアルな「呼吸音」に注目した感想が多かったことに、3年近いマスク時代の意識の変化を実感した。
追記:今回の会場となった隅田川のすぐ近くにある両国門天ホールは、配信イベントも含めコロナ禍でも意義のある企画を数多く送り届けている。前身の門前仲町天井ホールから受け継がれた下町らしい粋なプログラムが充実した稀有なホールである。最先端の現代音楽から大道芸に至るまで一本筋の通った存在感が保たれているのは、ひとえに支配人・黒崎八重子さんの経験値とお人柄だと思っている。日本では普及が遅れているピアノの内部奏法も可能。
筆者:ササマユウコ(音楽家、芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表)
参照:『青い鳥』モーリス・メーテルリンク 末松氷海子訳 岩波少年文庫2004版
AAPA新作ダンス公演 2022.11.03~05
『こもりのあとの青い鳥』
演出・出演 上本竜平
振付・出演 永井美里
楽曲・音響 西川裕一
振付助手 杉本音音
制作・ 根岸佳奈子
山本晃子(百景社)
主催:一般社団法人百景社×AAPA 文化庁「ARTS for the future!2」