アートミーツケア学会2022「アートとケアと教育と」に参加しました。

   12月3、4日、東京学芸大学で開催されたアートミーツケア学会に参加しました。ホスト大学の特色によって毎回カラーが大きく変わるユニークな学会ですが、意外なことに「教育」の視点が入ったのは今回はじめてのこと。コロナ対策もあって従来の”あそび”の要素は減りましたが、小規模な学会だからこその異分野交流やアットホームな対話が生まれる時間に出会うことが出来ました。

〇プログラム詳細はこちらからご覧頂けます。
 今回は国内外から3つの基調講演がありました。最初は「Disability Justice in Arts Education 大会日本語訳:芸術教育における障害者の定義」と題してオンライン登壇のミラ・カリオ・タビン氏(Dr. Mira Kallio-Tavin ジョージア大学 ラマー・ドッド美術学部 ウィニー・チャンドラー特別教授)による障害学研究の現状や現代アートのアプローチ、そして芸術教育の社会的な役割についての講演でした。続いて国内からは、コロナ禍の特別支援学級の美術教育のこころみ、広島のアートサポートセンターのコレクティブな実践例、そして盲学校や視覚障害者を対象にした美術教育の今が紹介され、いずれも示唆に富み大変興味深かったです。
 実はコネクトに「教育」の文字を入れたのは、そもそも筆者の大学時代の専攻が教育哲学や視聴覚教育だったこともありますが、公共の場(相模原市立市民・大学交流センター)で立ち上げたプロジェクトだったことも大きな理由です。今回もアートとケアの文脈に「教育」の視点が加わることで、学会には一気に社会的な役割が提示されたような印象を受けました。そして、あらためて教育的な視点の大切さも感じました。何よりも「教育」には次世代、未来へのまなざしが含まれているからです。サウンドスケープを提唱したR.M.シェーファーも「サウンド・エデュケーション」という全的で新しい音楽教育を提示しました。
 国内外の基調講演を照らし合わせると、芸術教育を問うことは現在の芸術の価値やケアを問い直すことであり、21世紀に相応しい文化政策や福祉制度、つまりは社会の「在り方」そのものを考えることでもあることが解ります。そして「よく生きるとは何か」を日々問い続けるパンデミックの中で、アート、ケア、芸術教育は世界的なアップデートが求められているのだとも思いました。

東京学芸大学の会場にて参加者ワークショップ中。
東京学芸大学の会場にて参加者ワークショップ中。

 2日目の発表では(都合で午前のみの参加となりましたが)、現在カプカプでご一緒している新井英夫さん×板坂記代子さんがファシリテーションを務める山田カオルさん(やまがたワークショップ研究会、山形県立保健医療大学)の地域高齢者を対象にしたワークショップ実践報告、続いて芸術の価値や成果主義に一石を投じる「社会包摂に向けた障害者の芸術活動をめぐる議論の動向~プロセスと関係性に焦点をあてて」髙石萌生さん(九州大学大学院芸術工学府芸術工学専攻長津結一郎研究室)の発表を興味深く拝聴しました。芸術にある芸術、福祉にある芸術、地域にある芸術、そして個々の身体にある芸術。「障害者」という言葉に含まれる境界の問題、芸術の既存の価値からこぼれ落ちてしまうものへのまなざし...、最後に「絵本関連ワークショップの実態調査および社会的・創造的実践の提案」を発表された寺島知春さん(東京学芸大学)を交えた三者の全体討論の中では、前日の基調講演と同様に既存の価値観や関係性の「在り方」がゆさぶられるような事例を、発表者が自らの体験から伝えていたのが印象的でした。芸術を媒体にした「ケアする人、ケアされる人」は非対称ではなく相互関係になる、もっと言えば面白いことを「共犯」できるワクワクする関係になれるという発見です。だからこそ、その価値をどう伝え、そして誰が評価するのかという問題がまさに今、この学会に限らず各所で議論され始めています。

 また今回は3年ぶりの対面開催となったことで、偶然の出会いや対話の場が生まれていたことが何より嬉しかったです。最初に参加した「ふれる・もつ・かんじる展」の鑑賞ツアーでは、参加者から主催者へ投げ換えられた「質問」をきっかけに、自然発生的に議論が始まりました。宇宙をイメージして照明が落とされた展示会場の中で、教育者、学生、研究者、実践者等が輪になってざっくばらんに「立ち話」をする時間そのものがアート体験だったと思います。研究者と実践者が共存するアートミーツケア学会ならではの、立場や専門知を越えた率直な言葉のやりとり、オルタナティブな「知」の在り方もこの学会の魅力だと思っています。

 

 個人的には美術と音楽の境界にあるサウンドスケープの考え方や「サウンド・エデュケーション」との親和性を、音楽以外の領域でも知って頂く機会をもっと増やしたいと思いました。

以下は筆者のメモから。

〇障害者、に代わる言葉の必要性

〇見えない世界の美術教育。音の役割。目ではない感覚器官、知覚から『みる』ことを学ぶ教育方法。

〇触れる教育、触れない(コトバ)の教育を分けないで考えること

〇何を見たいかは、何を見ていないかである。

〇福祉や障害学は「医療的モデル」「社会的モデル」から「肯定的モデル」へ

〇ケアする人、ケアを受ける人は一方向ではなく相互関係である

〇学生が福祉や特別支援の芸術教育を経験することの意義。→能力主義への批判性が生まれる

〇特別支援級は年齢の近い大学生との交流を楽しみにしている

〇障害学のロジックと現場の違和感、※クリップ理論

〇知的障害のある人を対象とした対話型鑑賞ワークショップ(広島)

〇遠隔ロボットを使った鑑賞会→重度障害のある人も美術館へ


アートミーツケア学会事務局は奈良のたんぽぽの家の中にあります。


執筆:ササマユウコ(音楽家、芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表)
3.11を機に、カナダの作曲家RM.シェーファーが70年代に提示した「音楽、サウンドスケープ、社会福祉」を実践研究しています。