【覚え書②】新装開店カプカプWS「音とカラダのなんでもジッケン室②」団地ピロティ編 ササマユウコ記(7/1)


【団地のピロティ、「場」のちから】

 前回6月1日の新装開店から、あっという間に1か月が経ちました。この間に関東地方は異例の早さで梅雨が明け、先週は35度越えの猛暑日が続きました。外での活動は暑さが心配でしたが幸いこの日は風が通りぬけ、半地下構造のピロティは思いのほか心地よかったです。カプカプメンバーの熱中症対策を万全にしながら、各所に吊るした風鈴の涼やかな音色とともに「音とカラダのなんでもジッケン室」(新井英夫、板坂記代子、ササマユウコ)第2回目が無事に終了しました。

 今回はワークショップが実施された「場(ピロティ)」の特性から記録したいと思います。この場をワークショップで継続的に使い始めたのはコロナ禍がきっかけでした。奥にスクリーンとしても使える白い壁のあるトンネル状の縦長空間です。この壁はもともと昭和のタイル装飾がほどこされた物置き場でしたが、ちょうどコロナ直前に白く塗られたことで、思いがけずワークショップの可能性が広がりました。団地の皆さんにとっては商店街の入り口にある日常的な通路ですが、昭和の公団住宅には「余白」と言える場所があちこちにあって、特にこのピロティには「劇場」のような独特の雰囲気が生まれています。

 例えばオンラインだった緊急事態宣言下には、自宅のPCとピロティの壁がZOOMでつながりました。時にはテレビ電話のように団地の皆さんと話す機会もあって、ワークショップが一気に未来型に進化した感覚を味わいました。またカプカプの音響スタッフ千葉さんがピロティ内に複数台のスピーカーを設置して臨場感を生み出しました。会場準備は通常よりも大変になりますが、ピロティで繰り広げられたワークショップには最新技術を使用しなくても先駆的で実験的な場面が多数生まれていたと思います。これは普段からアーティストとカプカプの信頼関係の蓄積があったからこそ実現したことも多いですが、まだ終わりが見えないコロナ禍で、野外の既存空間をいかに非日常に変えていくか、アート/アーティストの腕の見せ所だと思います。「場の力」を引き出して日常と非日常をつなぐアートです。

 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のがカプカプの得意技とも言えますが、この2年間、団地の一角にある「喫茶カプカプ」が地域のセイフティ・ネットとしても開店し続けていたことの意味は非常に大きいと感じています。スタッフの皆さんには日々大変なご苦労があったはずですが、「いつもと変らない」ことに全力を尽くす姿勢は、仕事のキャンセルが相次ぐアーティストにとっても大変力強い存在でした。それは「ウェルビーイング」のような耳障りのよい言葉ではなく、もっと泥臭く、壮絶ですらあった時間の積み重ねです。福祉やアート(の場)とは何か。そのことを常に問い続けている場の在り方です。

 6月から始まった新装開店ワークショップでは、カプ―ズに対するティーチングや日常生活の問題解決の役割も担っていますが、いちばん大切なのは彼らがリラックスした雰囲気の中で身体をほぐし、あそび、肯定的に受け入れられることで自信を得て、日常に戻っていくプロセスにあります。しかもカプ―ズだけでなく、アーティストやスタッフの皆さんにも同様の作用が生まれます。このワークショップが10年も続いている最大の理由はこの相互作用にあると思います。

 【アーティストは何をしているのか?】

 さて、ここから具体的な内容の記録です。

テーマ:ゆったりとした時間を味わう

キーワード:はんなり、ゆらぎ、あるく表現(ファッションショー形式)

素材:水、影、光、布   

 基本的にカプカプでは、事前にアーティストとスタッフによる入念な打ち合せ&準備をしますが、当日のカプーズの状況に応じて臨機応変に内容変更、時には潔く捨てる、忘れるも当たり前にあります。一見するとなんとも不合理ですが、それは生きることそのものとも言えます。アーティストには現場での創造性&即興性が大きく問われますし、それが「面白い」と思えるか否かは、経験値に関わらずアーティストの適性によるだろうとも思います。ワークショップを「ルール通りに」指導したり、準備通りに進めることも決して間違いではないからです。ただ、それは目の前のカプ―ズのためではなく、もっと先にある評価や何か別の目的のためであることも多々あります。カプカプのワークショップは「今」を味わい、生きるための時間。前衛芸術のハプニングやフルクサス「イヴェント」、偶然性、即興性、ジャムセッション等が得意だったり好きなアーティストにとっては大変刺激的で楽しい場だと思います。それはつまり、「いわゆる福祉的な場」ではないということです。そしてそこにある偶然性や即興性、つまり「今」の中に掛け替えのない「時間・空間・記憶」を生み出すことを「アート」と呼んでも良いかもしれません。それは時にアーティスト自身の音楽性や芸術性、つまり自分の小さな世界を越える体験だということです。

 その通り過ぎていく時空を見逃さずに掬い上げ、光を当てていくのがカプカプでのアーティストの役割です。10年間ここでワークショップを続けている体奏家の新井英夫は、この役割を「編集する」という言葉で表します。新井は自身の目の前で生まれては消えていくカプ―ズのひとこと、アイデア、何より身体表現の輝きを見逃さないように集中し彼らと共鳴していきます。いつどこで誰に「光」を当てるのか。そのタイミングを上から目線ではなく、彼らと同じ目線で瞬時に「編集」するのです。これは新井の舞台経験、前述した前衛的な芸術の指向性にもよるところが大きいですが、子ども時代の身体遊びの感覚、即興セッションやパフォーマンスの経験値等を重ねていくことで身につけられる「アート」でもあります。
 これはカナダの作曲家M.シェーファーが半世紀前の自著『教室の犀』の中で、教室の中で教師は「共同学習者」であるべきと主張したことと重なります。また忘れてならないのは、新井自身がサウンドスケープ思想とも親和性の高い「野口体操」の哲学をベースに場づくりをしていることです。これはまた別の機会に本人へのインタビューを交えて掘り下げてみたいと思います。
 さらに前回から彼が車椅子を使用していることで、カプ―ズとの身体の境界線が曖昧になったことの意味は大きいです。考えてみれば福祉の現場に入るファシリテーター/アーティストは、基本的には圧倒的に有利な身体能力でその場に臨んでいる訳です。ワークショップ対象者にとって、それは圧倒的な「強者」なのです。アーティストは目の前にいる人たち、そこに流れている時間に自らの身体や知覚を同期させているか、常に意識していたいところです。

 こうしてワークショップでアーティストが発見した「輝き」の数々は編集され、カプカプの場合は毎年秋に開催される「祭り」で「昇華」されていきます。この日は関わる人たちにとって大事な「ハレの日」ですが、いちど時空をリセットすることで、ここからまた1年。カプカプ時間を生きることのオンガクでもあるのです。

 【日常の内と外を行き来する】

 もうひとつ新装開店したワークショップで意識しているのは「ゆったりとした時間、身体感覚」です。今回もまず最初にアーティスト3人による即興セッション、その後は水の影を壁に投影したり、水の入ったボウルを鳴らしたり、風鈴をインスタレーション的に会場に設置する等、全身の知覚から「ゆらぎ」を体験しました。また前回の続きとしては、布で空間を仕切り「幕」をつくることで、内と外の感覚、日常と非日常を行き来する体験をしました。前回はこれを「パフォーマンス」という言葉や形式で体験しましたが、今回は「ファッションショー」のかたちを模すことで、衣装をつけて少しだけ勇気をだして「内と外を行き来する=あるく表現」を体験してもらいました。

 幕の後ろで待機するカプ―ズは、板坂記代子に衣装を着せてもらい、照明を当てられながらまず「内側」の世界を体験します。布に映しだされた自分の影絵と対峙する中で身体表現を自然に引き出していく経験です。そしてある瞬間に”意を決して”幕の外側に飛び出していくのです。「外側」の世界には新井をはじめ観客がいます。そして最初のアーティストセッションで板坂が床にチョークで線引きをした「ランウェイ(ファッションショーでモデルが歩く通路)」に沿って、衣装と私の身体を意識しながら「あるく」。そして”ランウェイの”終点”には低めのお立ち台が準備され、そこでポーズを決め「拍手」をもらいます(拍手には、自信と直結する絶大な効果があります)。そして彼らは来た道をふたたび歩いて戻り、幕の内側(日常)に戻ってくる。そこには不安げな表情から、達成感をもった表情に変化したカプ―ズが存在していました。

 【あるくのイロイロ】

 夏至の空耳図書館の記事でも書きましたが、特に「あるく」という行為は「踊る」の基本でもあり、音楽のリズムやテンポの基本でもあります。もともとカプカプの日常には杖や歩行器、車椅子に乗ったり、誰かにおぶられたり、誰ひとり同じ「あるく」が存在しません。「足並みを揃える」という発想自体がナンセンスなのです。バスや電車、街中には本来さまざまな「あるく」が溢れていますが、なぜか私たちは同じ身体、同じテンポで歩いていることを前提に生きている。だからこそ新井が杖や車椅子を使用することで、カプ―ズの身体性が以前よりも身近に感じられ、筆者自身が「あるく多様性」を再発見できたとも言えます。それは「着る身体」「奏でる身体」、つまり衣装や楽器、身の回りのモノを再考するきっかけともなります。誰の身体を基準に作るのか、身体をモノに合わせるのか、モノを身体に合わせるのか。あらたな問い、生き方そのものにつながります。

【場の音風景】

 ちなみに今回の音響は、カプカプが清水基金で購入したハングドラムやトイピアノ、手作りのレインスティック、アーテイスト所有のアナログ楽器と、PCとシンセを同期させたデジタル機器とのハイブリッドでした。風鈴を各所につるして季節感のあるサウンドスケープをつくる一方で、今回最も特筆すべきはカプ―ズメンバーが鼻歌アプリとボカロで自作した楽曲を使用したことです。いわゆる音楽の三要素(メロディ、リズム、、ハーモニー)も取り入れつつ、未聴感かつノンジャンルのオリジナル楽曲が、後半のファッションショーを盛り上げていました。テクノロジーの進化で、音楽の世界にも本当の意味での「アールブリュット」が登場する日も近いと感じています。

 【内も外も】

 舞台の袖から照明の当たるステージに。日常の内から外へ飛び出す「その瞬間」が好きで舞台表現者や音楽家を目指す人も少なくないと思います。もちろん「その瞬間」には楽しさだけでなく怖さもあり、乗り越えるための覚悟や訓練も必要です。
 実はこの感覚は舞台芸術に限ったものではなく、例えばカプーズの日常でもあるのです。例えば誰かに話しかけるために声を出す時、喫茶店の接客、イベント販売の仕事、多くは他者と関わる時です。彼らの日常はたくさんの「幕」で仕切られ、その外側に出ていく覚悟を必要とする瞬間が多数存在しています。

 今回も新井が乗った車椅子を当たり前に押してくれるカプーズの姿がありました。その姿は手慣れたもので、彼らにとって車椅子は日常であり、誰かの車椅子を押すことも当たり前の行為なのだとわかります。そしてこの車椅子という多くの人にとっては「非日常の道具」が、超高齢化社会が進むこの国ではやがて日常の風景になっていくはずです。カプカプの日常が、私たちの生活の当たり前になるのです。その事実に普段から意識が向けられ、「今」を大切にしながらも、少し先にある未来、長い時間軸で世界を見渡せていられるかどうか。このワークショップを通して、常に考えていきたいと思います。


 【覚え書】カプカプ新装開店ワークショップ「音とカラダのなんでもジッケン室」②団地ピロティ編

アーティスト:新井英夫(体奏)×板坂記代子(身体表現、布)×ササマユウコ(サウンドスケープ)

参加者:カプカプーズ(全15名)、カプカプスタッフ

実施日:2022年7月1日

場所:横浜市ひかりが丘団地内ピロティ

実施回数:午前・午後 各1時間30分×2回

内容:①アーティストによる即興パフォーマンス(本日のエッセンス)

②ゆらぎの時間(水の影、水ボウルの音と身体)

③あるく時間(ファッションショーごっこ、衣装をきる、歩く、ポージング、カプカプオリジナル楽曲)

音響機材担当:千葉薫(カプカプ)

映像記録:飯塚 聡

文字記録:ササマユウコ(芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表)

主催:生活介護事業所カプカプ(横浜市ひかりが丘団地 商店街)
   所長:鈴木励滋、ワークショップ担当:鈴木まほ